主人の知人がお墓参りの予定でしたが | chachaのブログ

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日常生活の一齣を切り取って、皆さんにお届けします。

   雨で我が家へ

今朝、6:00頃になって茶々丸と風子がトントン トントン と二階へ上がってきました。

茶々も一緒に上がって来たのですっかり元気になったと喜んでいました。

 

ところが何時も雨戸を開けると窓からベランダに跳び出て行く茶々丸なのに、私の枕に座り込んだまま動きません。

えっ、また変になったのかしら・・・と不安にかられました。

しかし私が下に降りれば風子はさっさと先に階段を駆け下りて行き、茶々丸はゆっくり私の後から。

何か変だなあと思いながら、キャットフードを上げても茶々丸は食べようとしません。

風子は問題なくカリカリ カリカリ。

茶々が食べないならまたチュールをと、風子に食べられないように別の部屋に器を持って行ってチュールを出してあげました。

でも少し食べただけで、残りは風子がペロペロ ペロペロ

 

それでも茶々丸も少し食べたので安心していたら、下のマットの上に嘔吐。

良く見るとまたマットの欠片が2 3個混ざっていました。

あぁ これが原因で食べたくなかったのだと分かりました。

 

でも吐いてしまったら気分が良くなったらしく、餌を要求する元気が出てきました。

それからはもう平気です。

多分マットの欠片もこれで全て吐き出したことでしょう。

こんな事で午前中は茶々の体調が気になったり、安心したので買い物に行ったり。

 

ドラッグストアーでの買い物(キャットフード)が終わって外に出ると、雨がポツリ ポツリ

えっ、やっぱり雨が降り出してしまった。

 

知人から連絡が入るのは15:00頃

どうか知人のお墓参りが終わるまで降らないでと祈っていました。

でも空は一向に明るくならず、次第に暗くなるばかり。

暗くても良いから雨が降りませんようにと祈る気持ちで時間を過ごしていました。

 

しかし雨は益々本降りに。

これではお墓に行くのは無理です。

お墓ではなく我が家に来ていただく事に決めていました。

知人からお電話を頂いたのは15:00少し過ぎ。

電話を掛けてくださった場所が何処からか分かりませんが、雨が降っている事が分からない場所だったようです。

兎に角雨ではお墓は無理なので我が家に来てお線香をあげてくださいとお願いしました。

 

知人が小作駅に着くのは15:49との事。

雨の中駅にお迎えに行き、其の儘我が家へ。?

車の中では、我が家にも数回来てくださったことや、主人と友田のアトリエで過ごしたこと、先日来てくださったお仲間さんとの電話のやりとりの事等を話しました。

 

家に入ってお線香をあげてから、昔の懐かしい景気がよかった頃の会社の話になりました。

多分主人が一番年上だったのかもしれません。

ボーナス時に主人が頂いたボーナスのお札の厚さを指で示して、

「ぼくもあんなに貰えるようになりたいなぁ。」 と思ったとか。

東芝の3億円事件は、当時の主人のボーナスも入っていたと聞いたとか。

 

懐かしい昔の話をしていると、時間はどんどん過ぎていきます。

知人は明日からその昔の会社の仕事で、会社の人と小田原へ行くようです。

今日はその会社の人の家にお泊りの様です。

 

雨は一向に小降りにならず、東青梅駅から17:○○分のバスで会社に行くと言っていました。

そしてまた私が東青梅駅まで送っていくことになりましたが、そこまで行けば会社はそれ程時間が掛かりません。

それに私にとっても懐かしい場所です。

主人が勤めていた頃どんな物を作っているのか見せようと、会社に連れて行ってもらったこともあります。

雨の中 車を走らせていると、さぞかし辺りは変わっているだろうと思ったのに、青梅の山の中なので開けるより逆に寂しい田舎になっていました。

 

お喋りしながら会社まで着くと、懐かしい時間も終わりです。

主人の思い出の人や場所に出会うのは、私の心もかなり癒された時間となりました。

 

そうそう風彦の墓石を作ってくださった方は、矢張りこの会社で働いていた人との事。

その人の石像が、福生の駅前に有ると教えていただきました。

今度福生の駅に行ってみようと思います・・・どんな石像か楽しみです。

 

             第20回   平行移動

     昭和天皇崩御の時代の社会情勢を描いたのだと思います。