台湾鉄路管理局(台鐡)E500型電気機関車E515・516号車甲種輸送 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

時々、業務などの都合で武蔵野線北府中駅を通ることがある。

電車もあれば車でも近隣を通るほどだが、この駅横にある東芝府中事業所が近年やけに活発だ。


台湾向けの電気機関車が続々製造され、東芝浜川崎工場から順次輸出されているのである。


現在台湾鉄路管理局、所謂台鐡向けにE500型が製造中。

ちょうど1年前に初めて台湾に輸出され、以来月2両のペースでJR線上を甲種輸送。

また試運転は、北府中駅のホームからも眺めることができる。


こちらは9月13日金曜日の北府中駅。


ちょうど、E519号車が試運転を行っていたようだった。

遭遇時には動いてはいなかったが。


日本の電気機関車に比べると、車体長はとても長い。

全長20.77mと電車並みのマンモス機関車。

それでいて側面には窓がなく、かなり特異な外観であり…

全面の朱色塗装は、かつて武蔵野線で走っていた103・201系をも彷彿とさせる。

また電気方式は交流25,000Vである。


しばらくの間、北府中駅界隈は台湾の雰囲気を感じることができる。

その光景を改めて確認し、気にかけていたのだが…


…今日、2両の甲種輸送が施行された。

朝に通りかかった際に数人の撮影者を確認、動きがあると踏んで北府中駅に降りた。

10時前から、モーターカーによる入換作業が開始されていた。


1両ずつ移動が行われ、到着時点ではE516号車がJRとの連絡線に移動済み。

続いてE515号車が引き出されてきた。


いったん、府中本町方へ移動。


手動でポイントを転換し、


連絡線に入り、先に留置していたE516号車へ接近。


何回かタイフォンを鳴らして、E515・516号車を連結。


さらに押し込み、ホームを大きく外れたJR貨物との引き渡し地点まで移動。


そこに10:26頃、新鶴見機関区から今日の牽引機であるDD200-9号機が回送されてきた。

「折二場」への出発信号が注意を現示し、ゆっくり側線へ入っていく。


しばらくは、武蔵野線に一番近い側線に一旦入っていた。


今日は観測史上最も遅い猛暑日。

それが刻々と近づく厳しい暑さだったため、府中街道側から連結作業は眺めず。

もうちょっと涼しくなってからの宿題にしておこう。


ちなみに駅前陸橋を越えたところにはミニストップがあるので、クールダウンは十分可能。

自分もミニストップで一時休息をし、今回の記録に臨んだのだった。


…結局体力温存を図り、逡巡を重ねた結果。

日陰の多い、新小平で本列車を迎撃。

新秋津同様、北府中駅構内の配線の制約から一旦新座貨物ターミナルまで輸送。

機回しの上、改めて川崎貨物駅・東芝浜川崎工場を目指す。


西国分寺は撮影者が多く回避したが、新小平は他に3名ほど。

シャッターの切りがイマイチだったが、後追いはまあまあというところ。


…これでそのまま新座貨物ターミナルに取り込まれて終わり、とりあえずどこかで昼ご飯を…

と考えていたら、新秋津の中線で待避しているのを発見し急遽予定変更。

東所沢の3・4番ホーム新座寄りで後追い撮影。

この時、数人踏み台に上がりかけたが…

公式でも使用禁止は出ているし、注意をピシャリと飛ばしたら


ああ、やっぱダメだよな


と苦笑で降りるという。


なおこの東所沢駅では、旧知のプロの鉄道写真家・E氏とバッタリ。

最近はテレビなどメディアでの活躍も目覚ましく、再会は嬉しい弾みとなった。


…ただ今日は、昼過ぎから天気の急変により足並みが乱れることに。

直接の雨の影響は受けはしなかったが、

復路の新秋津は待避迎撃・先回りを見込んだが、混乱回避かあっさりとスルー通過。

しかも、府中本町まであっさり先に走り去ってしまった。


しかも、天気が怪しくなりピントも微妙。


いよいよ撮影機材の性能の限界も意識しつつ、


微妙な意識レベルの乱れに、心の乱れも合わさり始めた。

さらには移動中の踏切直前横断による一時抑止、寝過ごしもあり…


南武支線で、小田栄まで来たが…


んー、まぁまぁか?

微妙なイライラが違う部分で爆発するなど、後味悪い締めとなった。


記憶が正しければ、今回が初の海外向け車両の甲種輸送撮影。

まだ50両弱は製造されるから、リベンジの機会は多々出てこよう。

色々知恵を膨らませて、また次の機会をゆっくり待つこととしたい。


なお、このE500型は奇しくも今日から台湾で営業運転を開始したとの由。

日台友好、技術の絆の架け橋として、末永く活躍を祈念したい。