杭州から第一報がはいりました。

今年は気温が低かったため、龍井の生産量が少ないとか。
ですので、おのずと価格に跳ね返っているそうです。

えらいこっちゃ。

でも、その分味が凝縮された茶葉に仕上がっているかも知れません。

一つ首をかしげるのが、


今年は暖冬だったはず・・・・・・・・。

昨年の8月頃にもらった鉄観音を出してきて飲みました。
茶葉の色はあまり好くないのですが、香りは抜群。

福岡から来た友人とそのお友達と一緒に飲んだんですが、すこし古いものとは知らずお客様達は大喜び。

いやぁ、もらった先がいつも美味しいお茶を提供してくれる広州の茶商ですので、そこのお茶はすごいんだなと改めて感心したのでした。
珍しくジャスミン茶を飲みました。
ベースとなっているのは、江蘇省の蘇州で採れる有名な碧螺春という緑茶です。

これにジャスミンの香りがついています。

ジャスミン茶は福建省の福州の近郊や福安、福鼎といった地区で生産されているものが有名です。

このジャスミン茶は、『福建茉莉花茶』という1984年に福建科学技術出版社から出されている本によりますと、いろいろな文献に登場しており、歴史としては700年ほどあるというから、かなり古いものですね。

もともとは、熱帯気候を有する福州近郊で作られていたようですが、その後に台湾、四川、蘇州と生産地が拡大したようです。
その要因に戦争もからんでいるような書き方がされていました。複雑な心境です。

戦争により、運搬ルートが遮断され、消費地へ運べないことから、生産地を消費地に近いところへ移したということでしょうか。
1850年ごろには、北京や天津の茶商が福州で大量にジャスミン茶を生産し、東北や華北へ売りさばいていたようです。その後、発展し、天津、河北、山東、安徽、広東、江蘇や福州の茶商が大々的に商売をして、ジャスミン茶が大発展を遂げたそうです。

19世紀の終わりに頃には、外国人の商人が買い付けに来て、欧米や南へと売りさばいたようです。

1800年後半に台湾及び四川へジャスミン茶の技術、苗が伝わり、抗日戦争で福州の海運が阻隔され、1938年ごろ安徽や蘇州の茶商が蘇州にジャスミン茶の製茶技術を入れ、蘇州のジャスミン茶が発展したそうです。

これだけの記述が全てとは思いませんが、兎に角、茶商の努力によりいろんなところでジャスミン茶が作られるようになったそうです。
その恩恵をいまあっしが受けています。

今日のお茶の感想はといいますと、碧螺春の苦味が邪魔をしている感じが私には少し残念です。
丁寧に淹れる必要がありそうです。
古くからの知り合いに久しぶりに会うと、彼女は占い師に弟子入りして修行中だという。それもかなりマジで。多分そのうちどこかの街角で机と椅子を持ち出していたりするのではないだろうか。
手相から、風水などなどいろんな手段?を使って相手のことを観るらしい。

で、あっしの手相を観て、発言をした言葉が、

「独立とか考えてない?」

といったとんでもないもの。しかもあっしの雇い主の目の前で。長いものに巻かれて過ごすことに生き甲斐を感じているあっしにとって、独立とは全く縁遠いお話しである。でも、大まじめに

「あと5年で一つの波が来る」

と告げ、

「詳しいことが知りたい勇気があるのなら、また言ってね。」

と去っていった。

リストラでもされるのでしょうか・・・・・。


この話が頭の隅っこにこびりついている。
もう1年ほど前の話を覚えているのだから、よっぽど心に刺さっているのでしょう。

そんなことを思い出したのは、実は今日、一つのある事業といいますか、プロジェクトの話が持ち上がりました。
この場で取り上げるぐらいなので、中国茶についてです。

知り合いの予言とこのプロジェクトが結びつくのか。でも4年も先でないと独立するほど大きな成果を上げないプロジェクトに果たして未来があるのでしょうかねぇ。

ただ一つ言えることは、このプロジェクトが成功していたとしても、あっしがトップに立っていることはないでしょう。なぜなら、長いものに巻かれることが好きだから。偉い人の下で、コチョコチョ動くのが性に合っている気がしますのでね。
1999年12月号の「人民中国」を見ています。

