昨日、「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、なるほどねぇ」と会社で叫んでいました。

感じの意味を理解せずに使っていた言葉があったんです。


そう、それはタイトルにもあります、

「シンチンタイシャ」


新陳代謝と漢字では書きます。

この先頭から2番目の文字「陳」って「古い」という意味があったんですね。
新陳代謝という4文字が並べば、古くなったものをはき出し、新しいものと交換するみたいな意味を感じていたんですが、「陳」という文字についてなんのひっかかりもなく年をとっていました。

で、この「陳」は中国茶の世界ではよく使われる文字。
「陳年茶」という文字が、烏龍茶にもプーアル茶にもよく使われています。

それで私の勝手な思いこみで、陳年茶というのは、ヴィンテージという意味合いがあると思っていたのですが、そうではなく、

「ただ古いお茶」

と根本的には解釈するのが正しいようです。

世間一般の陳年茶がただ古いだけなのかというと、そうではなく、「古い」とうことをふまえた上で、どのようにして「陳」となったかを追求する必要があります。

売れ残りが発生した、もしくは飲みきることが出来ず抱えてしまった茶葉に手を加えて延命した「人工」的な「陳」であるのか、それとも紹興酒の老酒やワインのように瓶や樽で寝かせることにより熟成される「自然」の「陳」であるのか。

この二つの「陳」の持つ意味は全く違ったものになります。

「自然」の「陳」がほったらかしにしていたら、たまたま出来たんですわ、という偶然の産物かも知れません。
でも
昨今、烏龍茶の「陳年」は、湿気を取るために焙煎を繰り返し、ほうじ茶となったものを高級かのように販売する傾向もありました。ただ、賢明な消費者は飲んでみてその味と値段とのバランスに不信感を抱きつつあり、いずれ淘汰されていくと思います。

昔は、「陳」年ものとなった茶葉にジャスミンの香りを付けて誤魔化して売りさばいていたことからジャスミン茶が生まれたそうです。包種茶の起こりも同じようなことです。

余った茶葉を捨てるのはもったいないからという自然の恵みを慈しむ心から生まれた発想でなさそうと言うところに、昨今の「陳」年ものの烏龍の高額ぶりに胡散臭さを感じてしまいます。安いお茶だと思いますよ。
昨日の村田珠光の「一紙」について師匠と話をした。

すると、

「そういったことを文章に残すのは、自分にそういった気持ちがあるから」

と言われた。


私がこの文章に取り憑かれたのも我が心に同じく悲しむべき執念やねたみそねみが存在する故。


まだまだ修行が足りません。茶を飲み続けるしかないですね。
只今、

千 玄室著『茶の精神』(講談社学習文庫)
を読ませて頂いている。

もちろん、文字が大きいから読みやすそうだという理由ではありません。

なにか得るものがあるのではという思いから、読み進めています。

その中で、村田珠光が古市播磨法師にあてた「一紙」という文章の現代語訳が掲載されています。

この道において第一にいけない事は、心の慢心であり、また執念である。我れこそぶることや、我がはじめの一念にこり固まって、他を顧みない事である。たとえば、練達の者に対しては、ねたみそねみ、初心の者に対しては見下す態度をとるなどの事は、一段と不都合なことがらである。よろしく、練達の者には近づいて、その道理をよく悟り、一言なりとも感嘆する機会をとらえる事だし、また初心の者には、いかにもして、ぜひ育ててやるべきものである。
この道の一大眼目とするところは、和漢の境地を融和させる事である。これはきわめて肝要な事で、詳細は次節で述べるが、心をくばらねばならぬ事である。
・・・・・・・・・・中略。
しかし、自分を無にするばかりではいけない。また、時には、自分を偉なりとする心持がなくてはいけないということが、この道である。この道の銘言として言われているのだが、
「心の師とはなるがよい、しかし、心を師にはするな」
と、昔の先徳も言われたものである。

という一文が掲載され、その後著者の解説及び利休の茶道の解説へと続く。

謙虚さと柔軟さ。そして軸となる自分らしさ。何事にも大事なことですね。



また、この書籍は今後の中国茶ひいては、あらゆる茶文化に待ち受ける未来の姿についても考えさせてくれる良い勉強材料となりました。

「歴史は繰り返される。」という恐ろしさ。
日本の茶道が辿った道、中国のお茶が辿った道、それぞれの歴史をもう一度振り返り、考える必要があるかと思います。


大衆化、商業主義・・・。


これらの言葉が茶を売るということについてはプラスであることは理解できるのですが、なぜか不安になるのは私だけでしょうか。

最後まで読んでみて、また感想を書きたいと思います。
皆様是非是非読んでみて下さい。
3月号の人民中国が届いた。

今年から隔月で以前紹介した棚橋先生が中国茶の新連載がスタートしている。前回に引き続き安渓を訪れた時のことが掲載されている。まだ、3月号はアップされていませんので、1月号の記事に一応リンクを→人民中国

