慰霊の日 | せりかのぱちくり日記

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6月23日



71年前の今日、
沖縄戦が終結しました。



慰霊の日です。





去年の2月、
私はひめゆり学徒隊に関する
お芝居に取り組み、わたしは
ひめゆり学徒隊を率いた教員の中で
唯一の女性だった親泊千代子先生を
モデルに書かれた女性教諭を演じました。


あの戦争体験は
頭ではなく身体の感覚として
今でも私の中に残っています。



とはいえ、
私たちが経験した戦争は虚構で、
幕が上がったら始まって、
爆弾は音と光だけ。
爆撃されても血も出ない。
暗転したら死んだ人も歩き出す。
幕が降りたら戦争は終わる。
演劇でしかありませんでした。



 それでも、
あれが虚構だったとしても、
今の私がこの時期に
ひめゆりの学徒たちを思い出し、
彼女らの事を決して忘れない、
沖縄の方々に心寄り添いたい、
そんな風に思わせるのは
確かにあの虚構の戦争体験なのです。


先月、沖縄を訪れた時には
上陸した米軍から逃れるため
南へ南へと下った人々が
追い詰められて幾人もそこから
身を投げたという喜屋武岬へ行きました。

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那覇の方から南へ向かうと
喜屋武に着くまで上り坂でした。

南へ行けば、海へ着けば、
そう考えて必死に海を目指して
南へ南へ走ったのでしょう。


ひめゆりの塔や平和記念公園ほど
観光地としての知名度もなく
訪れる人も少ないのでしょうか、
アクセスが非常に悪く
道も細く舗装されていなかったり
何かのついでにたどり着けるような
場所ではありませんでしたが
そこを訪れる人のために
たくさんの方が喜屋武岬と、
喜屋武岬へ至るまでの道の
草刈りをしていました。
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勿論、
ひめゆりの塔へも足を運びました。
過去に2度訪れた事がありましたが
お芝居をやってから初めての訪問でした。




ひめゆり平和祈念資料館では
ちょうど学徒隊を率いた教員に関する
特設展示もされていました。



私たちの他は
ほとんどが修学旅行生で
自分も、高校生の頃に修学旅行で
ひめゆりの塔へ来たなぁ、と
懐かしく思い出しました。



修学旅行で沖縄を訪れた人は
ガイドさんに連れられてひめゆりの塔に
立ち寄ったのではないでしょうか。



楽しい修学旅行の途中で
組み込まれていた平和学習は
ただただ、怖いという風に、
ただただ、かわいそうという風に
記憶されているかもしれません。



きっと、当時の私たちには
それが精一杯だったでしょう。


でも、


だから、


できるのなら、今、もう一度、
大人になったあなたの目から
ひめゆりの学徒達のことを
沖縄の人々のことを
思い出し、考えてみてください。


当時「恐ろしい」と感じた歴史は
当時「かわいそう」と思った少女達は
何故、そのようになったのか。
誰に、そのようにされたのか。
何がどうであったなら、
あの惨たらしい戦争を
避けることができたのか。



あの戦争を考えることは、
歴史を過去を考える事でしょうか。


それは今を、
未来を考える事ではないでしょうか。





慌ただしく
めまぐるしい日々の中では
自分の事で精一杯で
生きるだけで一苦労だから、
せめて年に一度この日だけでも
少しだけ、ひめゆりのことに
沖縄の事に思いを馳せてみてください。





なんて、
一度お芝居で演じたくらいで
私が偉そうに言える事ではないけれど。






あの日の言葉、あの日の叫びを忘れない。
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虚構のチカラ、演劇の可能性。









生きてるんだもん、生きてやるんだ。
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もりもり筋肉













せりか目