今更なんで古い記事を見ているのかといいますと、会社をスリム化するべく、過去の雑誌を整理しているんです。で、使えそうな記事があればスクラップブックに収める。そんな作業をしています。いったい何の仕事をしているのやら。

さて、今見ている記事は、「観光開発と環境保護のはざまで-武夷山の取り組み」

今では、世界遺産として登録され有名となっている武夷山ですが、記事によると1979年に外国人に解放され、1994年に武夷山空港がオープンしたそうで す。世界遺産登録へ向けて準備をすすめている最中と書かれていますが、一応1999年に世界遺産となっているはずなんですが・・・。この記事の出た12月 に世界遺産と承認されたのでしょうか。

この当時でも武夷岩茶の大紅袍は高値が付いていたようで、1998年の競売では20gが約16万元(約240万円)だったという記事も掲載されています。

いつからこんなに高値で取引されるようになったのでしょうね。
競売の歴史を調べてみたくなりました。
『紅茶の事典』荒木安正・松田昌夫(柴田出版)を広げています。

うしろのほう、265ページに紅茶の起源と題したコラムらしきものが掲載されています。

そこには、

「・・・17世紀に入ってはじめは「緑茶」が主体の中国茶がオランダ人達によってヨーロッパ諸国へ、そしてイギリスへ運ばれていった。小規模農家による緑茶作りは、まず山中・山麓にある茶畑で茶樹の葉を摘んで、竹籠などに入れて自宅(農家)までの長い道程を運ぶ。この間に生の茶葉は自然に傷んだりこすられたりするうちに酸化を始めるし、持ち帰った後にムシロや竹の大皿に広げて“日干し”するうちに茶葉の酸化はさらに進む。つまり茶農家としての製茶の方向は“主として緑茶”であったが、でき上がった“荒茶”の一部、あるいはかなりの程度で“酸化発酵をしているもの”(今日でいう紅茶)が混じってできていたものと推定できる。中国国内での茶に対する需要の過半数は、一部の地域を除いても今日でさえも“緑茶”であり、特に東西の交易が盛んになった17~18世紀には、酸化発酵が進んでしまって茶葉の外観が“黒くなった下級の茶葉”(紅茶)は、「中国人にとって余分なもの、不要なもの」であり、「低品質の粉緑茶や茎茶」と合わせて紅毛碧眼のヨーロッパ商人に売り渡した。当然、主たる得意先のイギリス茶商人達は、茶葉の外観野色によって彼らなりの大区分をし、茶葉の色が“黒いもの”を「ブラックティ」と呼び、緑系統の“緑茶”を「グリーンティ」と呼んだ。・・・」

このようにして、下級品のお茶が、商人たちによってヨーロッパでは高級品に化け取引をされたようです。
昨日の仕事の休憩時間にテレビを見ていました。
地元のローカル番組に、全国ネットの番組にグルメとして登場している布をねじねじまいて首からぶら下げているオジサンが出ていました。偶然、宇治でハウスものの新茶が摘まれ、高値で販売されますといったニュースについてコメントをしていた。

すると、

「俺はこの前、中国で100gが1000万円するお茶を飲んだよ。」

周囲の人

「へぇ~。すごいですね。」

そのオジサン

「それがおいしくないんだよ。」



・・・・・・。

画面を見ながらしばらくこのオジサンへの憎しみが抑えられませんでした。

このオジサンが飲んでいた番組を茶友に教えて貰い、その時の内容を調査してだいたいのことを調べ上げました。確かにそんな金額に値するものだということは分かっています。

でも、その番組に携わり、お茶を淹れた人のブログには、

「流石、○○さん。このお茶について素晴らしい表現で褒めて下さいました。」

みたいな喜びのコメントが掲載されていました。

グルメタレントさんだから、その場で褒めなければならない立場にいるということは、重々承知しております。
でも、こういった人たちの影響力というものも考えてもらいたいものです。飲んでみて美味しくなければ、取り上げることをやめるぐらいの勇気を発揮して頂きたい。でないと、そのお茶が美味しくないであろうと知っているあっしたちには、

