アンドレ・ルコント 最後の弟子(神田智興シェフ:太子堂オクトーブル) | Cercle des Chefs セルクル・デ・シェフ

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Vol.5 アンドレ・ルコント 最後の弟子

~今、apprenti(修業中の見習い)に伝えたいこと~ 

    


閑静な住宅街でありながら、どこか人情味あふれる街、世田谷区太子堂。 この地で生まれ育ち、その後 日仏両国の数々の名店で修業を重ねた神田シェフは、2013年4月自身の店 「オクトーブル」をここ太子堂にオープンさせる。


日本に はじめて本物のフランス菓子を伝えた アンドレ・ルコント氏の最後の弟子と呼ばれる 神田 智興氏。  神田シェフが考える「修業」とは、いま若いapprenti(見習い)に伝えたいその想いとは





-神田さん、気づけばここオクトーブルもオープンから1年が経ちましたね。


そうだね、この春で1年がたったね。


- わたしも世田谷在住歴が長かったんですが、太子堂は神田さんのお店ができるまでは縁のない土地でした。それが、いまは。 



いやぁ、いつもありがとうね。



- 行ける場所が増えるのは、とっても嬉しいです。それも、お気に入りの店。

それで、神田さんと初めて会ったのは、、と今回取材にあたり色々と振り返っていたんですが、ファーストコンタクトはパリでした。ジェラール・ミュロにいらっしゃったときです。2007~2008年ごろだったかな。 よくパリ在中の人たちで集まってご飯を食べた思い出があります。


そのころかぁ。 懐かしいね。アレジアの僕の家で鍋をしたり、たのしかったねぇ。



-それで、今回はセルクル・デ・シェフ連載企画「クローズアップ」の第5回目ということで、神田さんにご登場いただきます。改めてよろしくお願いいたします。


もう5回になるんだ。こちらこそよろしくお願いします。



-神田さんの経歴を改めて振り返りたいのですが、日本ではルコント、ノリエット、マルメゾン。そして渡仏後はジェラール・ミュロ、ローラン・デュシェーヌ、そしてピエール・エルメ。 率直に、ものすごく輝かしい経歴でいらっしゃいます。


そうだね。おかげ様で、素晴らしい店、偉大なシェフとたくさん出会うことができた。



-なかでも今回とくに神田さんにお聞きしたいのは、日本での修業時代のことなのですが、まず、神田さんは「ルコント」のイメージがとにかく強くて。 ルコントでのお話を、聞かせてください。







「師アンドレ・ルコント」という存在



"日本に、はじめて本格フランス菓子を広めたパティシエ「アンドレ・ルコント」氏を知っていますか。"



- いまでこそ日本にも定着した「フランス菓子」ですが、本格的なフランス菓子を日本に始めて伝えたルコントさんのことは、もう知らない若いパティシエの人たちも数多くなってきたと思います。





そうだね。


- ルコントさんは、どんな人だったんでしょうか。


ムッシュは、、アンドレ・ルコント氏は、1931年フランス・モンタルジー生まれ。

13歳で菓子職人になって、1956年パリの由緒ある5つ星ホテル「ジョルジュ・サンク 」のシェフパティシエに就任したんだ。



ヌーヴェルヴァーグの時代のフランスで、一流の文化人に圧倒的な支持を得たにとどまらず、絶大な権力でイランを統治していたパーレビー国王の宮殿など世界を股にかけて活躍していたと聞いています。

当時、上院議員だったジョン・F・ケネディは、ジャクリーン・ケネディ夫人と連れだってジョルジュサンクホテル内のバレンシアガのショップで服を購入していたのはよく知られているけれど、ムッシュの腕を気に入って、大統領になってからも出張料理人として別荘に呼んでいたことはほとんど知られていないんだよね。





-その、ケネディ大統領夫妻と深いつながりがあったことや、つまりは各界のリーダー、エグゼクティブらと非常に密接な関係にあったことは、わたしもよく聞かされて育ってきましたが、こうして改めて耳にするとものすごい方たちばかりです。