それとは違い、興味深い連載がスタートするようです、それは、

「茶馬古道の旅」

チベットの馬と中国の茶を交換するための交易路を取材したものを紹介してくれるのだとか。

最近、この茶馬古道をいろんなことろで見かけます。
雲南省から茶馬古道を再現したキャラバン隊を編成して実際に歩いてみたもの撮影したDVDを見たこともあるし、特集で組んだ雑誌や旅行指南書などもよく見かける。3月の終わりには四川省の雅安で「茶馬古道」についての専門家の話し合いも行われるとか。

四川省の雅安には、茶馬司という役所の跡が今でもあり、四川省からのお茶の出発点となっていた。
お役人さんたちは、塩なんかと同じようにお茶にも税金をかけていたんです。茶馬司はそんな役所跡。

雅安には、蒙頂甘露で有名な蒙山もあり、ここでは、チベット向けのお茶を今でも生産しています。
それらは、康磚茶金磚茶といった種類のお茶で、プーアル茶と同じ黒茶に分類されています。

これらのお茶をチベットでは、ヤクのミルクと塩を混ぜて飲みます。
高地で乾燥も激しく、ビタミン不足になりやすいチベットの人たちにとってお茶は、なくてはならないものとなっています。
上海から始まった(一説にはインドからとも)といわれる世界同時株安。
アメリカのバーナンキ米連邦準備制度理事会議長の発言で落ち着くのではと思われ、あとは中国のバブルがどうなるか。

まだまだ加熱するでしょうね。


さて、そんな経済情勢はさておき、今日のお茶の話。

今日は、昨年の春の緑茶の在庫処分とばかり「大仏龍井」を飲んでいます。

大仏龍井は浙江省新昌県で採れる緑茶で、杭州の西湖龍井と同じ形状をしています。

なぜ大仏?と思うでしょう。

実は、この新昌県には、大仏寺というお寺があり、そこに486年から彫り始めた石造の弥勒仏がいらっしゃいます。
その高さ、13.23m。奈良の大仏さまが14.9m、鎌倉の大仏さんが11.4mですので、その間ぐらいの大きさです。
ちなみに奈良の大仏さんは乾漆造で、鎌倉の大仏さんは銅造です。
新昌の弥勒仏さんも同じく、座った形をされているそうです。もともとは立像だったのを1334年に坐像に改めたそうです。

ここからは、我が友人の作成した資料「アジアの巨仏」からの転載というかパクリ。

・坐像 中国甘粛省山丹県大仏寺の釈迦如来 35.0m
・椅像 中国四川省楽山凌雲寺の弥勒如来 71.0m
・立像 アフガニスタンバーミヤンの弥勒如来 55.0m・・・2001年喪失。
・胸像 中国四川省仁寿牛角寨の弥勒如来 15.9m
上記以外に日本の茨城県牛久に120mの阿弥陀如来さんがあったり、中国江蘇省無錫に88mの弥勒如来さんがいらっしゃるそうです。ただ、この2体は1900年代後半の作品であるため、我が友人は認めていないのですがね。

仏像にも様々な形があることを友人から教わりました。
その坐像ランキングの第14位に今回の新昌県の大仏寺の大仏さんがランクインしておりました。
ちなみに、友人の資料には、初代ウルトラマン40m、初代ゴジラ50m、ガンダムRX-78-2型18mといった参考が付いていましたが、どうでしょう?