「ああ、この○○さんは味についてうるさく言っているけど、実際は分からないんだ」

と思ってしまいます。実際に、思っていました。

でも知らない人たちは、

「すごいんだ。」

と反応してしまう。それに乗じて商売人は本当は価値のないお茶を高値で売り抜ける。
結局は、知らない消費者が踊らされるだけなんです。

それであれば、明石家さんまさんのように、同系統のお茶を飲んで、

「番茶みたいだ」

と素直にコメントする方が、まだ嘘をつくよりも親切だと思います。
こっちであれば、お茶に携わる人間としては、

「もっと美味しいお茶があるんだよぅ。あっしらが広げる努力をしなくては。」

と前向きな気持ちになるんです。

1000万円するお茶を出したのは、商売人だと思います。商売人は諸々の事情は百も承知だと思います。でもそれに係わった純粋なお茶人の気持ちを裏切ったことにあっしは怒りを感じます。
これだったら、納豆の製造者たちを裏切った番組と同等だと思います。

もし、上記のようにブログで純粋さを表現していた人が、商売人とグルであった場合、あっしはそいつらも許しません。
こいつらが美味しいお茶に出会わないように念力を送り続けて、呪ってやろうと思います。
小学生の時、父親がオーストラリアに旅行に行き地図を買ってきてくれた。

その地図には今まで描いていた世界が逆立ちをしていた。
幼いながらに衝撃を受けたことを今でも覚えている。

その衝撃を自分の身体に吸収できていないことを痛感させてくれる友人がいる。
彼は、あっしにとって、師匠であり友人であると同時に、データバンク的な存在で、あっしが勝手にブレーンと称して利用する何人かの1人。
歴史のことを調べる時は、必ずと言っていいほど彼の意見を聞く。

「○○について知ってる?」

とメールを送ると

「○○先生のこんな本や○○さんのこの本のここにこんなことが書いてあるよ。それか、こういった角度で調べるなら○○さんのこんな論文もある」

と的確な解答が帰ってくる。だから、あっしのブレーンとして採用して使いたい時に彼の情報を引き出させて頂いている。その見返りは缶コーヒーかお茶だけ。たまにご飯をごちそうするぐらい。彼もあっしの歴史を知らないということにほどこしをするかのように知識を与えてくれる。

でも、彼の本業は、モンゴルの研究である。
だから彼の頭にある地図は、モンゴル、中央アジアが中心となっている。
また、彼の異常能力の一つが、平面の地図を眺めているとそれが、3Dの立体となり、山はそびえ、川は流れ、風が吹き、眺めていると季節も変化するとか。それに加え、その立体的な地図が360度回転するそうで、この景色をモンゴルから眺めるとこんな風景で、ここからこういう感じで攻めるんだよといとも簡単に戦争ごっこを始める。

戦国絵巻を眺めていると武将たちが「ワーッ!」って動くそうです。

摩訶不思議な能力です。

話がそれてしまいましたね。

そんな彼曰く、中央アジアの人たちにとって中国は東に接している一つの地域であって、南のチベットやインド、西のイランなんかも勿論視野に入っている。たまたま茶茶の伝播について話をしていると、チベットの地域は中国からの仕入よりもシッキムやアッサムといった地方からインド人がもたらすダージリンの方が量的には多いのではといった話もでてきました。