僕らの想像する「セレブリティ」の枠を遥かに超えるそういった方たちとの交流が、ムッシュはとにかく盛んだった。



-来日したその年は、あの「鉄腕アトム」がテレビ放映された年だという風に覚えています。笑



そうだね。1963年(昭和38)年でもあって、その年ムッシュはホテルオークラに招聘されて来日したんだ。そこで日本のホテル菓子の味とイメージを一変させる。つまりは、そこが日本における本格的フランス菓子の原点といえると思う。



-オークラでは皇室や各国の王族、また政界、財界、芸能界に、、あらゆる業界のトップの舌を魅了させた、、という風に教わっています。 それで、オークラとの契約が終わり、六本木に自身の店「A.ルコント」を開店するんですよね。






そうそう。 ホテルオークラとの契約が終わったけれどフランスに帰らなかったのは、ある日本人の女性と恋に落ちたから、、なんてムッシュはいつも話していた(笑) その日本女性が、マダムルコント。
それで現在の六本木ヒルズ真向いに、日本初のフランス人パティシエによるフランス菓子専門店「A.ルコント」を開店したのが 1968(昭和43)年。



-それまで、ショートケーキに代表されていた日本の洋菓子界に、タルトやキルシュを使った本格的なフランス菓子を紹介する、、、当時の時代背景など考えると、なんともセンセーショナルなスタイルだったと思います。


ムッシュはそれまでは、最上級の材料に手間をかけた最高に贅沢なお菓子しか作ったことのないパティシエだったから、街場のケーキ屋さんになっても「万事が本物志向」「万事フランス流」がその精神だった。

そんなムッシュには、六本木に移ったあとも、オークラ時代からのお客様、たとえば皇室、歴代の総理大臣、俳優、女優、映画監督に作家、、各界に沢山のお客さんを抱えていた。それだけの人に支持され、愛されたというのは、本当に素晴らしいことだよね。



- 吉田茂元首相は、ルコントさんのパリブレストが大好きだったこととか、英国のマーガレット女王が来日したときにはまっさきにルコントさんのケーキを食べにきたこととか、、フランス本国から大統領が来日する際も、ムッシュに晩餐会のすべてをお願いしたこととか、、。

とにかく、「すごかったんだな。」って思います。



当時フランスから来日したばかりのポール・ボキューズやロブションのうようなグラン・シェフたちも、まずは最初にルコントさんのところを訪れるのが慣例だった。いわば日本の窓口のような存在になっていたんだ。



-だから、わたしが小さいころ、周りにいたフランス人たちはいつも「ルコント、ルコント、ルコントが、、。」という風に、いつもルコントさんの話をしていたんですね。納得です。



ムッシュは日々そのフランス菓子の普及だけにとどまらずフランス文化の普及など、あらゆることに尽力を注いでいた。 その大きな功績をフランス共和国から認められ、レジオン・ド・ヌール国家最高勲章を与えられた、数少ないパティシエのひとりだった。



-パティシエでレジオン・ド・ヌールをもらったのは、ルコントさんと、ムッシュ・エルメ、パン屋さんだとビゴさんと、ムッシュ・ガロワイエさんほどしかいないんですよね。





ムッシュから受け継いだもの




僕がこの業界に入ったのは23~24歳のとき。 ルコントには7年間在籍した。それまでは建築の現場監督をしていたんだよ。


-すると最初の店がルコントで、そこで基礎を身に着けていったんですね。

ルコントさんは、フランス菓子を日本に広めた第一人者であるわけで、そのような人の店で働いていて、なにか特別なことってありましたか?



僕は専門学校にも行かず、お菓子のことは何も知らない、経験もまったくない状態で、このルコントに迎え入れてもらったんだ。だからルコントのお菓子が全てと思っていたんだけど、その後お店を移ったからこそ感じたのは、フランス菓子の「パイオニア」の存在感かな。



-というと?



