春昼閑話 -34ページ目

宵待逍遥/2

ばった蟻蜥蜴 隠れる日陰に 緑はあるのか 我も休まん


葉脈透けるごと 血管の潮は沸点に 誰会はんとす


かちしか知らぬ 免許無し 墓参の道は 修行の道なり


宵待逍遥(俳句/短歌mix)

通り雨


夕の幕引き待たずして 歩く道には影など見えず


禽獣さえずる店先の 簾涼しく はや店じまい


剣山の いまこそ盛りと蒸す宵に 氷菓歯に刺す痛みなぞなし


クリアな世界

ちゃんとしてきれい

健康診断では計測不能、
0.01以下という救いようのない近視なんですが
なんとか眼鏡と使い捨てコンタクトで
日常生活をこなしています。
眼鏡をとると、恐くてあるけませんが。

ずっと眼科では「乱視もはいってますよ」と
言われてきましたが、乱視用コンタクト(一日使い捨て)は
高くてちょっと購入に躊躇していました。
夜、月や街灯を見ると3つとか5つに分身して見えるんです。
デッサンしていてもエッジがきれいに見えなくて
細かい形が座っているとうまくとれないんです。

それでも頑固に乱視用レンズを買わずにいたのですが
先日、コンタクトを買いに行って試しに
乱視用コンタクトを装着してみました。

す ご い !!!

もう感激しました。実は世の中ってこんなに
はっきり、ぱっきりした世界なんだーーって。
こんなに感動したのは何年ぶりでしょう。
「クララが立った」レベルの感動です。
この気持ちが味わえるのは自分一人なんですが。
遠くまで見渡しても何でも見えちゃう。
マサイ族とかってこんな感じなのかな?(もっとすごいけど)
もう迷うことなく購入しましたよ。
でも、月に8,000円かかるので、
次回は眼鏡にしようと思います。

で、私の最近の趣味に「遠くの物を見る事」が追加されました。

ちいさき祈り

小さき祈りは

古い ろざりおの かけらでも

あなたの お顔は いとおだやかです。

手のひらの アヴェ・マリア

ちいさな祈りは叶いますか?

平凡な 人間の ささやかな願いは

心に そっと秘めた 想いは

そらのかみさまに 届きますか?

今日は いいお天気です。

こんな 澄みわたった空なら

ちいさな 祈りも 見つけてもらえるでしょうか

ほんとうに 今日は いいお天気です。

がんばれ

傘はなけれど堅き心もて行きずりの通り雨やりすごす


塩まきて蛞蝓萎るる汝名の無き商人に開く戸はなし


もにた向かうるは孤独なれどがんばれ蜘蛛糸の先に応援者あり

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メール見た。こんな事しか書けないけど
がんばれ~~

プレゼント

ぶどう

誰かに何かをプレゼントするとき、
お店へいって、その人のことを考えているとき
うきうきした気分になります。

大切なともだちと、就職が決まった弟の彼女へ
着物用の簡単な帯をプレゼントしようと思いました。
嬉しいことに、私同様、彼女達は着物が好きなので
自分が好きなカテゴリーから選ぶプレゼントは
いつにも増して、うきうき気分になります。

プレゼントは、送る側も嬉しい気分になれる
素敵な習慣だなぁ、としみじみ。

気に入ってくれたらいいな。

壊れた時間

壊れた時間

取り返しのつかない事は、いままで沢山あったかも知れないけれど
時間が経てば現在の状態が日常となり、そんな過去さえも
忘れてしまっている自分がいたりする。
それは、日々の慌ただしさから来るのか
心がすりきれて
何も感じなくなってしまっているのか。

過去をふりかえり、戻ろうとする行為は
山を登るより、降りるときの怖さににている。
臆病な私は、もう登り続けるしか無いのかもしれない。

そして、この時計は壊れて時を止めたまま 虚ろにたたずんでいる。
時を紡ぎ続けるのに疲れ果て、未来を夢見ることもかなわず
ただ、虚無の時間にさらされている古時計。
私が動きを止めるとき・・・・その意味は誰もが知っていること。
日々前進あるのみだ。
それには、螺子を巻いてくれる誰かが必要だけれども。

