本日もブログをご覧いただきありがとうございます。
新年早々から、甚大な災害が起こっています。
まずは、被災された方々の安全と被災地の復興を願うばかりです。
3月11日のあの瞬間
東京や神奈川で生活していると、幸運にも大地震への遭遇がほとんどなく、東日本大震災を経験した時は、震度5強でしたが非常に恐怖を感じました。
当時は、営業訪問前の為、 銀座にいたのですが、地震が起こった際、高層ビルが大きく揺れ、車が停まり、しゃがみこむ人もいました。
「地球が怒っている」
地震が起こった際に、パニックになるのではなく冷静に、揺れ続ける高層ビルを見ながらそう感じました。
震災のあった東北を訪れる
震災から2ヶ月後、私は石巻市にボランティアとして行ってきました。
当時石巻市では、ボランティアの受付は行っていなかったのですが、
会社のスタッフの実家が壊滅したため、会社の社員の為と言う名目で有志らでバスをチャーターして石巻へ向かったのでした。
金曜の夜に出発し、土曜の朝に石巻へ到着しました。
現地に着くと、被害状況を一望できる高台へ向かいました。
そしてそこから街を見下ろし、被害の様相を見て言葉を失いました。
自分1人ではもちろんですが、家族で「少しずつ頑張っていこう」という言葉も、ここではあまりに途方もないと感じます。
高台から見た変わり果てた街並み
この被害状況を見て、本当に同じ日本にいるのかと不思議に思うほどでした。
その後、私たちはスタッフ実家の清掃活動を行いましたが、
数十人の大人が駆けつけても、1日で終わるような作業量ではなかったのです。
これを1人や、家族数人で行ったところで果たしてどれぐらいの時間がかかるのでしょうか。考えただけでも気が遠くなりそうです。
頑丈な車でさえ、原型をとどめないほどに潰れてしまっていました。
捜索を終えた場所を示す“捜索済”の張り紙
この日、私たちは夕方まで清掃活動を行い、石巻を後にしました。
活動を通して感じたこと
変わり果てた景色、1日では到底終わらない気の遠くなりそうな復興活動など、たった1日の活動とはいえ、強烈に焼き付いています。
テレビや写真では伝わることのない圧倒的無力感もありました。
能登半島での地震においても、自然災害の恐ろしさ、圧倒的な破壊力をテレビを見ていても伝わってきます。
現地では、我々が思う以上の恐怖感であったことでしょう。
余震が続いていますが、能登半島ではこれ以上の被害が増えないことを祈りつつ、微力でも支援をしていきたいと思うのでした。
本日もご覧いただきありがとうございました。