こんな歴史ある大仏さんを名に頂くこのお茶。
1年経った今でも美味しく感じられます。
龍井なんて名前を借りなくても、ちんとした形で売り出せば良いのにと残念に思うしだいです。


気が付けがもう三月。
上海あたりでは新茶が高値で出始めているのでしょうね。
今朝、衝撃が走った。

近くにあるお寺にあっしが非常に気に入っている銀杏の木がある。
かなりの大木で、周囲の木々よりもひときわ高く、お寺の建造物よりも遙かに高い木でした。

春には青々とした葉を一面に付け、秋には鮮やかな黄色い衣に包まれたかのようにお色直しをする。

去年、その姿を写真に収めようとしたが、「毎年見られるものだから、いいか」と止めていたのでした。

そんな銀杏の木が今朝見てみるとばっさりと半分ぐらいの所から切られていたんです。切られた断面がこちらにも見ることが出来るほど、低い部分で切られており、その下の枝もばっさりと落とされていました。

今日一日のやる気がそがれました。
というか、毎回あの横を通る度に、悲しくなってしまいそうです。

あっしに所有権があるわけではないので、どうしようもない話ですが、あの銀杏様を切った植木職人はどんな気持ちだったのか。
ましてや毎日この木を見上げていたお寺の人たちは・・・。


タイトル通り、腰が砕けたというか、腰が抜けそうになるほど驚き、悲しみがあふれた朝でした。

ふざけているわけではありませんが、そんな腰つながりで今日は半天腰を飲んでいます。

武夷岩茶です。
半山腰という言葉があるようで、山の中腹といった意味があるそうで、天の半分ぐらいという意味なのでしょうね。
武夷山の山がそれほど天高くそびえているという意味なのか。
単にこのお茶が高い価値があるという意味なのかも知れません。

さあそろそろ重い腰を上げて、仕事に復帰するとします。
大学時代、ある先輩が、

「私が時計を見たらいつも、5:55とか11:11とか、数字が揃っているの!すごいでしょ?」

と車のデジタル時計を指してやや興奮気味に話してくれたことがある。

それを我が親友は、

「それは、珍しくないよ。ただ、人間というものは印象に残るものだけが記憶に残りやすいだけで、他の時間も勿論見ている。ただ、他の時間は記憶に残らない数字の並びだから思えていないだけ。例えば自分の誕生日なんかの並びなんかもよく見るなと思っているでしょ。それも同じです。」

と一蹴。

「え~、でもでも・・・。」

と先輩は食い下がっていましたが。


この情報が氾濫している世の中では、どうしてもこんな印象に残るものを売り出した人が勝ちを収めるという傾向にあります。
例え、その人が発した情報につじつまが合わないとしても。

先日あるサイトで、東方美人の高級品を販売している所を見ました。

東方美人の茶葉の新芽の部分だけを使って製茶した超特級品で、国賓に出す特別なものです。

でも、東方美人の説明では、ある虫が茶葉を噛んで、噛んだ際に虫の口から出た分泌液と茶葉の成分が反応して独特の香りと味が生まれるという東方美人の一般的な説明が書かれている。

さて、茶葉の新芽が出る季節、まだこの虫は発生していないであろう。
これは、東方美人が前から言われていることだが、新茶の登場と害虫の発生時期にずれが生じていて、かなり早い段階から新茶が売られている。

「国賓向け」という今までになかったランクのものや「新茶」という目新しさが人を惹きつけるのだろう。

また、先日「野生大紅袍」というものに出会った。

ご存じの形もいると思うが、大紅袍は福建省武夷山いや中国をを代表する烏龍茶といっても過言ではないほど、中国茶の世界ではトップブランドのお茶。

このお茶についての説明は、他のブログや中国茶サイトにお任せしますが、世間一般では、不自然に崖に生えている茶樹から採れる大変貴重なお茶と言うことになっている。でも、世の中には大量の大紅袍が出回っていますが、それは、偽物もあれば、株分けして作られたものもある。

でも、母樹となる茶樹はあの崖にある茶樹だけだと伝説や大紅袍の説明でされている。
だから、オークションなどで何百万という値が付く。

それなのに、現地の茶商が野生大紅袍というものを売り始めた。
おかしいですよね。野生って。

ほかにもあるじゃないか!ということになりませんか?

「伝説」というスパイスに人は惹かれ、冷静さを失う。
これは、武夷山の茶商達の売り出し方が優れていた証でしょうね。

雪国といっても、豪雪地帯の方からするとたいした積雪のない地方出身の私にとって、北風の感じで、翌朝雪が降るかどうかは当たり前のように感じることが出来ます。

昨夜もこの冬には珍しく北風さんが激しく戸を叩き、家々の間を不思議な音が流れていました。

暖冬と呼ばれるこの冬。
降るとは思っていませんでしたが、先ほど雪がチラチラ舞っていました。


今年は、暖冬です。
地球温暖化が叫ばれていますが、観測史を塗り替えましたという報道を聞くにつけ、

「ああ以前にもあったんだ。」

と、暖冬が地球温暖化の影響だけではなく、何年かに一度は起こる事象なんだと思うのです。

確か、4年前の2003年も暖冬だったと思います。

その年はお正月すぎの杭州で20度を上回るという異常気象で、その年の緑茶、特に四月上旬に茶摘みが行われる明前茶の質はガタガタでした。
穀雨(中国では谷雨・谷が穀の簡体字)頃のお茶は落ち着いていたのを覚えています。

