ほぼシベリア 東北カザフスタンを行く  2024年

8 クラスヌィ・ヤール

 

 

 昨年秋の中央アジア旅行では、キルギスの村や遺跡を訪れることができたから、変化に富んでいた。今回の旅行は厳寒期ということもあって、都市を歩いてばかりである。せめてゼレンダという保養地へ行ってみたいと思ったけれども、バスが日に一往復しかなく、諦めざるを得なかった。そこでゼレンダの代わりに、コクシェタウ近郊にあるクラスヌィ・ヤールという村へ行ってみることにした。

 クラスヌィ・ヤールは村とはいえ人口は1万人近くもあり、コクシェタウ中心部から12系統と13系統のバスが頻発している。

 アウエゾフ通りの中央市場バス停から12番のバスに乗る。車掌に運賃180テンゲを払って、端末から打ち出されたレシート状の切符を受け取る。掴まり棒に取り付けられた機械にICカードをタッチしている乗客もいて、その比率は半々くらいだった。

 バスは通信塔や展望台のある丘とコパ湖との間を抜け、ダーチャや墓地が並んだ郊外を走り抜けて、クラスヌィ・ヤールの家並みの中へと入って行った。村の名前は赤い崖という意味で、つまりはカザフスタンの赤壁である。しかし、茫洋とした丘に乗った集落に過ぎず、川はあっても絶壁などありはしない。

 

 

 街道から村内の通りに右折して二つ目、ツェントル(中心)というバス停で下車する。車内は満席のままであったから、ここでかなりの人数がバスを降りた。しかし、それらの人々はたちまちのうちに散り散りになってしまい、後には静寂だけが残された。

 周囲を見回すと、ミニスーパーとモスクがあり、スーパーの2階にはカフェの看板も見える。但し、冬季休業中のようである。一方、モスクからは無人の街路に向かってスピーカーから何か放送を流している。そういえば今日は金曜日であった。

 

 

 

 

 モスクの正面には公園とも広場ともつかない細長い空間が伸びている。この空間には、新しい門のようなアーチがふたつ、ソ連時代に建てられたオベリスク状の記念碑、そして、金銅色に塗られた戦士の像が建っていた。この戦士は、金泥色に塗られていて、マグマ大使を思い起こさせる。

 

 

 村の中心部には第1、第3とふたつの学校がある。出入りしている生徒の年齢からすると、小学校と中学校が一体となっているようだ。どちらもかなり大きな学校である。

 ちょうど第1学校の前に黄色いスクールバスが着いたところで、何人かの生徒が降りて校舎へと入って行った。今はお昼過ぎであるから、自宅で昼食を済ませて午後の授業に臨むところなのか。まさか二部制ということはないだろう。車内に残っている生徒もいて、その子たちは第3学校まで乗って行くらしい。

 

 

 

 小雪がちらつく中、村の中を歩き回る。北風が吹いていて、北へ向かって歩くと雪が襟首から入り込むので、南へとむかう。真っすぐな道の両側に平屋の民家がまばらに建っているだけの、なんとも侘しい村である。

 

 

 

 この村は、コクシェタウのベッドタウンのような存在なのだろう。家々は、農家ではないようだ。そのせいか建物はわりあいに新しく、木造の民家など数えるほどしか見られない。

 

 

 カザフスタンの片田舎で、なんで寒さに震えながらとぼとぼ歩かねばならないのか。そんな思いに囚われ始めたし、おなかもすいた。バスをつかまえて、早々にコクシェタウ中心部へ舞い戻る。

 

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