新しいスタイル、時代を切り開くパティシエ(尾形剛平:アンリ・ルルー) | Cercle des Chefs セルクル・デ・シェフ

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テーマ:

Vol.6 新たなスタイルの確立、

      時代を切り開くパティシエ





「パティシエは、お菓子をつくるだけがパティシエではない。」


時代は常に生まれ変わり、人々は新しいものを手にする悦びを覚えました。 ただお菓子を作ればよかったその時代は終わり、世間がパティシエに求めることはこの近年でずいぶん変わりました。


常に新しいムーヴメントを興し、さらにはフランス・ブルターニュの名店「アンリ・ルルー」をシェフ・パティシエとして日本に浸透させた尾形剛平氏と、この21世紀という次世代を、現代(いま)のパティシエはどう切り開くべきなのかを語り合いました。





- おはようございます、今日は朝早くからありがとうございます。 ルルーさんのブティック訪問はひさしぶりなのでこの日がとても楽しみで。


いえ、こちらこそ有難うございます。 今年は秋の訪れも早かったから、秋の食材も存分にたのしめたし、もう冬の素材も並んでいます。今日は旬のルルーも、是非見ていってくださいね。


- ありがとうございます!今日はセルクル・デ・シェフ連載企画「クローズアップ」第6回です。

いつも会の活動にご協力いただき、そしてこのたびはご登場いただきありがとうございます。



いえ、こちらこそ!今日はよろしくお願いします。



-尾形シェフのことはこれまでもお話ではよく伺っていましたが、今回のセルクル結成時がはじめましてでした。 今日の取材にあたり経歴を改めて教えていただきましたが、最初はスリジェにいらっしゃったんですね。




そうなんです。調布のサロンドテ・スリジェに2年半かな、フランス菓子の基礎を原社長のもと教えていただきました。


-原さんといえば、業界のゴットファザーのような存在です。どんな修業期間でしたか?


とにかく基礎中の基礎から、原シェフだからこそ学べる沢山のことを勉強できました。厨房にいると、日々感性が研ぎ澄まされていていく気がしました。 原シェフは、もと和菓子職人でらっしゃるんです。


-あ、それは知りませんでした。


そうなんですよ。だから、とにかく手先が器用で。小さくて細かい仕事を、どんなときも丁寧に丁寧に仕上げていくんです。 それは表面的なケーキのデコレーションはもちろん、先輩の仕事の準備をすることだったり、この業界では「小さな仕事が、物凄く大事」 ということを教えてもらいました。



-それで、ドゥー・シュークルへ。


やっぱり、フランスに精通したシェフのもとで働きたかったんです。

ドゥー・シュークル(現シュークリー)の佐藤シェフは長らく本格フランス菓子に、それも都心で携わってこられた方だから。

22歳でドゥー・シュークルに入って、24歳のとき、スーシェフというポストを与えてもらいました。

そのタイミングで北千住のマルイに支店を新規オープンすることになって、お店の立ち上げからシェフ兼責任者として現場をまかせられたり。

たった24歳の僕には大役だったけど、本当に毎日が勉強だった。沢山のことを得られたと思ってます。




-またとないチャンスですよね。24歳のパティシエにとっては、その分責任も大きくのしかかったと思いますが。そのころですか?「メープルスイーツコンテスト」で優勝されたのって。



そう、、かな。 年齢では28歳のときだったから、厳密にはその数年後ですね。





勝ち取った、初代チャンピオンの座



-この大会はどんな大会だったんですか?



