こんにちは
この1ヵ月くらいで、何人かの知人が亡くなりました。
僕は少しだけ高齢者支援の仕事もしていまして、そこの入居者様だったり、
以前勤めていた知的障がい者入所施設の利用者さん(又は親御さん)だったり、
友達の親だったり…
そんなこんなで何となく活気が出なかったです
ある人はよく「私はその内にあの世に行っちゃうから」と言っていました。まだ若いし病気でもないのに。
言霊とか、日頃の思いが関係したのかどうか…?
又、認知症になったある人は、(まだ発症していない時に)辛いことがあると「早く死んじゃおうかな」と言っていました。
ある意味、体が心の望みを叶えた?
僕は10年近く前に市民マラソンに出たことがあります(館山若潮マラソン)。
その頃はいつも胸が空虚で満たされず、心も渇いていました。
夜、仕事帰りに1人で練習していましたが、苦しくなるといつも「これで死んだっていいんだ!」と思いながら走っていました
本当にそう思いながら練習していたからか、本番では18㎞辺りから胸が苦しくなって呼吸音が「ガー、ガー」という音になり、胸が詰まった感じになりました。
レース2~3日後には病院で急性の心筋梗塞の疑いありと言われました。
検査の数値も正常値の20倍位で
安静にして治しましたが、今でも心臓の鼓動がおかしくなったり体の調子が悪くなるのは、この時の影響もあると思います。
改めて思うのは、命を粗末にしてはいけないということです。
本で知った幕末の頃の聖者、黒住宗忠の言葉です
「心が主で肉体は従である。心が活気にみちたら、疾病にかかるべき理由はない。もし、その肉体が健康でありたいと思うならば、命を楽しみ、我を離れ、天地生々の道にしたがうべきだ」
「病あれば気を屈せず、心を動かさずして身を安んじ、よしと思う医者にかかれば薬もたちまちしるしあるべしと疑わず、深く天照太神を祈念しつつ、その命はことごとく天に任せ、いっさい苦悩を離れて養生すれば、百病も治らぬということなし」
とも言っています。
宗忠の生命哲学を高弟が要約した「道の理」の中には
「…形の事を忘れ 日神の日日の御心に任せ 見るも聞くも一々味わい 昼夜有難いと嬉しいとに心をよせ 御陽気をいただきて下腹に納め 天地と共に気を養い 面白く楽しく 心にたるみ無きように…」
と書かれています。
御陽気とは朝日のエネルギーのことです。
朝日を浴びると良いことは、現代科学でも言われていますね。
他にもたくさん素晴らしいことが書いてあるので、気になる方は読んでみるといいと思います
と言われたとか。
命を楽しむと言えば
いい歳して独身ですが、昨日のバレンタインデーに友チョコ?をもらえたので、命を楽しむことにします(笑)
皆様の人生も楽しいものでありますように