こころのみ知る星

祈り



蟻の隊列を眺むるは


寂寥たる心持にて おもほえず 涙ぐむ


あなたにて・・・


ひとり 取り残されし 淋しき 影よ


そは 我が心に棲む サラマンドラ


秘儀は 隊列去りし 星の下 行わるる。


「わが ひめたる ことのは 知るや」


「なが ひめたる ことのは ありや」


闇のただなか 紅き その ほむらのみ 見ゆ。


祷り いでし 天にあがるは


名はなけれど 


わがこころのみ 知る星。

複製

歯

この上顎は私の生きた証の複製だ

笑い 泣き 噛み締め 含んだ

全てを知る 証人だ

だが

つめたく白い石膏は

血肉のあたたかさを忘れている

それでも うつとりと 眺めてしまうのは

それら 日常より

逃げ出したい私の感情の 複製だからだ

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歯医者いかなきゃ

麻利耶観音ー蒲原春夫と芥川龍之介ー

蒲原春夫

タイトルは、『麻利耶観音(まりやかんのん)』。
もとは右読みなので、戦前のものでしょう。
作者は蒲原春夫と記されています。
蒲原春夫は長崎の生まれで、芥川龍之介の弟子にあたる人です。
作者については勉強不足で、ひととなり、また著書についても未読なのですが
素朴なタッチで製作された、この10センチ四方の小さい版画に心ひかれ、
数年前、手に入れました。(衝動買い)

芥川龍之介と麻利耶観音のかかわりで思い出すのは、
『黒衣聖母』(初出:『文芸倶楽部』 大正9年5月)です。

芥川 龍之介
芥川龍之介全集〈3〉

この短編小説のなかに、麻利耶観音そのものが出てきます。
骨董の麻利耶観音にまつわるエピソードを
現在の持ち主である「田代君」が「私」に語る、という内容で
「悪意を帯びた嘲笑」をもつ麻利耶観音の霊力によって
急病の孫の命の代償として、
麻利耶観音に祈りをささげた祖母の命が奪われるという
一見したところ、オカルト風味の短編小説です。

私の持っているこの版画からはそんなおどろおどろしい印象は受けません。
むしろ、プリミティブで土着信仰にも似たあたたかいものを感じます。
蒲原春夫のこの作品と『黒衣聖母』の関連性は、不勉強なもので
憶測でしか語れませんが、もし『黒衣聖母』のイメージで製作したのであれば、
それは「悪意を帯びた嘲笑」をもった聖母へ
代償を払わなければいけないという、
何か悪魔との契約じみた暗いイメージよりも
実際にマリアが描かれていないという所からも、この作品は
病気から孫を救いたいと願う、祖母の深い愛情の象徴として
制作したものではないかと考えました。
そう思うと、二対の天使が、どこか孫と祖母のようにも見えてきます。
それにしても、全く印象のちがう二つの「麻利耶観音」という作品。
蒲原春夫と芥川龍之介の師弟関係を紐解けば、
さらに何かが解るのかも知れません。

私はここで『黒衣聖母』にもふれたのですが
どうも「小説」のカテゴリーに入れたくなかった訳があります。
物語の、骨董で仕入れた麻利耶観音を見せる「田代君」の
描写で、自称骨董好きの私は限りなく共感しました。
多分、どこかで私もこんな表情をしているのかも知れません。

・・・「どうです、これは。」
田代君はあらゆる蒐集家に共通な矜誇の微笑を浮べながら、
卓子の上の麻利耶観音と私の顔とを見比べて、もう一度こう繰返した。・・・


どうしても、がんばって手に入れた
お気に入りのコレクションについて語るときは、ニヤけてしまいます。
やばいですね。

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実際にはこの古い版画相応の、
とろけた木製の額に作品が収められています。
タイトルは、額の幅いっぱいに大きく
「音 観 耶 利 麻」 と
書かれていることから、きっと小さな教会の隅にでも
架けられていたのでは、と妄想をふくらましています。
骨董は、出自が不明なものになればなるほど
どんどんロマンや空想が広がってゆきます。
そして、それも私の骨董の楽しみ方のひとつです。