その後修業した2店は、そのどちらも同じくフランス菓子のお店だった。だから、作るもの、考え方もよく似ていたんだけど、シェフが言ってたんだ。「あんなにお酒を打った菓子が売れるのは、ルコントさんだからだよ。」って。



-ルコントのお菓子は、子供のころはチョイスを誤ると、ふわ~んと酔っぱらっちゃうくらい、とにかくお酒をたっぷり使っていました。



でしょう? でも、つまりそれが売れるのは「パイオニア」だから。 そういうスタイルが当時も「万事フランス流」なお菓子だったんだけど、日本人がそういったお菓子を受け入れられたのは、それが「ルコントのお菓子」だったから、なんだよね。

それを違う日本人のシェフが同じことをやっても、ルコントと同じようにはいかないんだよ、ってシェフたちがよく口にしていたのが印象的だった。



-その「モノ」で勝負できる、ということですね。


当時の日本ではそうだね。 みんなルコントのように「万事フランス流」を掲げていたくても、現実がそうさせなかった。それは、日本人の「真似事」でしかなくって、「万事フランス流」で成立するのは、ルコントだったから、、と。



- ルコントさんだからできた「万事フランス流」というのは、大使館にかけあって自腹でキルシュを輸入したり、当時まだ日本になかったフランスボワーズや蜂蜜など、本物のフランス菓子を作るために必要なものを自分の力で揃えていたことが、物語っていますよね。



常に、その本物志向を持つこと、そしてフランス流であること、、その精神は、まさにムッシュから教わったことだね。






「修業」はアイデンティティを形成するということ


ルコントを卒業した神田氏は、かねてからの憧れだった永井シェフのもと「ノリエット」へ、そして次なる修業のステージを大山シェフの「マルメゾン」へと移す-



-ルコント、そしてノリエットにマルメゾン、、それぞれ、すべてがカラーのあるお店ですね。


この3店で、本当にいろいろなことを学ばせてもらった。ノリエットの永井シェフは生粋のアルチザンで、その姿勢や理念が物凄くかっこよかった。 大山さんは、とても懐の深い方で。何から何までお世話になった。 本当に良いお店、素晴らしいシェフに巡り合えたと思っている。


- この3つのお店のスタイルは、そのどれもが比較的相性が良いように思います。


やっぱりルコントで基礎を叩きこんで作ったベースをもってして「修業したい」と思ったシェフのお店だから、まるっきり違うスタイルのシェフのところへは導かれなかったんだと思う。

だから今の自分のスタイルは、この相性の良い3店、3シェフのもとでの修業によって確立されたんだ。 まさに僕のアイデンティティはルコント、ノリエット、マルメゾンが三本の柱から出来上がったんだ。


-三本柱ですか。


そう。たとえばこの「グランパレ」というお菓子は僕のルセットなんだけど、名前は大山さんが付けてくれた。

- へええ!そうなんですか。


でも、このお菓子はルコントでつくっていた「フェスティバル」からアイディアをもらっている。


-チョコレートと、フランボのマリアージュですね。


そう、とくに生地の感覚なんかは、ルコントだよ。 ほかにもショーケースに並んでいるお菓子はその3つのお店で学んで得てきたことを、自分流にアレンジして応用させている。


-自分流のアレンジ。 なんだか納得です。神田さんのショーケースは、奇をてらわないお菓子が並んでいるんだけど、そのすべてが「神田流」であることがヒシヒシと伝わってくる。


たとえば、そうだな。 僕はね、ケーキ屋のケーキは、どこの店も一緒だと思っている。みんな同じ「フランス菓子」をテーマに掲げているのだから、その「物」自体に、大きな違いはないと思っているんだ。 じゃあ、なにか違うかっていうと、、なんだと思う?

