ニジェール川はピナンスに乗って 1990年

12 ガンビア

 

 ダカールに着いたところで、今回の旅行は終わったようなものである。ここまで、それなりに順調に行程をこなすことができたので、この街では時間に余裕がある。そこで、ガンビアまで足を伸ばすことにした。

 ホテルからガレ・ルーチエールまでタクシーで行く。車を降りると、すぐに18人乗りのミニバスに案内される。運賃は2250CFA(1150円)。11時5分に発車する。

 3時間かけてカオラックまで行き、ひと息入れる。このカオラックは列車で通ったギンギネオ駅から20キロメートルあまりしか離れていず、鉄道の支線も通じている。但し、旅客営業をしているかどうかはよくわからない。来た道を戻るようではあるが、ダカールとガンビアの首都バンジュルの間には広大な湿地帯が広がっており、道路は三角形の2辺を迂回して行かねばならないのである。

 

 カオラックを出ると、ミニバスは何の表示もない街かどで右折した。これまではアスファルト舗装の快適な道だったのが、途端に悪路に変貌した。牛や羊が道路を横断するのにしばしば出くわすようにもなった。右手には塩田が広がり、塩の山が見える。

 森や湿地帯をいくつも越え、カオラックから更に2時間走って、国境のカランに到着。ガンビアの入国審査では、セネガル入国時に間違って押されたスタンプが引っかかる。「それはキディラのスタンプだ・」と言うと、審査官は上司にお伺いを立ててから、7日間の滞在許可を出した。

 ダカールからのミニバスは国境までしか行かず、ガンビア側は別な車に乗り換えるようだ。乗客の中に同じ顔ぶれがいるから間違いないだろう。運賃も別で、9ダラシ(160円)取られた。

 

 ガンビアに入ると土地の利用形態ががらりと変わった、トウモロコシ畑や牧草地が続き、井戸もポンプアップして水が蛇口から出るようになっている。人口も多く、豊かな感じがする。カランからたったの25分でガンビア川の河口に面したバッラに着いた。

 バッラからフェリーに乗れば、約20分でバンジュルに着く。しかし、次の便は19時発とのことで、夕食をどうしようかと思案する。とりあえず、油で揚げた「ケーキ」とバナナを買っておく。

 

 

 フェリーは30分遅れて出航した。(バンジュル港の時刻表には19時30分発と出ていたから、本当は遅れたわけではなかった。)

 船体は、瀬戸内海で見るような開放的な造りである。この航路はガンビア川の本当に河口を横断していて、半分は大西洋みたいなものなのに、こんな構造で大丈夫なのだろうかと思う。

 しかも、対岸に近づいてもさっぱり街の灯が見えてこない。バンジュルが首都としては小さな街であることはわかっているが、さすがに不安になる。それでも港に入ると街路灯や部屋の窓明りも見え、真っ暗な所というわけではないようだ。

 船を降り、港から街に入る。ロンリ―プラネットの地図をコピーして持っていたおかげで、道がよくわかる。ヒル・ストリートにあるテランガ・ゲストハウスに投宿。2泊で150ダラシ(2550円)。バンジュルは湿地帯の縁に出来た砂州のような島に立地しているので、ヒル・ストリートと言っても、丘があるわけではない。

 ホテル前の路上に食堂が出ていて、フランスパンの玉子サンドを買えた。このサンドイッチ、意外なことに非常においしかった。

 

*     *     *

 

 バンジュルの朝。路上の食堂でカフェオレと玉子サンドの朝食。10.5ダラシ(180円)の代金を払おうとしたらCFAのコインがポケットに残っていた。CFAコインを出させて、お釣りはダラシでくれる。

 

 

 

 

 朝食のあとは、まず市場へ行ってみる。青果物、魚介類の干物、電化製品、衣料といった具合に同種の店が集まっている。野菜や果物を見ると、近隣諸国のものより全体に小ぶりである。国が小さいと作物も小さくなるという、進化論における島の法則みたいなものがあるのだろうか?

 

 

 

 興味深い被写体がたくさんあるので写真を撮ろうとすると、客のマダムが露骨に舌打ちをする。撮影に友好的でないのはここだけのことではない。しかし、他の国では抗議する意思が伝わって来るのに対し、ここでは単なる嫌がらせにしか受け取れない調子なのだ。ガンビアを「人が意地悪」と評した本を読んだことがあるが、全く同感だ。

 

 

 この市場、街の規模相応に小さいので、ひととおり見て回ってもまだ9時を回ったばかりである。行くところもないので、街外れにあるグランドモスクを見に行く。大きなモスクではあるものの、取り立てて興趣を覚える建築でもないし、内部の見学ができるわけでもない。

 

 

 

 

 

 モスクということならば、街角にあるモスクのほうがおもしろい。個人宅か商店のような小さなモスクが、街のそこかしこに建てられているのだ。

 

 

 

 

 そのほかの街並みはといえば、ごく一部にコロニアル風の建築が見られるものの、全般に侘しく、そしてみすぼらしい。舗装道路はほとんどなく、赤茶けた土の上を時たま車が通り過ぎてゆくばかりだ。

 

 

 

 昼間はやはり暑くなるので、一旦ホテルに帰る。フロントの青年が、今日の夕食はどうするかと尋ねる。このフロント係だけは親切だ。

 屋上の日陰でしばし休憩。ここからは、錆びたトタン屋根の家並みが見下ろせる。

 

 

 

 

 午後も遅くになって再び外出。この時間になると、あんなに雑踏していた市場の人通りもすっかり少なくなった。その市場を抜けて海岸に出てみる。漁船が帰ってきていて、浜の片隅では干物づくりに余念がない。

 

 

 砂浜を西へと歩いてゆくと、その先には杭が何列も打ってあった。そこは、野良犬たちの昼寝場所であった。

 

 

 市街地を横断して、反対側の海辺に出てみる。こちらの干潟には座礁した貨物船が何隻も放置されていた。

 

*     *     *

 

 

 

 夜中には2回スコールがあった。2回ともスコールの前ぶれに砂嵐が来て、ベッドも体もジャリジャリになった。トイレに行ったら、例のフロント氏が「蚊取線香が要るか?」と聞いた。蚊で眠れないものと思ったらしい。腰に下げた蚊取線香ホルダーを見せたら、ちょっと驚いていた。

 

 物憂く暑い一夜が明けて、ダカールに戻る日になった。今日は日曜日なので、午前中のフェリーは8時発の1便しかない。こんなところは、やはり英国流である。

 8時15分、船が岸壁を離れる。今度は確かに遅れている。見えるのは、植民地時代から大して変わっていないと思われるわずかな家並み、あとは、椰子の列が続いている。この国にもう一度来ることはないだろうと思いながら、それを見ていた。 

 

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