こんにちはウインク
助産師あっこです。



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助産師あっこのプロフィール


日々お産に関わりながら思うこと。


最近では、医療介入のないお産が本当に少なくなっていて自然に生まれてくることが難しくなっています。



陣痛の波に揉まれながら

この世に生まれてくる赤ちゃん。


誕生は人生の中で

1番の試練だと聞いたこともあります。



現代はその初めての試練が

より大変になっているのではないかなと思うのです。



世の中の流れで

無痛分娩が増えていますが

この無痛分娩て

陣痛促進剤とほぼセットで行われます。




なぜなら麻酔をいれると

陣痛が弱くなったり

自分の力でいきめなくなったりするからです。



無痛分娩てママにとっては

痛みが和らいで楽になって

いいのかもしれない。


だけどね、赤ちゃんにとっては

どうなんだろう?とお産につきながら

いつも思ってしまうのです。



無痛分娩の場合は麻酔管理が必要なので

計画分娩といって、あらかじめ

分娩誘発する日程を決めて入院することも多いです。



赤ちゃんは人生のいちばん最初から

自分のペースで生まれてくることができない。



ママの体も赤ちゃんも

まだ、生まれる準備が整っていないのに

人工的に子宮の入り口をひろげ

薬で陣痛を起こさせます。



自然な子宮の収縮ではなく

薬によって、管理された中、時間でどんどんと

点滴の流量をあげていき陣痛を強めていきます。



自然なお産の場合

陣痛が弱まったりすることもあるのだけど


あとで振り返ると

それがベストだったみたいなことは

よくあって

自然は上手くできているなと思うことがあります。





もちろん、陣痛促進剤の流量は

陣痛間隔や赤ちゃんの心拍を

確認しながらあげていくけれど


そこには自然の采配はないので

赤ちゃんやママの体なんてお構いなしです。




麻酔が効きすぎると

ママが自分の力でいきめないくて


ママのお腹を押したり

吸引分娩や鉗子分娩で手伝わないと

でてこれないのです。 




私は2人目のお産の時

微弱陣痛でなかなか生まれず

陣痛促進剤を使い

最後は赤ちゃんの心音が落ちて

吸引分娩でした。



だから

自然な陣痛の痛み、

促進剤を使った陣痛の痛み、

吸引されるときの痛み、

全てを経験しました。


痛みの感覚は

自然な陣痛の痛み

 < 促進剤を使った陣痛の痛み 

 < 吸引されるときの痛み

の順でした。




赤ちゃんも押されたり

引っ張られたりしたら 

本当に痛いと思います。



それは、頭に吸引カップの痕や

鉗子の痕ががっつりついていたり

実際に表皮剥離していたり

生まれてずっと泣いていたりすることからも

よくわかります。



そして、本能的に

このお産の仕方はなんかちがうって

感じるのです。




もちろん、緊急を要する状況なら

生命に関わる状況なら仕方ない。


でも、わざわざ

そのリスクが高まる選択をするのは

なんかちがうのではないかと思います。





人生の始まりが

穏やかにはじまるのと

暴力的に力任せにはじまるのでは


自分のペースで生まれるのと

ペースなんてガン無視されて生まれるのでは


これから経験する世界の

認識の仕方が変わってしまうのではないかと

思うのです。


それって絶対に

今後の人生に影響すると思うんだよな。


それを乗り越える力も

備わっていると思いたいけど。



赤ちゃんは言葉が話せません。


だけど、注意深く観察していると

辛そうだなということはわかります。




介助する側の自分も

仕方ないとわかっていても

お腹を押したり

引っ張りだされるお産は

とても胸が苦しくなります。 



仕方ないとわかっているから

そのことに目をつぶり

感じないようにしようとしたこともあります。



だからといって、私は

医療介入のあるお産を

全否定してるわけではありません。



そうじゃなきゃ助けられない場合もある。


恐怖でパニックになっている人をみると

無痛にして落ち着けるなら

その方がよいと思うこともあります。


だけど、好きか嫌いかと言われたら

嫌いだしできれば

穏やかに生まれてきて欲しいと思います。



お産の痛みがこわいと思うのは

それを上回る素晴らしい

自然の仕組みを知らないからだと思うし、


現代社会が待つことを許さないからだと思います。



でもね、

どんな出産でも

ママは命がけだし

生命の誕生は尊いです。



だからこそ

できるだけ穏やかに

幸せに生まれてこれるよう


私ができることはなんだろうと

考えていかなければならないなと

いつも思っています。