どうしても、あっしなんかは中国、なかでも漢民族を中心としたものの考え方に偏ってしまうのですが、それでは視野が狭くなり、いろんなものが見えなくなってしまうと言うことがよく分かります。

現代の地図を見て国境を表す線も、現地の人たちにとっては、全く意味のないものであったりします。
研究する対象によって、広げる地図も変える必要があるようです。

ただ、いくら頑張っても私の地図は平面のままですが・・・。
本日、写真家のT氏がやってこられました。
昨年の秋からこの2月まで、雲南省へ語学留学し、その後茶樹王や茶畑、茶馬古道などを追いかけて雲南省南部を走り回って写真を撮って帰ってこられたそうです。
また、来月の上旬から現地に取材に入られるそうです。

見せて頂いた写真はやはりプロの仕事。
奇麗ですね。

はやく写真集がでることを望むばかりです。

農家に寝泊まりして写真を撮っただけあって、人々の顔から警戒したものを感じません。
自然な雰囲気が素敵です。


さて、Tさんの話を聞いて残念なことがありました。
それは、古茶樹から製茶されるプーアル茶を求めて多くの人が山へはいるようになったそうです。やはり古茶樹から出来ているというものは市場での価値も上がるので、投機目的の買い占めが行われているようです。

それに伴い、今までは自然とのバランスを考えた茶摘みが行われていたのが、今では茶摘みのために木の枝を切り落とすといった悲しむべき行為がなされています。

雲南省の古茶樹は背が高く茶摘みをするためには木に登る必要があるんです。木に登り、芽を選ぶ手間を省くために枝ごと切り落とす。

森林監督のために監督官が村に常駐して監視をしているようですが、悲しむべき行為に歯止めがかからない状況のようです。

このままでは古茶樹に危機が訪れることは明らかでしょう。

現地の出荷価格がこの10年で100倍にもなったとT氏は聞いてきたそうです。
現地の方が潤うこの行為、止めることは難しい状況です。
このテーマは、茶器かどうか疑わしいですが、とりあえず茶器というくくりにしてみました。


師匠が、景徳鎮で有名な作家の方々から磁器製のものをいろいろもらってきた。

なかでも圧巻なのは、



豚。



そう、単に豚なんです。驚きですよ、ほんとに。

石をカービングして作ったと思えるほど上手くできた豚。


なぜか。


今年は亥年。亥年の亥は現代中国では豚ですので、豚がやってきたということです。
ちなみに、イノシシは野猪と書くそうです。

家畜か野生かの違いで、猪か野猪となり、豚という漢字は現代では使わないそうです。
項羽と劉邦の鴻門の会の場面を描いている文章では豚という文字が出てくるようで、古典では使用されるようですね。時代を経て豚を使わなくなったようですが、既に豚という漢字を輸入していた日本では、今でも豚と猪を分けて使っているようです。

で、もう一つ皿ももらってきたのですが、こちらは超縁起の良い図柄でうめつくされています。

まずは、勿論主役の豚。今年は何年に一度の金の豚のとしだそうですね。これが2匹。多分雄と雌を表しているのでしょうね。陰陽なんかも表現しているかも知れません。
そして、金元宝(お金)。
子宝の象徴ザクロ。
金魚=金余(お金が余るといった表現)に使われる魚(余裕があるという意味)。
えーと桃は何の象徴だったかわすれましたが、桃。
それにブドウ(これも子孫繁栄だったかな)。
蓮(泥の中から奇麗な花を咲かせる再生の象徴だったかな。もしくは連続の連と同音でずっとつづくという意味)。
福=蝠(コウモリ)これも同音。
喜が二つ並んだ双喜
などなど。

これでもか!これでもか!と縁起物が描かれています。

よく中華料理屋さん中で福という文字が反対になっている事があるかと思います。
あれは、倒と到が同じ音で、「福が到る」ということを表していますが、あれと同じです。


こういった図案は茶器なんかにも多く採用されており、その図が持つ意味を感じ取って茶器選びをしたいと思います。