- ううんと、カラーですか?ざっくり言うと。


そう。 つまるところ、その違いというのは「シェフの頭の中」なんだ。


- 「シェフの頭の中。」


修業中は、ルセット、お菓子の作り方なんかはもちろんだけど、それ以上に「シェフの頭の中」を覗いて、それを理解することが重要だと思っている。

シェフはこのお菓子をどういう気持ちで作っていて、この店をどういう想いでやっているのか。細かいところでいえば、どうしていまシェフは怒って、そしてなぜいま喜んでいるのか。

それを知ることは、大変に価値のあることで、個性を作りあげていくうえで大事なことだと思っているんだ。


-たしかに、お菓子の作り方は市販のレシピ本、学校の教科書にも書いてありますからね。お菓子の作り方を覚えたいなら、ひとりでその教科書どおりに作っていればいいわけですし。


そう。それでお菓子は作れるようになるよね。でも、自分一人だけでの価値観では自信がない。だから、シェフのもと、シェフの頭の中を見て、その価値感を知って、自身のスタイルを確立していく。その工程こそが修業の醍醐味だと思う。


-「修業」とは。ますます奥深くなってきました。でもここまで聞いていると、逆にその修業中、苦労したことはないんですか?


苦労は・・そうだね、それはあるよ。だけど、すべてが「経験」になるから。いやな思い出は一切ない。たとえは僕は人より遅くこの業界に入ったから、常に「年下の先輩」がいたんだけど。

同世代がものすごく仕事ができるって最初はやっぱり辛かった。


- それまでのキャリアが通用しない新しい世界に入ったとき、年下が先輩になるのはこの業界でもよくあるシチュエーションです。


そう。そんなときは、とにかく可笑しなプライドを捨てること。先に入れば先輩。そう思えるか思えないかで、この先の伸び率が本当に違ってくると思う。そういう中で、自分自身の姿勢、気持ちの持ち方を確立することはとても大事だと思った。


- 簡単なようで、とても難しいことだと思います。じゃあ、これからこの業界に入ってくる若い子たち、そして今修業中の若い職人たちに、「これだけは伝えたいこと」って、なんでしょうか。



そうだね。 とくに伝えたいことは、「今いる場所をとにかく大事にすること」





師匠からもらう、「信用の貯金」


「大事にできない人は、大事にされない。今いる場所をとにかく大事にすること。



-業界は狭いですし、繋がっています。 今後も同じ業界でやっていくなら、どういう働き方をしていたか、そしてどういう辞め方をしたか、、これはとても重要なことだと思います。


そうでしょう?たとえばひとつのお店を、良い辞め方をしなかった場合、その後どこかで開催されるたとえば何かの講習会で、そのお店のシェフに会ったら・・ いや、そういう可能性のある講習会には、そもそも 行けなくなるでしょう。



- まったくその通りだと思います。



今いる場所を大事にすること。 その場所を雑に扱ったり粗末にしたりすると、その先が見えてきてしまう。

これはよく思うことなんだけども、たとえば僕のことをまったく知らない人がいても、「ルコントさんのところで、永井さんのところで、大山さんのところで働いてました。」という言うだけで、先方から信頼してもらえるんだ。


- そうだと思います。


それっていうのは、そのシェフたちが築き上げてきた、お金じゃない「信用の貯金」を少しずつもらうということ。少しずつ、使わせてもらっていることになると思うんだ。


-たしかに、シェフたちの功績があるからこそ、「そこに居ました」と言うだけで、絶大な信頼を得られると思います。だからこそ、というかその代わり、そのシェフたちが築き上げてきたものを壊さないように、こちらにも求められることが大きくなってきます。



そういうことだよね。 シェフの顔に泥を塗ってはいけない。



- わたしが神田さんを見ていて思うのは、マダムルコントはじめ、沢山のシェフたちにとても愛されていることなんです。



はは。そんな、僕が特別何をしたってわけではないよ。

でも、そうだな、これはいままで誰にも話したことはなかったんだけど、実はルコント在籍中に、渡仏が決まっていたんだけど、急きょ取りやめたんだ。



-マルメゾンを上がって渡仏した、その前の話ですか?



