慧を待っていた涼介だが、もちろん彼を一人で行かせるわけにはいかない。彼が向かった後、いくらか間を開けてから追いかけていた。しかし予想通りと言うべきか、彼は妨害に遭っていた。灰人形、アッシュである。昼間ということもあって遊びに来ていた親子連れも多く、平和な公園は一変していた。
「クソッ! やっぱオレと慧を引き離すつもりだな!」
 仮面ライダーシグルズは短剣グラムを引き抜き、切り裂く。一体一体は雑魚だから大した敵ではないが、数が多いため、周りの人々に被害が及んでしまう。
「キャア!」
 悲鳴が上がる。シグルズは飛び上がると、小さな女の子を抱えてグラムを一振り。熱波が木々もろともアッシュを焼き払った。
「ケガはないか?」
「ウン」
 女の子を降ろしてやる。涙の浮かんだ顔でにこりと笑って逃げていくのを見送り、シグルズは残り二体のアッシュに挑む。
「ッラア!」
 まず手首を上に返し、一体を倒し、もう一体をそのままの勢いでなぎ倒す。あっという間に一掃できたが肝腎の親玉が姿を現さない。
(とにかく、慧のところに急がねえと)
 グラムを鞘に納め、林を進む。梟像までの行き方は曖昧だが道に迷っている余裕はない。
(たしか、こっちだったはず……)
 案内板の前でしばし立ち止まる。こんな全身鎧の男が案内板を見ている姿はさぞシュールだろうと自分で思って恥ずかしくなった。すぐに場所を確認すると、再び走り出した。
 噴水広場から放射線状に広がる道をそのまままっすぐ行けば、やがて見えるのは梟像。涼介のトラウマだ。ぎょろりとした金色の目が木漏れ日に反射して光っている。
(ひさびさに見たけど、気味悪いな)
 近づかなくとも一目で分かる。暗闇で光る金色の目。これのせいでこの公園は好きになれなかったのだ。
 梟像の前にうつ伏せに人が倒れている。シグルズは目視すると駆け寄り抱き起した。
「慧!」
 慧である。慧は両目を固く瞑り、ぐったりとしている。服は泥まみれで、顔には血がにじんで痛々しい。
「慧! 大丈夫か、慧!」
 シグルズの変身を解除し、涼介は慧を揺さぶった。慧は呻吟すると、うっすら翠の目を開けた。
「……ごめん……」
「いいんだ。そんなことより大丈夫か?」
「うん。……うっ……」
 慧は後頭部を擦った。頭を強く打ってしまったのだろう。
「とりあえず、一旦退くぞ。浜田さんって子を助けたいのは山々だけどおまえも心配だ」
「ありがとう。ごめんね」
 涼介は慧に肩を貸すと、ゆっくりと歩き出した。

* * * *

 旧洋館。定期的に清掃をしているのか、外観に反して内装は綺麗なものである。蜘蛛の巣ひとつ張っておらず、アンティークの小物にはうっすら白い埃が積もっている程度である。10時を指したまま止まっている柱時計はこの屋敷の静寂を象徴しているかのようだった。
「さあて、どうしてやろうか」
 コベライトはハイエナワンダラーの本性を現して、気を失っている少女を足蹴にして、長椅子に踏ん反りがえった。
「にしても、助かったぜカルセドニー」と脇に立つ男に言った。彼はコベライトの新しい秘書である。「念のためにオマエを待機させておいて良かった」
「いえいえ。それにしても、シグルズが来るところまで読んでいるとはさすがです、コベライト様」
「コイツらは大体セットだからな。話通りだったぜ」
 そう言って、目の前で後ろ手に縛られ、俯いている少年に一瞥をくれてやった。
「さて、テメェは車に行ってな。俺はコイツに用事があるんでな」
「かしこまりました」
 カルセドニーはコベライトに頭を下げると、足早に部屋を去った。残ったコベライトは椅子を立つと、少年を見下した。少年は怯えもせず、翠色の瞳でちらりと見て、再び目を伏せた。
「大したもんだ。こんな状況でもビビらねェなんてな。ダテに仮面ライダーのダチやってねェんだな」
 コベライトは馬鹿にしたように笑った。
 少し癖があるが滑らかで艶やかな黒髪。締め切ったカーテンから差し込む陽光に照らされる象牙のような白い肌には一点のシミや黒子さえもない。伏せられた瞼から伸びる長い睫毛と、その下から覗く宝石のような翠の目。引き締められた薄桃色の花唇。西洋画における天使を思わせる神々しい美しさではあるが、その完璧な美貌には作り物らしさを感じさせる顔立ちだ。この手の顔なら多く知っている。コベライトはフンと笑って顎を掴むと無理やり顔を上向かせた。
