リーダーに求められる、その資質とは(森 大祐シェフ:パティスリーサクラ) | Cercle des Chefs セルクル・デ・シェフ

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Vol 2. リーダーに求められる、その資質とは





在仏日本人会、エッフェル会日本支部会長、当セルクル・デ・シェフ 副代表理事をつとめるなど、常に次世代のパティシエたちをけん引してきた森 大祐シェフ。

名だたる世界コンクールで優勝・入賞歴を持ち、日本人としてフランス本国の名店でシェフというポストをも任されるなど なんとも輝かしいそのキャリアを経て確立された ‟自身の「菓子づくり」”の概念とは、また常に先頭に立つそのリーダーとしての資質とは。






すみません、遅くなりました!


-いえいえ、お疲れ様です。 森さん、今日も講習会だったんですか?


そうそう、お待たせして申し訳ない。



-大丈夫です。夏限定のベリーのスムージーを頂きながら豊洲の空気に浸っていたので。これ、美味しいですね。 ( そしてまた一口。 ) ますますお忙しそうですが、お時間いただきありがとうございます。


とんでもない。 記念すべきセルクル「クローズアップ」の二回目だからね。



-豊洲駅から徒歩2分と聞いて来たんですが、違うメトロの出口から出ちゃって、少し迷子になりました。 でもそのおかげで街を見れたんです。 いろいろな人がいますね、会社員、若い子たち、おじいちゃんおばあちゃんに、家族連れ。


そう、この街は本当にいろいろな人がいる。 掘り下げていっても、やっぱりいい街だよ。



- 森さんとは、わたし 実は今回のセルクル・デ・シェフ立ち上げに際してが ファーストコンタクトでした。 狭い業界ですし もちろんいつもお話は多方面から伺っていましたが。

なので、あらためての森さんの経歴から伺っていきたいです。 いまさらなんて言わず(笑)、今日はよろしくお願いいたします。


こちらこそ、よろしくお願いします。




プライドを捨てる勇気 町場から一流ホテルへ  



僕は最初ロイスダールという町場のパティスリーに入りました。ここは料理、パン、ケーキとそれぞれ部門があって僕はケーキ部門。 ここには4年間、フランス菓子というものを根本的に学びました。基礎をたたきこんだ、といった感じですね。 いいお店でした。それで、グランド・ハイアットに移ります。


- 森さんはホテルのイメージです。 なぜグランドハイアットになったんですか?



最初、パークハイアットに履歴書を出しました。でもダメだったんだよね。人がいっぱいだと言われた。 それで、その年にちょうどグランドハイアットがオープンすることになって。

- ああ、その年だったんですね!でも、じゃあそもそもなぜホテルへ行こうと思ったんですか?


それはね、僕 地方出身でしょ。だから都心のホテルに憧れがあった。

それとそのころはコンクールが目立ち始めた頃だった。コンクールに出場する人はホテル系の人が多いでしょ?だから「ホテルの仕事とは」ということにとにかく興味を持ったんだよね。






「町場」から「一流ホテル」ヘ-。
ホテル勤務になり、一番の衝撃はそれまでの町場での仕事を全面否定されたことだと言う



- 「ホテルの仕事の中で、ペストリーは一番下だ。」ですか。そんなことを面と向かって上司に告げられるのは、ショッキングです。


これまで町場で、ケーキやペストリーを作ってきた僕にとっては、衝撃の一言でしたよ。


-言ってみれば、面と向かって これまでの自分の仕事や経歴を否定されたようなものですよね。言いたいことはわかりますが、わたしも最初から最後まで言ってみれば町場なので、心の中で「こんちくしょ」くらいは思うと思います(笑) 



それがふつうだと思うよ(笑) でも だからこそ、「その中で認められるものをつくる」ことをとにかく目標にして励んだんだ。


- 大人ですね。そんなときに、投げやりにならないで その言葉をバネに変えられたことは大きいですよね。

そうだね。 でも、僕自身も「町場とのギャップ」は実際に感じた。

まず、ホテルでは、僕らパティシエはお客さんとは殆ど一切接することがないからね。町場のケーキ屋では毎日お客さんの顔を見るでしょ。その違いは大きかったかな。


-たしかに、ホテルを歩いていて白衣の人は、宴会でもほぼ見かけないですよね。たまに、総料理長が綺麗なコックコートを身に着けて歩いているくらい。


そうでしょ? つまり、仕事の仕方は正反対だった。

ホテルはどちらかというとお客さんの求めていることよりも「エンターテイメント」の提供が求められる。宴会料理なんかはとくにそうだよね。
安定よりも、どちらかというとサプライズであったり、感動であったり。ホテルでの経験は良い意味で自分を大きく成長させてくれたものだったよね。




