ぐるぐると非二元タイム! | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

釈迦が出家制度を採用したように、本格的な悟りの道は一般化できない。
仏教の軸である最終解脱は 「人間辞めました」 と同じこと。
一般人には関係ない話である。

釈迦は相手の機根を見て、ひとりひとりに最適な法を説いた。対機説法である。
悟りの準備が整っていない者には決して出家させなかった
本格的な法門を閉ざしたのだ。

だが、現代の悟り系スピは宣伝活動に積極的である。
不特定多数にノンデュアリティを説いてしまう。


非二元・ノンデュアリティの本質は、「あらゆる価値基準が成り立たない」 ことにある。
そんなもんで商行為が成り立つのがおかしい。

だがノンデュアリティ系スピは、すっかりビジネスになってしまった。
悟り産業である。
その時点で既にノンデュアリティではない。

商いの原則は、「価値を提供すること」 である。
だから対価が発生し、商行為が成り立つ。
ノンデュアリティとは無縁である。

ぐりとぐらとぐるぐる


私は、スピのビジネスそのものは批判していない。
現実レベルの幸福を目指す 「二元スピ」 で商売するのは良いだろう。

もちろん、悪質な洗脳やマインドコントロールの手法を用いて、意図的に金品を巻き上げる輩は論外である。

だが、スピラー本人がハートに真っ直ぐな商売をするならば、何も悪いことは無い。どんどん稼げばよい。
価値あるものを提供する以上、対価が発生するのは当然なのだ。


だが、非二元・ノンデュアリティ系スピだけは別である
価値のない次元に導いているからだ。
ノンデュアリティとは、絶対的虚無のステージである。


商いとは、
「価値あるものに対価を支払う・受け取る」
という貨幣社会のシステムを利用する行為だ。

つまり、それ自体が価値判断 (ジャッジ) であり、二元の原理なのだ。
ノンデュアリティの先生方がそれを利用するのは、矛盾もいいとこだろう。


「でも、この世で生きているんだからお金は必要です」 と言い訳した人がいた。
実に見苦しい。
生活費が必要なら、ふつーに世に出て働けばいいだろう。

どうしてもスピの仕事がやりたければ、二元に軸を置いたスピを教えればいい。
「個」 の存在性を認め、個の力を活かすようなスピを教えればいい。

彼らがどれだけ詭弁を弄して二元を超えた世界観を広めても、貨幣社会の仕組みを利用する以上、最低限の筋は通すべきである。
それを無視するなら、詐欺師と同じだ。


仏陀釈尊は、現世での心の安らぎを求める人には在家のままにさせた。
出家者と在家信徒を厳密なまでに区別したのである。

ところが今のノンデュアリティ界は、どうしたことか?
宣伝しまくる。
人々の機根を無視し、不特定多数に対してノンデュアリティへ勧誘する。

ブログ・ランキングにもしっかり登録。
アメブロなら、いいねとペタを付けまくる。

彼らのブログを読むと、無欲で高潔そうな人格を装っているが、実態は自己顕示欲と商売根性の塊…。
二元スピなら宣伝するのは当然だが、非二元スピでそれをやるのはスピ的破綻である。


「今のままでいい」
「自分を変える必要はない」
「ノージャッジ」
と説教するくせに、本人のプロフィール写真は厚化粧。笑

または、奇跡の一枚をわざわざ選ぶ。
しっかり価値判断(ジャッジ)しているわけである。

二元スピなら納得できるが、非二元スピでそれかよ…。

中には写真そのものを大幅に細工しているとしか思えない人もいる。
奇跡の一枚のレベルさえ飛び越えている。
「話を盛る」 という言葉があるが、彼らは写真も盛っている。笑


たとえばオリジナルはコレなのに

ボアするぞ




こーなってたりとか。笑

ボアするアニメ

あれっ? 申し訳ない。
同じ写真を2枚もアップしちゃったよ…。
ぜんぜん見分けがつかない!!


今のノンデュアリティ指導者は、機根を慎重に見極めるという責任感もない。
悪質さの度が超えた奴になると、うざい宣伝テクニックまで使い始める。

たとえば、同じ記事なのに一日に何度も投稿時刻の設定を変えて、ブログの更新リストの上位に表示されるようにする。
だから、他の真面目なブログが下方に表示されてしまい、発見しづらくなる。

そういう迷惑行為を平気で行なっている。
ノンデュアリティどころか利己的エゴの塊である。

私もあまり偉そうには言えないかもしれない。
何故なら、自分のコンテンツに加筆・修正を加えた時は、読者に再告知する意図で、再アップする事もあったからだ。

ただし、多くても一日に一回以上は超えない。
なるべくそのワザは使わないように留意している。

だが彼らは、内容に何の手も加えていない記事を何度もアゲるのである。


非二元というラベルが貼られた二元スピ。
至福・歓び・平安などの美味しい餌をバラまき、客を釣り、喰いつかせる似非ノンデュアリティ。

当然、彼らが積んだ膨大な業は、必ず清算させられる時が来る。
誰のせいでもない。
すべて自業自得だ。

その時こそ
「何があっても大丈夫」
「全ては完璧で最善」

という自らの教えを、厳しくその身に問われることになるだろう。


※エンライト代理人より。
 記事中の写真加工のお話ですが、悪意ある人の攻撃を受けたり、ネットストーカーの被害を受けている人が、セキュリティのために個人情報に細工をするのはアリだと思います。