「少しはビビったらどうだ? それとも、マジでビビりすぎて固まっちまったのか?」
 挑発的に言うと、少年は双眸を眇め無感情に言った。
「別に。ぼくはおまえのことなんかどうでもいい」
「ヘッ、やっぱいい度胸してんなテメェ」
 鈍い音が古屋敷に木霊した。鳩尾を押さえて、ゴホゴホと咳込みながら少年は倒れこむ。コベライトはふんと笑うと容赦なく少年――慧をボールのように蹴り飛ばした。ゴロゴロと転がり、先刻カルセドニーに殴られた後頭部を壁に強かに打ち付けて、慧の視界は再び揺らいだ。
「だが、あんまりチョーシに乗るんじゃねェぞ。そのおキレイな顔がボロボロになっちまうぜ?」
 コベライトは「ワハハ」と勝ち誇ったように笑った。いくら威勢がよくても、所詮は人間だ。こうなってはもう抵抗もできまい。弱い者をいびるのはさほど好きではないが、愉快である。こいつは親愛なる部下であるリベテナイトを屠り、あまたの怪人どもを惨殺してきたあの仮面ライダーの親友なのだから。いい気味だ。仮面ライダーにも自分と同じ「大切な者を殺される苦痛」を味あわせてやることができるのだから。
(もっとも、それも知らないで向こうが先にくたばっちまうかもしれねェけどな)
 ポケットから煙草を取り出し、銜える。足元に転がっている少女の上に足を乗せ直すと、少女は力なくうっと呻いた。
「おまえがそうしたいならば、そうすればいいさ」
 不意に倒れたままの少年がそう言った。声は細く、掠れてはいたが、たしかな強い響きを含んでいた。
「あ?」
 思わず火を点けようとしていた手を止める。少年は血の滲んだ唇を再び開くとこう言った。
「ぼくの顔に傷をつけたいなら好きにすればいいと言っている」
「テメェ、ナニ言ってんだ?」
 彼は倒れたまま肩を震わせていた。コベライトは初めそれを恐怖のためと捉えていた。しかし、違った。ゆっくりと体を起こし、伏せられていたその顔は笑顔であった。目の前で異形の化け物と相対しているというのに、少年は寸分の恐れも見せない不敵な笑みを浮かべていたのだ。しかも笑顔であるが、翠の瞳はコベライトの目を射抜かんばかりに見据えていたのだ。これにはさすがの彼も驚いて、銜えていた煙草が口からぽろりと落ちてしまった。
(コイツ、イカれちまったのか?)
 射竦められ、コベライトの体が意図せず硬直した。まるでこちらが捕えられているかのような錯覚さえもあった。少年が頭を打っておかしくなってしまったのかと疑うほどであったが、その迷いない瞳こそが本気であるということをよく物語っていた。
「ほら、してみろよ」
「はァ?」
「したいのだろう? ぼくの顔をズタボロに」
 挑発的に囁く少年。瞳は油断なくギラギラと光っている。コベライトはライターさえ取り落として、ぽかんと口を開いたまま一言も発することもできなかった。ただ、その美しい顔を見つめることしかできなかった。否、その眼から逃れることができないのだ。
「どうした、まさか怯えているのか? ぼくはこの通り〝貧弱な人間〟だぞ。身動き一つ取れやしないし、もちろん力でおまえに敵いっこない。したいなら好きなようにすればいいじゃないか」
 彼はわざとらしく後ろに縛られた両手を動かせた。コベライトは落としたライターを拾うと、丸いテーブルの上にそっと置いた。ただそれだけの動作であったが、指先がじんじんと痺れるようだった。まるで獣に睨まれた哀れな獲物のように。
(冗談じゃねェ。この俺が怯えてるってか? ……ありえねェ)
 本来出るはずのない汗が首筋を伝った心地であった。ハイエナワンダラーコベライトは奥歯を固く噛み合わせ、低く啀むことしかできないでいる。
「テメェ、いい加減にしろよ」
 ようやっと紡いだ言葉は震えていたのだろうか。少年が馬鹿にしたように「フン」と笑ったのが聞こえた。
「調子に乗るな! ニンゲンが!」