フランスを、世界を知るということ




日本での修業を終え、2007年に渡仏。 MOFであり業界の天才と言われるローラン・デュシェーヌのブティックで最初の1年を過ごし、その後移ったモワザン(14区)にて外国人という立場では初となる シェフ・パティシエのポストをまかされる。 フランスでこそ出会い、そして感じたものとは。



-森さんもデュシェーヌにいらしたんですか!知りませんでした。


そうそう、ちょうど徹さん(パティシエ・シマ)とすれ違いでね。だから神戸の上田くん(ラトリエ・ドゥ・マッサ)とかも知ってるよ。 デュシェーヌには丸1年いた。パティスリー、ショコラ、マカロン、ヴィエノワズリー、すべての部門をまわって ここではいわゆる「フランスの1年」を学んだ。その1年を見れたことは大きかったかな。


-日本と同じように、あちらは季節のイベントというよりもキリスト教に由来したお祝いが沢山ありますもんね。ガレットデロワにパック、クレープを食べる日、、。
 ドゥシェーヌに1年かぁ。 あ、そうするとサロンドショコラなんかの時期は大変だったんじゃないですか?



そうそう(笑) あのころ日本のサロンドショコラはまだ三越のイベントだったんだけど。数えるほどのパティシエで、日本におくる3トンのショコラを仕込んだね。懐かしい(笑)


- 3トン(笑) さすが天下のサロショコです。それでモワザンへ移られるわけですが、ここはブーランジュリーの印象が強いです。でも、なぜモワザンに?



フランスにやってきて、やたらと「Bio」というマークが気にならなかった?どこのスーパーへ行っても、かならずあの緑色の「Bio」マークの商品が並んでいる。 そのときはじめて「Bio」を意識したんだ。Bioとはいったいなんなんだ、とね。 そのとき、Bioの意義、可能性を肌で感じたくなった。日本にとどまっていたら、きっと出会うことのなかったものだと思う。





- モワザンではシェフをしていましたよね?シェフとして、一店を任されること、どうでしたか? やはり外国人という立場でそのポストにたどり着くとは、大変名誉のあることであると同時に、責任やプレッシャーなどもあったと思いますが。



その、ビオの店でビオの材料が満足行くように手に入らない困難はあったかな。でも、なんとかやってのけた。 店の商品に関してはパトロンのバブレさんに試作を頼まれたり、こちらから自発的に新作を提案することもあった。 あとはね、ブーランジュリーだから、とんでもない量のクロワッサンを作ってたよ(笑) 生涯あんなにクロワッサンをつくることはもう無いんじゃないかってほど。



- なるほど。それで、このころですよね、あの「シャルル・プルースト杯」で優勝を勝ち取ったのは。

そう、ちょうどこのときだね。

フランスに、自分の足跡を残すということ



シラ・ヨーロッパ杯(飴細工)での3位入賞、ガストロノミックアルパジョン杯での2位入賞、またディジョン・アントルメ&ピエスモンテ部門での優勝、そしてなんといっても創設200年以上の歴史を誇る業界最高峰コンクール「シャルル・プルースト杯」においても見事一般味覚部門 優勝の座を手にする。 数々のコンクール受賞歴を見れば、その腕前は一目瞭然だ。コンクールにかける想い、そしてその意義とは。



-シャルル・プルースト杯は、歴代の日本人優勝者の名前を見ても、大御所・重鎮、偉大なシェフばかりで、森さんそこに続くわけですから あらためて素晴らしいことなんだと。


シャルル・プルースト杯、部門優勝は、とにかく嬉しかった。道具が完全にそろっていない環境で挑むので、もちろんその道具に対する考え方、有り難味も感じたね。家のオーブンで焼いたビスキュイ、家の冷蔵庫で仕込んだムース。 おかげで考え方に柔軟性が出てきたと思う。