この大会は、メープルシュガーの日本の市場拡大も目的にカナダ大使館なども後援について開催されて、僕が出場したのは記念すべきその第一回目でした。


そもそもこの大会に感じた一番の魅力は、かねてからの憧れだった高木シェフが審査員をつとめられていたこと。シェフの名前を見つけて、実はかなり嬉しかったんです。もし僕のお菓子が高木シェフの目に止まるなら、すごく魅力的なことだと思って参加を決意したところもありました。



-わたしは町場のほうが馴染みがあるのでどちらかというとコンクールはあまり詳しくないんですが、それでもコンクールは技術だけではないということは知っています。

たとえばPR力だったり、、うーんと何て言ったらいいかな、つまりは仰るとおり いかに審査員の目に止まるように工夫するかとか。




そうなんです。僕も同じように思っているし、当時もそうでした。

グランプリは、大変光栄な結果でした。でも、そうですね、、出場するからには優勝したいと思って、お菓子の内容や技術に関してはもちろん、違うところもやはり意識して準備しました。



-違うところ?たとえばたとえば??



高木シェフのお店に通ってね(笑)

ショーケースなどを見て、お菓子のデコレーション、飾り方を勉強したり。 ショーケースはシェフのセンスの現れだから、審査員であられるシェフのセンス、要するに好みですよね。そういったものを自分の中に取り込む努力をしたりね。



-わあ、徹底してますね。でも、大会って審査員の好みは大いにあると思います。

それこそどういうカラーのお店で修業してきたか、それが審査員のシェフとはまったく違うカラーだったりすると、不利になる場合もありますしねぇ。




どうしてもね。

あとは作品のネーミングもこだわったかな。 第一回目の開催だったから、それこそ「Premier d'érable:プルミエール・デラブル」と名付けました。




-たしかに、第一回第回のグランプリのお菓子が「プルミエール・デラブル」。美しいです!笑

それでこのお菓子(写真を眺めながら)、メープルのビスキュイに、ピーカンナッツ、ああ、底面にはメープルキャラメル塩味のガナッシュに、カリカリのシュトロイゼル生地でアクセント、、ですか。

わああ、すごく食べてみたいんですが、このお菓子をたとえば今アンリ・ルルーでやろうとか、そういう発想はないんですか?




そうですね、、これはいつかの引き出しとして持っておきたいお菓子かな。

ルルーブランドで出すお菓子ではない。というのも、今はアンリ・ルルーに僕を100%出したくはないと思っていて。それは現シェフのジュリアンの想いを汲んだ店にしたいからなんです。






フランスで見た師弟関係

2005年渡仏。

パリ18区名店アルノーラエールで本場のパティスリーに触れ技術を磨き、現地本国の大会においても幾度と入賞を果たす。



フランスでの修業を考えていたころ飛び込んできたのが「アンリ・ルルー・ジャポン」の立ち上げの話で。ルルーの菓子を勉強しに行くために、喜んで渡仏を決めました。



-平成17年に渡仏、、18区のアルノー・ラエールで1年間勤務、、いただいた経歴書にはこうありますが、ルルー・ジャポン立ち上げのための渡仏だったのに、ラエールへ??




修業先アルノーラエールにて シェフと同僚と



そう。ルルーさんにパティスリーを教えてほしいとお願いしたら、ほら、ルルーさんはショコラティエ・エ・キャラメリエでしょ?だから彼のブティックには基本的には当時パティスリーはほぼ並んでいなかったんです。

でも、ルルー・ジャポンはパティスリーを必要としていた。すると以前から親交の深かった、当時MOFの試験中だったラエールさんの名前を出して「僕の想いをお菓子で表現できるのは、アルノー・ラエールしかいない。」そう言われ彼を紹介されたんです。



- そもそもルルーさんとラエールさんの仲というのは??



ラエールさんはMOFの試験のためにキブロンのルルーさんのところへ勉強しに行ってるんです。ルルーさんはMOFショコラティエの審査員でもあったんですよ。



-おおお、さっきの、メープルコンテストのときの尾形さんと一瞬重なりました。審査員のシェフのもとへ直接足を運ぶ。



ははは。ラエールさんはその年、見事試験にもパスしてMOFという称号を手に入れました。



-自分の名前で自分のブランドを日本に展開させるにあたって、自分ではなくその愛弟子のもとでパティスリーを勉強してほしいと言える師弟関係。素晴らしいですね。


僕は修業というものは、「シェフはに何を考えているのかを汲み取る」こと...。よくドゥー・シュクル佐藤シェフにも言われたんです。「配合を読め。」と。

つまりそれは、ショーケースから、お菓子のビジュアルから、シェフが表現するすべてものから読み取れるものがあるということ。


だからこそ、ラエールさんとルルーさんの師弟関係は心底素晴らしいと思った。お互いがお互いを知り、信頼し合っている。そこまでの関係を築けてこそ、修業の意味があるんじゃないかな。