 そこで持ち前の短気が心臓の導線に火をつけたのか、カッと頭に血が上った。コベライトは転がっていた少女の首を掴むと、慧の前に投げた。失神しているのか、少女は人形のように無抵抗にばたりと倒れこみ呻き声さえ発することはなかった。
「忘れたか。人質はテメェだけじゃねェんだ。このオンナを殺されたくなかったら黙ってな」
 コベライトが少女を甚振る。それを見て今度こそ少年は黙り込み楯突くことはなくなるだろうとコベライトは思っていた。そうして痛めつけて、命乞いの言葉でも何でも吐くだろう。そうたかを括っていた。
「……フフッ」
 しかし、またコベライトの期待は大きく裏切られた。彼は笑ったのだ。しかも今度は大きく口を開けて心底おかしいと言わんばかりにげらげらと。
「ハハハハ!」
「おい、ナニがおかしい?」
「好きにすればいい。そんな女、ぼくはどうなったってかまわないのだから」
 コベライトはその言葉に豆鉄砲どころか大砲でも食らった心地であった。
「なんだと? テメェ、コイツを助けに来たんだろ?」
「そんなもの、涼介の手前だから言ったに決まっているだろう。それに、ぼくだって世間体は大事さ。そうでも言っておかないと、今後の生活に支障をきたすのからね。あいつは酷い奴だって悪評が立ったら面倒じゃないか。まあ今更だとは自分でも思うけれどね」
 はったりなどではない。奴は本気なのだ。頭に上った血はさっと引いてしまった。あえかな少年とは思えない威圧感が襲ってくる。その言葉一つ一つがコベライトの胸に杭をぶち込んでくるのだ。
「殺さないのか? やってごらんよ。おまえがやってきたように。その女を殺してごらんよ。ぼくは何も言わないよ。フフフ、ぼくは演技が得意だから、守れなかったとさも悔しそうに振る舞うことくらいできるからね。それとも、ぼくの顔をボロボロにしたいのか? どんな風に? 耳を千切って、鼻を捥いで、目を抉って、それから? フフフ。構わないよ。この顔は好きではないんだ。勢いで殺したって構いやしない。命なんかこれっぽっちも惜しくなんかないのだから」
 淡々と放たれる言葉にはどこか蠱惑の響きも含まれていた。聞けば聞くほど頭がぐらぐらして、意識が現実と乖離していくようであった。いや、意識が少年に惹きつけられて離れられないのだ。
 こういう類の輩を知っている。コベライトはげんなりしながら思った。よく似た奴を一人知っている。雰囲気もなにもかもがよく似ているのだ。
 こちらが何も手出しをしないので退屈に思ったのか、少年はふんと鼻を鳴らすとカーテンを閉め切ったフランス窓にもたれ掛った。
「おまえたちの作戦は見え見えだよ。どうせあのワンダラーをぼくに化けさせて不意打ちを狙ったのだろう。だが無駄だよ。涼介がぼくを見間違えるわけがないのだから」
 コベライトはそれに取り合う気力もなく、無言で部屋を出るとカルセドニーを呼び出した。見張りを交代させるつもりなのである。

* * * *

 公園のベンチに座らせて、慧の手当てをしてやった。涼介は包帯を巻き終えるとふうと息を吐いた。
「これでいいだろ」
「ありがと。ごめんね」
 ちら、と涼介は慧の顔を見た。彼はシャツの袖を直すと、項垂れながら言った。
「浜田さんを早く助けなきゃだよね。ぼくがドジ踏んじゃったばっかりに」
「そうだな。でもおまえそのケガだとヘタに動けないだろ? 先に店に戻ってろよ」
「でも、涼介一人でだいじょぶ?」
「大丈夫だ。まあ、つっても向こうの居場所も分かんねぇし、また何かしら連絡だか来そうだからおまえと一緒にいたほうがいいかもしれないけどな」
 涼介は腕を組んで考えた。それにしても、さきほどのアッシュの強襲。慧と引き離すためだったとしたら、どうしてその必要があるのか。たしかに慧はそこそこ生身でも戦えるとはいえ、あくまで人間である。仮に慧を警戒してこのような作戦を立てたとしたら、いささか妙だ。
(たしかに、慧だって変身できるしな。オレがやられても慧が戦えるから。……ってワケじゃ、ないだろうしなぁ……)
 シグルズのベルトが誰でも変身できるベルトなのかそうでないのか実のところ涼介もよく知らない。もしも敵が「誰でも仮面ライダーに変身できるベルト」であるというのを承知ならば、その可能性も否定できない。それにしてもまどろっこしい。