-家のオーブンと、家の冷蔵庫で! 昔の青木さん(サダハル・アオキ)みたいですね!
でも、同じパティシエでも、コンクール系の人と、そうでない人、つまりコンクールには一切出場しない人といますよね。その2つで言うと、森さんはコンクールのイメージが強いです。



僕の場合は、フランスに、自分の足跡を残したかった。自分がその時代、その場所に居たという証を。 コンクールでの優勝は、究極のその足跡と思ってるんだ。







同業は、「仲間」であるということ


エッフェル会、そしてこのたびの当セルクル・デ・シェフもそうですが、森さんのキャリアを見れば、横との繋がりなどは一切無視して、まるっきり独りでやっていける力と実績があると思うんです。実際、業界にもそういうシェフはいます。

それなのに、常に仲間を大切にし、同業の組織を作り上げ、積極的に横とのつながりを構築する。 そこに見出す価値、そして意義は何ですか?



僕が積極的に集まりを大切にするのは、僕も色々な人に助けられ、色々な人に教わり、助けあってやってきた。 店でも、10人いれば10人のアイディアがある。 自分一人だけでやってきたわけじゃないんだよ。


その枠が、店を越えて外との繋がりを持つことで、無数の考え方やアイディアを聞くことができる。これって、すごく勉強になる。つまり同業っていうのは、同じ土俵でやっている「仲間」だと、思っているんだ



- 刺激しあえる、良きライバル、つまりはそれが仲間ということですね。


そう。だから、集まれば楽しいこともいっぱいあるし、相談もしやすく、良いことだらけだと思っている。まあ、まとめると僕は楽しいのが好きなので、みんなで楽しくやれて、刺激しあえればOKってことですかね!






思い出の場所は、コンクールで通ったPorte de Versaille。思い出の食事は、ビストロで山のように出てきたムール貝と、バゲット。シェフ自身は、菓子の中でもチョコレートを好んで食べることが多いと言う。


フランスは、フランス料理・フランス菓子が文化として完成しているから、遊びやアクセントとしてスパイスを使う傾向があるよね。僕も香辛料やコショウ、バジル、唐辛子なんかに挑戦するようになったのも、フランスの影響だね。 フランス人は日本人よりも自分のところの食材をよく熟知していて、バランス感覚に優れてるよね。




-日本のフランス菓子の歴史は、言ってまだ数十年。 フランスではそれこそ時代と常にに共存してきた「文化」ですもんね。フランスのその「文化」を知ることで、自国である日本の文化にも目を向けられるようになったことは、大きいですね。



そう。 せっかくフランスでそういったものを見て、習得してきたのだから、今後は日本の良さとフランスの良さを混ぜ合わせたようなお菓子も、掘り下げていきたいね。





- 森さんにはもっともっと聞きたいことが沢山あります。

たとえばオーナーとの関係や、その土地に新しい文化を持ち込んだときの話、つまりは豊洲という場所にフランス菓子を定着させるまでのストーリーなど。 そのあたり、これから先頭に立っていく後の世代のパティシエたちもとっても興味ある分野だと思うんです。もちろん私達世代もね。 

次回の「パティシエ・ビジネス論(仮)」編でいろいろ聞かせてください。



ははは、僕はそんなに完璧じゃないけどね。(笑)





森シェフの周りには、いつも人が集まり、何やら楽しそうな話題が舞い込んでくる。

自分一人の力で手に入れたものは何もなく、そのすべては周囲に支えられ、周囲に助けられたからこそのもの。 輝かしいキャリアを持ちながら 意外なほどのその謙虚さと、常に「最高」を求める志の持ち方は、今日の森シェフを見れば当然納得のいくことだと感じました。



- 最後に、今後の目標を教えてください。



まずはセルクルを、大きく、素晴らしい会へ成長させていくことだね。 9月2日の第二回集会、まだこちらは参加募集を締め切っていないので、興味のある方は是非ご参加ください。セミナー、トークショー、懇親と内容は盛りだくさんです。 



-そうですね、締め切りは今月末(7.30)となっています。 ご興味のある方、お待ちしています。

森さん、お忙しいところ、今日は本当にありがとうございました!





Patisserie SAKURA パティスリー・サクラ


江東区豊洲4-2-2

東京メトロ 有楽町線「豊洲駅」4番出口 徒歩2分


火曜定休



写真・取材: 藤森もも子  / セルクル・デ・シェフ











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