新たな挑戦
コンニチハ
高橋宙無です。
俺は今感じてることがある。
“使いやすい役者”
とはどんな役者だろう。
最近、新ドラマが続々スタートしている。
しかし出演者はいつもお決まりの役者の方々が名を連ねてる。
やはりいい役者は使われ続けるのだろう。
でも、俺はそこに真新しいものはないように感じてしまう。
前にも同じような役だったじゃないかと。
先日、ある役者の方と酒を飲んでるときに、その方が仰っていた。
『映像は、一度イメージがつくと、そのイメージの役ばかりが来る』
それは役者にとってとてもありがたいことだが、
逆を言えば、イメージを覆すような新たな役柄に挑戦することは難しくなってしまう。
そんな現実を俺は心のどこかで否定していた。
役者は常に見たこともないような新たな自分を魅せていくべきだと。
だから芝居になると、俺はいつも何か奇抜なことをやらかしたくなってしまう。
『なんかやってやろう』
『なんかしなくちゃ面白くない』
『見たことのないような自分を魅せてやろう』
と自分の中でずっと思っていた。
そして常に新たなキャラクターや奇抜な芝居をすることが自分の“挑戦”だと思っていた。
しかし、ある人に言われた。
『おめぇの芝居固いよ。それじゃ使えないよ』
グサッときた。
イラッともきた。
確かに、役者として金を貰うには、まず本人に人を引き付ける魅力がなきゃいけない。
そして、その魅力的な人がそのまま自然に生きているのが今求められているものなんだと。
俺には自分の魅力がなんなのかわからなかった。
でも負けたくなかった。
そんな不満をぶちまけた。
その人は、そんな俺をムービーで録画した。
そして録画したありのままの自分を見せられ、あっけなく
『これでいいんだよ』
と言われた。
『何もしなくていいんだよ』
と。
なんか心に突き刺さった。
確かに、
俺はいつも『何をやらかすかわからない』面白さはあるが、
『現場を任せられない』不安がある
と言われていた。
これから職業俳優として本気でやっいくには
“求めているものを与える”
ことが必要なのかもしれない。
だから
“何もしないこと”
が俺の新たな可能性ならば、その挑戦に挑もうと思った。
そこには大きな不安がまとわりついているが、
どれだけ役柄を自分に近づけて、どれだけ自然体でカメラの前に立てるか試してみたい。
それが新たな自分の可能性だと信じて。
俺はとことん挑戦し続ける。
高橋宙無です。
俺は今感じてることがある。
“使いやすい役者”
とはどんな役者だろう。
最近、新ドラマが続々スタートしている。
しかし出演者はいつもお決まりの役者の方々が名を連ねてる。
やはりいい役者は使われ続けるのだろう。
でも、俺はそこに真新しいものはないように感じてしまう。
前にも同じような役だったじゃないかと。
先日、ある役者の方と酒を飲んでるときに、その方が仰っていた。
『映像は、一度イメージがつくと、そのイメージの役ばかりが来る』
それは役者にとってとてもありがたいことだが、
逆を言えば、イメージを覆すような新たな役柄に挑戦することは難しくなってしまう。
そんな現実を俺は心のどこかで否定していた。
役者は常に見たこともないような新たな自分を魅せていくべきだと。
だから芝居になると、俺はいつも何か奇抜なことをやらかしたくなってしまう。
『なんかやってやろう』
『なんかしなくちゃ面白くない』
『見たことのないような自分を魅せてやろう』
と自分の中でずっと思っていた。
そして常に新たなキャラクターや奇抜な芝居をすることが自分の“挑戦”だと思っていた。
しかし、ある人に言われた。
『おめぇの芝居固いよ。それじゃ使えないよ』
グサッときた。
イラッともきた。
確かに、役者として金を貰うには、まず本人に人を引き付ける魅力がなきゃいけない。
そして、その魅力的な人がそのまま自然に生きているのが今求められているものなんだと。
俺には自分の魅力がなんなのかわからなかった。
でも負けたくなかった。
そんな不満をぶちまけた。
その人は、そんな俺をムービーで録画した。
そして録画したありのままの自分を見せられ、あっけなく
『これでいいんだよ』
と言われた。
『何もしなくていいんだよ』
と。
なんか心に突き刺さった。
確かに、
俺はいつも『何をやらかすかわからない』面白さはあるが、
『現場を任せられない』不安がある
と言われていた。
これから職業俳優として本気でやっいくには
“求めているものを与える”
ことが必要なのかもしれない。
だから
“何もしないこと”
が俺の新たな可能性ならば、その挑戦に挑もうと思った。
そこには大きな不安がまとわりついているが、
どれだけ役柄を自分に近づけて、どれだけ自然体でカメラの前に立てるか試してみたい。
それが新たな自分の可能性だと信じて。
俺はとことん挑戦し続ける。