「涼介、一旦戻る?」
 慧が訊いた。涼介は首を捻って「いや」と言った。
「ヤツらもそう遠くへ行ってないと思うし」
「じゃあ、清風[せいふう]を呼んで臭いを追ってもらったら?」
 涼介はじろりと慧の顔を見た。
「なに?」
「……いや。なんでも。まあその手もあるけど、清風は敵の組織に狙われてんだ。だからムリだろうな」
「そっか。それもそうだね。じゃあどうすんの? このままここにいるわけにはいかないでしょ」
 どこか慧は苛立っている様子であった。涼介は「うん」と頷くとベンチを立った。慧も続いて立つと、涼介は肩越しにこう言った。
「なあ、慧。寒くないか?」
「え?」
 慧はきょとんとした顔で首を捻った。
「まあ、ちょっと寒いかなって思うけど。でも、平気だよ」
「そっか」
 涼介はそれだけでずんずん公園の出口に向かって歩いた。慧は速足で追いついて、涼介の肩に手をかけた。
「待ってよりょうす……」
 肩に置いた手をぐいと掴まれた。あっと言葉を発す暇もなく「慧」の体は宙に舞っていた。涼介に背負い投げされたのだ。息をつく暇もなく体を打ち付け、慧は悲鳴を上げた。
「一体なにを」
「やっぱ、おまえ慧じゃねえな」
 涼介はそう言ってシグルズバックルを取り出していた。体を起こした「慧」はぎくりと大きく目を見開いた。
「なんで、そんな馬鹿な」
「とぼけんなよ。慧は清風のことはチンフォンって呼ぶ。それに、寒がりなんだよ。おかしいと思ったぜ。外で手当てしてやってんのにちっとも寒がったりしねえんだから」
 男はぎろりと慧の顔のまま涼介を睨んだ。涼介は鞄を足元に置くと言った。
「いつまでも慧の顔してないで、さっさと正体を見せろ!」
「ピアスさえ外せば分からないと思ったが」
 慧であった顔は見る間に崩れ落ち、下から現れたのはぎょろりとした黄色い双眸が特徴的な怪人であった。大きな口からは長い長い舌がべろんと伸び、全身が黄緑色なのもあって赤が際立って見えた。カメレオンワンダラー、ボーノナイトである。
「バレちゃ仕方ねえ! コベライト様の命令でオマエをぶち殺してやる!」
「カメレオン……。なるほど、そういうことか」
 涼介はにやっと笑った。ワンダラーは通常、アンブルに閉じ込めた生物の情報を使ってしかほかの生物に擬態することができない。それも、自分の性別や年齢に対応した姿以外になることは不可能。しかし、先ほどの電話の少女の声や、慧に化けていた様子を見るとかなり特殊なワンダラーらしい。アンブルを使わずとも自由に姿を変えることのできるワンダラー。
「最近騒ぎになってる連続殺人もおまえの仕業か?」
 涼介が言うと、カメレオンはくぐもった笑いをした。
「よく知ってんな。そうだオレサマさ。ニンゲンもワンダラーもダレがやったか分からねぇ。オレサマは特別なワンダラーだからな」
「やっぱりな。だが、それもこれまでだ。今からこの仮面ライダーシグルズが折檻してやるからな!」
 涼介はシグルズバックルを腰に翳した。赤い閃光が迸り、細い腰に装着される。
「変身!」
 涼介の声に呼応し、バックルの紅玉から炎の鳥が飛び出した。それはカメレオンワンダラーを威嚇するように大きく両翼を広げ、涼介の体を包み込んだ。炎の中で鎧と仮面が装着され、涼介は仮面ライダーシグルズへと変身した。
「さあ、いくぜ!」
 腰間の鞘からグラムを抜き放ち、シグルズはカメレオンに切りかかった。カメレオンはずんぐりとした体に似合わず俊敏な動きでそれを躱すと、ご自慢の長い舌でシグルズの右腕を封じた。
(いつかのカエル野郎と似たような攻撃しやがって)
 巻き付いた舌を忌々しげに睨んだ。腕力は変身後も弱いため、力勝負では勝てないだろう。ぐいぐいと引き寄せられるところを両足で踏ん張る。こうして凌げるのも時間の問題だ。シグルズは左腕の装飾、フィーデルを舌に突き刺した。
「ギャッ!」
 堪えたらしく、しゅるんと舌が引っ込んだ。シグルズは好機と見て跳び出すと、一振り。カメレオンの腕を切り裂いた。
「グッ!」
 本来戦闘は不得手のカメレオン。人ごみがあれば人間に化けてやり過ごせるものの、先ほどアッシュが暴れまわったせいで人間たちはもう皆逃げてしまった。