その年は、4月を目前に急に雪が降ったりしてお茶にとっては最悪のコンディション。
新茶があまり美味しくなかったあの年が再現されるのではとヒヤヒヤしています。

でも、農作物ですから仕方がないですね。
自然と会話しながら楽しむのが、お茶を楽しむ一つの魅力です。

ちなみに、茶文化史を勉強していると宋代あたりから平均気温が3度下がり、茶産地もそれに伴い南方へ移っていったというのだそうです。
先日ある日中友好協会の事務局長さんと話をしていると、

現在静岡でマングローブを育てているところがあり、静岡で成長が確認されると亜熱帯、熱帯の北限がかなりあがってきているという証拠になる。

そんなことをやっている所があると聞きました。確か、中国でマングローブを植林して欲しいとの依頼があるという話から出てきた話題でした。

何年か後には、今の茶産分布状況も変わってきているのではないでしょうか?

今日は、祁門紅茶を飲んでいます。一般的には、キーマンと呼ばれているアレです。

普通はポットなんかでお上品に淹れるのでしょうが、あっしはあくまでも中国風。
茶葉をマグカップに放り込んで、お湯を注ぐだけ。
もちろん、ミルクも砂糖も入れません。

お湯を注ぐ前の茶葉は、本当に一般的に流通している祁門紅茶の茶葉とは比較にならないほど細かく、繊細な味を期待させるものです。

さて、お湯を注いでみます。
奇麗な色です。味も、ほのかな甘みがあり、雑な渋みもありません。今まで飲んだ中でも絶品ですね。

よっ!流石高級品!

と手放しで喜べるかと思いきや、カップの底に沈みし茶葉たちを観察すると緑茶白茶の白毫と銘打っている茶葉と比べてその姿の可哀相なこと。こういう製法なのかも知れませんが、切れた葉っぱはあるし、柔らかい新芽を丁寧に摘み、製茶しましたという感じが伝わってきません。

雲南紅茶などの大葉種でつくられた紅茶の良いものばかりを飲んでいるからでしょうか。
少し残念な気がしました。
これで胡座をかくようでは、雲南紅茶に負けてしまいます。
値段も雲南紅茶の最高級品はこの3分の1ほどで買えます。

まだまだ祁門紅茶の入り口に立ったばかりですので、本物に出会っていないだけかも知れません。

きっと出会えると言うことを信じて、今日はこの祁門紅茶を楽しみたいと思います。
(出会ったとしても、とんでもない値が付いているかも知れない・・・)

水によってお茶の味が変わるということは、お茶好きなら当たり前の話のようです。

詳しくは知りませんが、硬度だのpHだの、お水に含まれているミネラルの成分によってお茶の味にも影響が出るようです。

我が師匠の話によると、関東と関西で同じお茶を飲み比べてみると見事に味と香りに差が出てくるお茶があるそうです。
それは、


白鶏冠。

なぜ?

よく分かりませんが、このお茶はお水によってはっきりと味と香りに変化があらわれるようなんです。

で、それを聞いて是非是非やってみたい実験があります。

コントレックスやヴォルヴィック、エビアン、六甲の美味しい水、日田天領水などいろんな水を集めて、白鶏冠を飲み比べてみるというもの。

さてさて、どのような違いが出るのでしょうか。

私の予想では、硬度の高いお茶でいれると、武夷岩茶は美味しくなる。
そう思っています。

実験結果がそのように出た場合、中国茶のお店をしている人は、是非、武夷岩茶の注文があれば硬度の高いお水で淹れる。

そうすれば、安い武夷岩茶でもおいしく飲めるかも!!

お水の専門家で、中国茶にはまっているという人がいれば、現地のお水の成分を調べて発表して頂きたい。
その成分に合わせたお水を使えば、もっとお茶についての発見が出来ると思うのですがね。

以前にも同じような内容のことを誰かに話したか、ここで書いたか記憶が曖昧です。
重複しているようでしたら、あいつボケたなと思っておいて下さい。