託された任務「海外ブランドを日本に」 



「ショコラ界の父であり、キャラメル・ブールサレの生みの親でもあるルルー氏のもとで学べる他とないチャンスだと思った。それが、ルルーを選んだ理由です。」






-ルルーが日本にできるという話は当時とても衝撃でした。そしてそれをヨックモックが展開するというのも良い意味で驚きで。シガールは小さいときから大好きなお菓子で、ルルーさんの、わたしは特にC.B.Sとフランボワースのキャラメルが大好きで(笑)だからこそ、その両ブランドのコラボは非常に心地良いサプライズでした。



僕も最高のタイミングでこの素晴らしいご縁に巡り合えたと思っています。



- 尾形シェフは経歴を見ても、コンクールの受賞歴など見ても素晴らしいキャリアをお持ちですよね。いつでもご自身のブランドを立ち上げて勝負できると思うんですが、それでも今は「ルルーの尾形シェフ」でいらっしゃいます。いまの立場だからこそ学べるものや、感じることはありますか?



物づくりはもちろん、町場のパティスリーでは学ぶことのできない、いわゆる「開発」だったり、ブランディング、、そして本国とのやりとり、、ここルルーで本当に沢山のことを学ぶことができているな、と思う。

それとこれはルルージャポンならではのやり方だけど、「Déclinaison デクリネゾン」という言葉は知っていますか?



- もちろんです、といって的確な日本語はすぐ思い浮かばないんですが、、、

要するにあるひとつの素材を複数さまざまな表現で供するやり方のこと、、あ。もしかして、ショーケースに並んでいるこのタルト・タタンとあのキャラメル・タタンって、いわゆるそのデクリネゾンだ。


そう、このデクリネゾンはルルーのブランドテーマでもあってね。秋はちょうどタルト・タタンがシーズンテーマだったので、パティスリーとしても、そしてキャラメルとしてもタタンをイチオシしました。冬は冬でと、シーズンごとやイベントごとにひとつのテーマを決めて、そのデクリネゾンをもってしてお客様にルルーならではの食材をアプローチするんです。




-本国とのやりとりはどうですか?尾形シェフがされるんですか?



そうですね。必要なことは僕がやったりもします。




- 日本とフランスは国民性がうんと違うから(笑)なにかと大変そうですが、両国間に生まれる溝の擦り合わせとか。。



いえ、でもこれが意外とスムーズなんです。ほら、ブルトン人はフランス人の中でも真面目で、みんな典型的な職人気質だったりするじゃないですか。



-たしかに。南と北とでは、同じパスポートを持ってるとは思えないほどの違いがあります(笑)そうか、それならブルトン人と日本人は相性が良いのかもしれませんね。




そう思います。ブルトン人は丁寧です。それに加え、ルルーさんは常に完璧さを追求します。そのスタイルが、日本に、日本人にとって響くものがあると思うんです。







食べてもらうなら、その「全部」を伝えたい


職人に足りなかったもの、それは「PR」、「ブランディング」、そして「想いを伝えること」-



- 毎日ラボで、朝から晩までお菓子を作るパティシエさんとは、また違う仕事の仕方をされていますよね?尾形シェフの日々のご活躍を見ていると、シェフ・パティシエというよりは、プロデューサーに近い気がします。スペシャリトというより、ジェネラリスト。



お菓子をつくることは大好きです。スリジェ、ドゥーシュークル、ラエール、、ずっと町場でやってきましたし、何より「楽しい」ですから。でも、その先のことも大好きなんです。



- その先?