(こうなりゃこうだ)
 カメレオンは地面に伏せた。すると、なんと見る見るうちに姿が掻き消えてしまった。
(なるほど、カメレオンらしいぜ)
 シグルズはカメレオンワンダラーがいた部分に赤い鎖レージングを放つも感触はない。姿を消して逃げおおせる気か、それとも不意打ちを狙っているのか。
(だが、見え見えだぜ)
 引き戻したレージングを左手で弄びながら、金色の複眼で狙いを定める。何もない石畳に、ぽつぽつと血だまりができていく。切られた傷から滴っているのだ。シグルズはじっと睨み、タイミングを見計らい、再びレージングを放った。
「ナニ!」
 驚愕とも取れる叫び。シグルズの右手に伝わる確かな感覚。
(捕らえた!)
 シグルズが渾身の力でレージングを引くと、消えていたカメレオンワンダラーの姿が浮かび上がった。
「ひぃっ! 許してくれ!」
「なら、慧とあの女の子が捕まっている場所を教えな」
 ガタガタ震えているカメレオンの首筋にグラムを押し当てながら言った。カメレオンはぶんぶんと何度も大きく頷いた。
「ああ、言う。言うぞ」
「よし。言いな」
 カメレオンは大きく息を吸うと、素直に言った。
「洋館にいるはずだ。死んじゃいないから、安心しな」
「そうか。それだけ聞けば充分だ」
 カメレオンはぎろんと大きな目でシグルズを見た。
「見逃してくれるのか?」
「そんなわけないだろ。おまえは人間を殺してるんだ。でも、むやみやたらに敵を殺すのはオレも好きじゃない」
(そういえば、ワンダラーって人間社会に溶け込んで生きてるけど……警察みたいな組織はないのかな。それなら話は簡単なんだけど)
 シグルズ――涼介はそこでちょっと考えてしまった。敵を倒さず、しかるべき機関で罪を償わせることができるなら、このワンダラーを殺さなくても済むのだ。涼介はいくら罪を犯した怪人だとしても手にかけるのは好きではない。だが、この怪人を裁く手段はほかにないのだろうか。人間は罪を犯せば罪を償うが、怪人はどうすればいいのだろう。
「スキあり!」
 シグルズが躊躇しているとカメレオンは長い舌でシグルズを突き飛ばした。不意を突かれて転倒するシグルズ。
(クッソ! くだらねーこと考えてる場合じゃなかった!)
 自分の迂闊さを恥じつつ再び逃走せんとするカメレオンを慌てて追いかけた。
「待てっ!」
 カメレオンの姿はまた景色の中に消えていった。今度は傷口を抑えているのか、血の跡を追うことはできない。このまま逃げ切られてしまうのだろうか。涼介は悔しげに奥歯を噛みしめた。
 しかし、突然三日月の閃光が正面から飛んできた。これまで何度もシグルズの窮地を救ってきたあの光である。そして鋭い悲鳴が空を裂き、何かが宙に舞った。ぼとり落ちたのは、カメレオンワンダラーの短い腕であった。
(また、あの光か)
 痛みに耐えかねて姿を現すカメレオン。驚いている暇はない。また逃げられてしまう。シグルズは高く跳躍すると、右足を鋭く突き出した。フレイムイーグルキックだ。
「ぐあああっ!」
 手負いのカメレオンワンダラー。これには一溜りもなく断末魔の叫びをあげると、白い炎を上げて燃え上がった。シグルズは着地すると先ほど閃光が飛んできた方向を見やった。木陰に何者かの影があったが、追う暇もなく彼方へ消えてしまった。
(オレを助けたのか? なら、どうして姿を見せないんだ)
 ひとまず変身を解除する。とりあえずは慧たちを助けに行かなければ。涼介は洋館へ足を向けた。

* * * *

 コベライトは苦々しい顔で煙草を踏みつぶした。最近はこの顔ばかりしているので眉間の皺はもう顔に染みついてしまったようだ。
(また失敗か。しかも)
 壁に寄りかかりながら、開け放たれたドアを見た。この部屋は先ほど人質を閉じ込めていた部屋である。カルセドニーが呆然と、開かれたフランス窓を見ていた。足元にはバラバラに千切られたロープ。人質二人の姿はない。
「コベライト様、申し訳ありません」
「フン」
 ロープは見たところ鋭利な刃物で切られているようであった。あの少年が隠し持っていたとは考えられない。ならばどうやって?