そう。もっと前の話でね。 ルコントに入って何年目か、もう働くお店も、出発の時期も決まっていたんだ。なんだけど、同じタイミングでお店が少し大変になって人が足りなくなったときがあって。

その頃、もうそのときルコントのアドバイザーをされていた島田進さんが僕のところへやってきて、いま僕がルコントを抜けちゃうと、ルコントの伝統が維持できなくなってしまうかもしれないから、残ってくれないか、と話をしにきた。


- マダムルコントからのお願いだったんでしょうか。




そうかもしないね。

それで悩んだ末に、残ることにした。目の前にはフランスが待っていたんだけど、やっぱりこれまでの間、どれだけルコントにお世話になったかと思うと、残るという選択が僕の中の答えだった。

- この話は初耳でした。


だから、次のシェフが来て、うまく回るようになるまで残ったんだ。それでそのとき、島田進さんがこう言ってくれた。「日本での仕事は、このあとすべて僕が面倒を見るから。」 と。


- かっこいいですねぇ。すみません、義父ながら(笑)



いや本当に(笑)。 だから、「神田くん、次どこで働きたい?」と尋ねられて、かねてからのノリエットへの想いを話すと、その日のうちに永井シェフに電話をしてくれてね。 数日後には早速会う約束をしてくれた。



- へえええ!


それで、ノリエットから次のステップにと考えているとき、マルメゾンの大山さんを紹介してくれた。僕は、喜んで大山さんに会いに行ったよ。





地元に愛される「地域密着型」繁盛店を目指して




-たとえばこのショーケースを見ると、当時のルコントのスペシャリテ「スワン」や「スウリー」、クラシックというか、その「基本」なお菓子が他のお菓子と同じように光ってならんでいますが、これはそのお店で修業した、という「使命」の表れなんですか?


「使命」ではないかな。 「それ」が「良い」と思ってやっている。

お店は「個性」で表現される。作るお菓子単体はもちろん、そのラインナップ、店づくり、、すべては自分の個性を表現することになる。やっぱり好きなもの、魅力的と思うもので、店を表現したいよね。



- たとえばここは住宅街ですが、もっと都心に出てお店をやってみようとは思わなかったんですか?都心への憧れとか。



あるある。もっと常に人通りのある駅前の店なんかを羨ましく思うことはあるよ。だけど、僕がやりたかったお店は「地域密着型」のお店だったんだ。 それも、生まれ育ったこの町で。

町内会、お寺さん、小中学校からもよく注文をいただくんだけど、これがすごくうれしい。
その町の人たちから必要としてもらえることが、ありがたいことよね。
そして、店柄、臨機応変にお客さんのニーズに細かく対応することができるから、さらに喜んでもらえる。





-日本のフランス菓子は今後、どうなると思いますか?


原点に戻ると思う。 つまりは、ルコントさんのお菓子に帰ってくるということ。 生クリームを低脂肪にしたり、お酒を使わなかったり、、、アレンジの強いものは、どこか「加工品」の味がする。

しばらくムッシュのお菓子から遠のいた時代が続いたけれど、ムッシュのお菓子は「スタート地点であって、ゴール地点」なんだ。


-奇をてらわない、食べてほっとする味。


日本はまだまだ歴史が浅いから、お菓子にも流行色が強くて、メディアはつねに「新しい」お菓子を求める。だけど、本国では、フランスでは、お菓子は「ファッション」じゃなくて、「文化」そのものなんだ。 ムッシュのお菓子に戻ってきたということは、日本もお菓子が「文化」として、根付きはじめたんじゃないかな。




柔らかい物腰、常に謙虚な姿勢、、人に、町に、誰からも愛されるその理由は、つねに「相手を大事に想う心」にあるのかもしれません。



夕暮れの太子堂は、手をつなぎ家に帰る親子、まるで晩御飯を楽しみしているかのように家路を急ぐサラリーマン、たくさんの温かさに溢れ、そんな町に自然と溶け込む「オクトーブル」は、まさにその土地に愛される「地域密着型」の繁盛店なのだと、感じました。






PATISSERIE OCTOBRE 

パティスリー・オクトーブル

世田谷区太子堂3-23-9

03-3241-7979

東急田園都市線・世田谷線「三軒茶屋駅」より徒歩10分

世田谷線 「西太子堂駅」より徒歩11分

世田谷線 「若林駅」より徒歩14分



火曜日定休






写真・取材: 藤森もも子  / セルクル・デ・シェフ




















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