初の幼名!? | 茶々姫をたどる汐路にて

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まさか、まさかの「初」が本名ではない…?
若狭歴史民俗資料館のテーマ展に関する記事で、別のところに驚いてしまいました。

1609年ごろに書かれた初の自筆書状も展示。禅宗の教義の内容について書かれており、江戸の東禅寺の嶺南和尚に質問した書状と推測されている。初の幼名は「御鐺(おなべ)」「於那(おな)」。書状には「な」の署名がある。(記事より引用)

以前、忠高の母山田氏(崎?)の名が「おな」だという話を聞いたことがあったのは、これと何か関係があるのでしょうか…。山田氏の名前は結局「崎」でいいのかな?

twitterのフォロワーさん情報によると、若狭歴史民像資料館の学芸員をされている有馬香織氏が、「な」と署名された書状を不思議に思って、江戸時代の若狭の書物や丸亀藩の史書を調べた所御鐺(於那)という名前が判明したというお話を講座でされたそうです。

そういえば系図以外で初の名前が見える一次史料って思い当たらないかも…
茶々姫は自身「ちゃ」と署名した書状や、秀吉が「おちゃちゃ」と宛名を記した書状があるし、江は「五」と署名した書状があるけれど…
初の場合は、江が宛名に書いた「しゃうもじさま」くらいしかないのでは…

是非、その書物を拝見してみたい!

そして、すごい書状を見に行きたくなりました。しかし、湖北からならともかく、ここからは遠いな…

「初」ゆかりの資料小浜で披露 肖像画や自筆書状など30点(2011年4月10日午前7時25分)
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/event_calture/27449.html
(福井新聞)

 小浜藩主京極高次の妻で、浅井三姉妹の次女・初(常高院)に関連した多数の初公開資料を並べたテーマ展「戦国三姉妹 初」が9日、小浜市の県立若狭歴史民俗資料館で開幕した。常高院の肖像画や、初の守り本尊「弁財天像」、自筆書状など貴重な資料が展示されている。5月8日まで。

 NHKの大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」に合わせ、初とゆかりの深い小浜をアピールしようと、同館が1年以上かけて準備した。

 肖像画「絹本著色 京極高次夫人(常高院)像」は、草花模様の小袖をまとい、片ひざを立て座っている常高院の姿を描いている。弁財天像は、常高寺の鎮守としてまつられ、今回初めて公開された。

 1609年ごろに書かれた初の自筆書状も展示。禅宗の教義の内容について書かれており、江戸の東禅寺の嶺南和尚に質問した書状と推測されている。初の幼名は「御鐺(おなべ)」「於那(おな)」。書状には「な」の署名がある。

 このほか、県指定文化財の地図屏風(びょうぶ)や市指定文化財の地蔵十王像など、16点の初公開(1点は修復後初公開)資料を含む計30点を紹介している。

 舞鶴市から訪れた辻和俊さん(74)は「肖像画はお初さんの人柄がとてもよくくみ取れる資料。ポスターなどで見たことはあったが、やはり本物は良い。友人を連れてまた来たい」と話していた。

 同資料館の学芸員、有馬香織さん(36)は「お初さんが小浜の人々にどのように慕われていたか、文化財を通して感じていただけたら」とアピールしていた。同展期間中の13、27日は休館。

…というわけで、驚きはとりあえず封印して明日の講演準備に戻ります。