簡単に言うと、その作ったお菓子を売ってくれるヴァンドゥーズ(販売員)、そしてお客様に、そのモノを「伝える」こと、でしょうか。




その商品はどんな材料を使ってどんな風に組立てたのか、、お菓子の説明はもちろん、もっとその奥に詰まった想いやストーリーまで、僕は伝えたいと思っているんです。


- たしかに、ケーキひとつ取っても、さまざまな誕生秘話があったりします。


そうでしょ?商品開発をしていると、たとえば沢山のお菓子を提案し、試作したとしても、実際商品化されてお客様のもとへ届けられるお菓子はそのうちの1つなんです。その1つを作るために、お菓子にはたくさんの人の想いやストーリーが詰まっているんですよ。



- そうだと思います。



パティシエをしていて思うのは、お菓子を作るとき、作っただけではそれは作り手の単なる自己満足でしかないと思っているんです。つまり、その自己満足がもっともっと多くの人の手に届くように、その自己満足の輪を広げたい。美味しく作ることは当たり前で、その美味しさやストーリーを伝えることに、お菓子作りと同じだけの、もしかしたらそれ以上の悦びを感じるんです。



- たしかに、この話を聞くと、尾形シェフの日々のご活動とご活躍、、納得です。ルルーのPRなどはもちろん、横ともしっかりつながり仲間を大事にする。。仲間シェフのサポートをされている姿をよくお見かけします。



横とのつながりは大事だと思っています。このセルクルのように、同世代だからこそ共有できることは沢山あります。人には向き不向き、得意不得意もある。独りですべてを完璧にこなせる人は、おそらく殆どいないでしょう。だから、仲間同士、助け合い切磋琢磨しあいたいと思っています。

そういうムーヴメントを興して、実践する。それが、自分の使命でもあるんじゃないかなって。




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「職人」の在り方を見直し、新しいスタイルを切り開いていく尾形シェフ。シェフのまわりにはいつも旬な情報、そして同じ想いを持つ仲間たちが集まります。


世間の流れはとても早くて、新しいものが生まれては消えていく時代。


お客様の心を惹きつけ、選ばれる存在でありつづけるためには「時代についていく」だけでは遅すぎて、「流行をつくりだす」ことが、この業界・パティシエたちにも求められるようになってきているのかもしれません。





- ルルーといえばブルターニュ。 ブルターニュで思い出に残っていることって何ですか?


キブロンのルルーさんの自宅でいただいたもらったルルー家の食事かな。

" à la bonne franquete!:ア・ラ・ボンヌ・フロンケットゥ!" 気取らない味、ブルトンの家庭の味だよ! そういって振舞ってもらったムール貝やお芋のオーブン焼き、それもやっぱりブール・サレ風味で。あの料理は忘れられないね。

素材にこだわり、つねに本物志向であるブルターニュ人の、ルルーさんのエスプリに触れた瞬間だと思いました。




飾らず気取らず、本質を大事に、むしろその本質で勝負する。素敵です。



どんな仕事をしていても、どんな業界にいても、大事なことですよね。



尾形シェフ、今日はお忙しいところ有難うございました。大好きなルルーというお店が、ますます大好きになったのと、なによりここまで尾形シェフとゆっくりじっくり話したのははじめてで、シェフの更なる魅力を♡貴重なお話とともに沢山知ることができました。



こちらこそ、ありがとうございました。セルクル、頑張ってやっていきましょう!








HENRI LE ROUX アンリ・ルルー


・ミッドタウン店の住所

東京と港区赤坂9-7-1 東京ミッドタウン ガレリアB1F

・キブロン店の住所
18. rue de Port-Maria 56170 Quiberon. FRANCE



アンリ・ルルー公式ウェブサイト

http://www.henri-leroux.com/


アンリ・ルルー公式フェイスブックページ
https://www.facebook.com/HenriLeRouxJapon?fref=ts










写真・取材: 藤森もも子  / セルクル・デ・シェフ



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