皆様。


めり〜くりすます🎅🎂❤️

スカイツリーも今夜は…

クリスマスツリー🎄❤️

いや〜、日本は良い国ですね👍


多様性が声高に叫ばれる時代、キリスト教を押し付けるのは人権侵害だとして、ハッピーホリデイと言わないのはヘイトだと決め付ける団体が欧米に増えて来ています。

レインボーカラーをシンボルにしている組織ですけどね。

勿論、その裏ではいつもの人達が糸を引いているんですがね。


八百万の神が居る日本ではクリスマスだろうがラマダーンだろうが、御釈迦様の誕生日だろうが、なんでも祝っちゃいます♪


これが本当の多様性ではないでしょうか?


と言う話は置いといて、😁


我が家も今宵はローストビーフと、


フルーツタルトで、

ささやかながらメリ〜クリスマス♪


さてさて、今回はそんな我が家の話ではなく、江戸時代にもクリパ、つまりクリスマスパーティをしていたと言う話です。


そもそもクリスマスって、Christ+mas、キリスト+ミサ。

つまりキリストの誕生日ではなく、誕生を祝うミサの日の事なんです。


キリスト教禁止の時代に日本でクリスマス⁈


ですよね〜😁


まあ、鎖国の時代、キリスト教は禁止されていましたが、長崎などでは外国との貿易は行われていました。

当然、其処には多くの西洋人達が出入りしていた訳で、

彼らは勿論キリスト教の行事としてクリスマスを其処で祝っていました。


当時の出島の光景を描いた浮世絵にもクリスマスパーティの様子が描かれています。


その時代の西洋社会では、現在と同じグレゴリオ暦、太陽暦が使われていましたから、彼らのクリスマスは新暦の12月25日、旧暦、太陰暦の江戸では11月の冬至の頃になります。


冬至は前の投稿でも書いたように、その日を境に太陽の力が増す地球規模の大事な日とされ、

世界的にも大きな行事が催されていましたから、当初そんなに信仰が進んでいなかったキリスト教もその行事に便乗して、12月25日をミサの日として布教拡大を目論んだという訳です。


実は戦国時代には日本にもキリスト教が広まったのですが、当時のポルトガル宣教師達が本国の王やその軍隊、商人達と組んで日本人を奴隷として国外に連行するという「奴隷貿易」が行われて、その実体を知った秀吉が布教禁止令を出すに至り、家康もそれを引き継いだという事なんです。


しかし、宗教は禁止されていたものの、貿易自体はポルトガルからオランダに主体は移り、続けられ長崎の出島では大勢のオランダ人達が滞在していました。


其処で彼等は幕府に対して表向きには、西洋の冬至の祝い「オランダ冬至」と言ってクリスマスパーティーを開いていたそうです。


また、冬至の時期は西洋の太陽暦では新年も近い事があり、日本の文化では正月を祝う事に因んで「オランダ正月」とも言ってクリスマスを祝っていたのだそうです。

日本と違って欧米のクリスマスは年末12月にから年が明けても春頃まで暫くは続きますからね。


また、そのパーティーには出島を管轄する幕府の役人も呼ばれていたそうです。

そして、そこで異文化に触れた役人達は家に帰ってからも西洋風の料理などを見よう見真似で作って、オランダ正月を祝ったと言われています。

江戸時代のファミリークリスマスパーティですね♪


其処に目を付けたのが日本の進歩派、蘭学者達です、長崎で経験したオランダ正月を江戸でもやろうということになり、皆で集まり大宴会を開いたそうです。

国が太陰暦で動いている時に太陽暦の西洋の新年を祝う俺達ってイケてる?

てな具合だったのでしょうかね?

まあ日本人は宴会好きですからね🤣


十一月に新年会、ついこのあい大掃除で忘年会やったばかりなのに😁

これも暦の違いが生んだ隠れイベントという事ですね👍


現代人の我々は、古くからの日本の行事の多くが旧暦を基本として新暦で行われるので、頭がこんがらがって来てしまいますよね😅


大体、あの有名な忠臣蔵だって12月14日の雪降りしきる中で行われていますよね。

これが旧暦で新暦に直せば1月の半ば、さしもの江戸東京でも雪は降りやすい季節ですもんね。

いたく納得です✌️


そして現代の日本では、クリスマスが終われば次はお正月。

その前の大晦日には年越しそばを食べるのが習慣になっていますが、江戸時代には年越しではなく、節分蕎麦だったのですよ。


立春の前日の節分に災害避けと長寿を願い読経するという行事が年末の邪気を追い払う追儺という神事から派生します。


節分は立春、立夏、立秋、立冬の前日の事ですか、このうち特に大事とされたのが立春前の節分で、現代の新暦2月3.4日です。


これは旧暦では年末大晦日頃にあたります。

つまり一年を分ける大きな節目を意識する日となった訳です。


そして追儺と節分が合わさり、鬼を追い払う、魔を滅する、つまり豆があたらしアイテムとして加わり、室町時代頃から鬼を追い払う行事として定着していきました。


季節の変わり目には体調を崩しがちになります。

これは鬼門から鬼や疫病神が入って来るからだといわれ、節分の深夜には百鬼夜行が現れると当時の文献にも書かれていました。


其処で節分には厄払いに鬼を追い払う、魔を滅するマメを撒くという事が年中行事として根付いていったという事のようです。


そして、豆まきが終わったら出て来るのがお蕎麦、節分蕎麦です。

当時は節分の翌日に立春を迎え、暦の上で春になる事が本当の年越し、一年の始まりという感覚だったのですね。


さらに当時の商家では毎月の晦日に「みそか蕎麦」と言ってそれを食べる習慣がありました。

という訳で、12月の大晦日にも側は食べられていましたが、年越し蕎麦とは呼ばれず、「年越し蕎麦」といば節分ので時に食べる蕎麦ということでした。


暦が変わったおかげで随分とややこしいことになっちゃいましたが、そんなところも上手くこなしていくのが日本人♪

季節感が少し早いかな?くらいで、古来よりの習わしを現代に伝えているんですね。


知れば知るほど日本の素晴らしさが見えて来ます。


こりゃあ外国人が日本を狙うワケだ😝