(やっぱ、あの手のカオは、そういうことなんだろうな)
 これではっきりした。仮面ライダーの背後にいるのは、あの忌々しい腰抜けどもだ。そうなると、あの少年に目を付けたのは失敗だったか。
(なら、あのガキがいないトコでやりゃいいだけのハナシだ。そう、仮面ライダーが絶対に手を出せねェ相手を使ってな)
 新しい煙草を銜えコベライトは静かに館を出た。カルセドニーもそれに続く。
「仮面ライダーが追いつく前に引き上げるぞ」
「はい、コベライト様」

* * * *

 涼介が洋館に向かって走っていると、前から少女を抱えた慧が歩いてきた。
「慧! 大丈夫か?」
「うん、浜田さんも無事だよ」
 にっこりとほほ笑むも、薄桃の唇にはじんわり血が付いている。外傷こそはないものの、服は埃にまみれてしまっている。
「でも、だいぶ弱っているみたいだから早く救急車を呼ばないと」
「ああ、そうだな。じゃあおまえはさっき一緒にいた子に連絡しておいてくれ。きっとあの子も心配してるだろうから」
「ウン。それにしても……」
 近くのベンチに浜田を降ろして、慧はぶるると身震いをした。
「寒いねぇ」
「そうだな」
 涼介は声を立てて笑った。やはり慧はこうでないと。
 救急車を手配して、涼介は携帯電話を閉じる。一息。そしてふっと疑問に思ったことを訊ねた。
「それにしても、よく自力で脱出できたな」
「ウン。ハッタリが効いたみたいでね。それで、向こうが目を離している隙に」
「はあ。やっぱすげーなおまえ」
「でしょう?」
 慧は笑う。爽やかな笑顔に対して、血の滲んだ唇が痛々しい。涼介は先刻から気になっていたので、ティッシュで慧の唇についた血を拭いてやった。
「あれ」
「なに?」
 涼介は眼を瞬かせた。けれどもすぐに取り繕って「なんでも」と言った。血こそついていたものの、慧の唇には切り傷一つなかったのだ。
「それにしても、散々なクリスマスだったな」
「ねぇ。クリスマス感なかったし。まあ、日本人はだいたいイヴに盛り上がるからね」
「前夜祭なのになあ」
 やがて聞こえてくるサイレンの音。暮れゆく空を見上げ、来年こそはまっとうなクリスマスを誰かと過ごすことができたらと涼介はひそかに願った。

* * * *

 薄暗い浴室。浮き上がる白い肢体。彼は鏡に映る自分の胸を撫でた。中心にうっすら一筋浮かぶ傷痕。それを指ですうっとなぞった。
「忘れるな。忘れるな……」
 ぶつぶつと口の中で呟き、翳した右手には包丁。彼は徐にそれを肩……傷の痕につけると、一直線、斜めに切り下げた。ばたばたと散る鮮血。蹲る少年。
「忘れるな……あの屈辱を……決して……忘れるな……」
 ぎろりと目を剥く。ぎらぎらとその両眼は光っていた。
「忘れるな……忘れるな……」
 傷口から流れていた血はすでに止まっていた。傷痕はすでに塞がりかけており、新しい線が彼の薄い胸の上に刻まれていた。無数の切り傷の上に。
「必ず、殺してやる。この手で……」
 脳裏に浮かぶのは赤い翼。赤い炎。突如受けた赤い斬撃。
 月はじきに満ちる。今年最後の満月へと。
第15話・完