持ち込みばばあに会った。


すごく嫌なばばあに会った。

持ち込みばばあ。

こういう人には何を言ってもムダだから、関わらないのがいちばん。

何を言っても通じないから、逆に諭そうとする方がおかしい。

誰にでも平等に親切にしないといけないと思ってたけど、話がどうしても通じない人が世の中にはいるのだ。

そう言う人に対して、「きっと話したら分かるはず…」とか思ってた事自体が間違いなのだ。

こういう人に会ってしまったら、ササーッと静かにスーッと背を向けてそっーと離れるしかない。(さしすせその法則)

「さしすせそ」をする事が、その人を見捨てる事になってしまうんじゃないかと思って、悪い事だと思ってた。

でも、持ち込みばばあは、「さしすせそ」をしてもいいと思わせてくれた。

そう言う人間もいると言う事を強烈に気づかせてくれた。

持ち込みばばあが強烈過ぎて、1発で「さしすせそ」をしてもいいと言う事を肚落ちさせてくれた。

程度の差がありこそすれ、結構こういう人はいる。

「さしすせそ」していいんだよ、持ち込みばばあみたいな人(出来事)があるから気づかされる事もあるんだよと言う事を、身をもって再認識させられた。

ここ何ヵ月、いや何年かのモヤモヤが肚落ちした。

実際、持ち込みばばあに、アクションを起こしたりしてないし、これからもするつもりもない。

今回の気づきは、ここまで強烈じゃなくても、日常にいる持ち込みばばあ的な人に対しても、「さしすせそ」してもいい、それは悪い事じゃないと気づけた事。

黙って我慢したり、関係を良好に保つ為に気を使わなくてもいい。

持ち込みばばあは、気づかせる事が役割なのかもしれない。

だから、持ち込みばばあは、持ち込みばばあのままでいい。

「さしすせそ」をしてもいい。

持ち込みばばあは、身をもって「さしすせそ」をしてもいいと教えてくれた尊い先生だ。

ありがたし、持ち込みばばあ。