オリエント∞(無限大)周遊記 1987年

5 アレッポ発ダマスカス行1等車

 

 今日は早朝の列車でダマスカスまで行く。早朝のアレッポはさすがに涼しい。駅までの道には両側の建物から吊り下げられた蛍光灯がまだ点いている。

 

 

 

 アレッポ駅は中学校の体育館を思わせる建物であった。由緒ある駅なのに味気ないことと思っていたら、シルケジ駅と同様、ここも脇に古い駅舎が残されていた。

 

 

 コンクリート造りの屋根がかかったホームに出て、オレンジ色の客車に乗り込む。

 今度は1等車が取れたので、エアコン付きである。シートも2列と1列の配置でゆったりしているし、飛行機タイプのテーブルもついている。窓の汚れもさほどではない。但し、天井灯はひとつおきにしか点灯していない。

 発車5分前に鐘が鳴り、1分早発した。

 

 

 車内売りのケバブサンド(5ポンド:90円)とシャイ(紅茶2ポンド:35円)で朝食にする。

 列車は半砂漠状の土地を淡々と走ってゆく。耕してあるように見えても何も生えてない赤茶けた土地が多い。うっすらと草の緑が見えるところでは羊が放牧されている。テント生活のベドウィンもよく見かける。

 途上国の列車にしては珍しく、車内放送があった。ハマ到着を告げているらしい。 ハマは沿線の主要都市ではあるものの、小さな街であった。それなのに駅の前後では高架橋の建設が進められている。

 

 

 ハマから50分ほど走って今度はホムスに停まった。こちらは市街も大きく、大団地やラクダ色のタンクが並んだコンビナートが見える。しかし駅の周辺は開発途上のようでハイウエイが立体交差している他には何もなく、殺風景なことこの上ない。

 

 

 ホムスを出ると赤茶けた岩沙漠に入った。遠方にはアンチレバノン山脈が見えてくる。地面には小石が列を作っているところがある。これは土地の境界を示しているのだろうか。

 メヒンという駅を通過したあたりからは、蛇行するワジにそってわずかな草が生えているだけの完全な砂の砂漠になった。こんな土地でも踏切があって、線路の両側に斜路だけが造られている。

 さらに進むと今度は灰色の砂漠が現れる。こうしてみると沙漠といってもその表情は様々だ。

 

 

 そんなことを思っていると、車窓が突然に緑になった。ダマスカスを取り囲むグータ・オアシスに入ったのだ。トウモロコシ畑、ヒマワリ畑、果樹園、そしてポプラの木の下にはホルスタイン種の牛までいる。これまで走ってきた土地と比べたら、確かにここは天国だ。

 そしてダマスカスのカデム駅に到着。しかし、ここはどこだろう。ヘジャズ鉄道の駅ならば旧市街のすぐ外側に位置しているのだが、アレッポからの路線は線路幅が違うから駅も別なのだ。それにしても、およそ首都の駅らしくない駅舎で、設備らしいものは何もない。タクシーなどが客待ちをしているということもない。他の乗客たちはどこへ消えたのか、左右に走る幹線道路には若干の通行人が歩いているだけだ。

 人に道を尋ね尋ね歩いて行く。旧市街まで1時間もかかった。

 

 

 

 ダマスカスの旧市街にはスーク・ハミディヤという市場がある。スークといってもこれは要するにアーケード商店街である。東京の新小岩駅南口から伸びているアーケードに長さも幅もそっくりだ。途中に屋根のない部分があるところまで似ている。

 奥に進むとアル・ヤムルーク・スークとかキシャニ・スークとかいう小路が分かれている。ここまで入り込むと、通路幅は狭く屋根も低くなり、イメージどおりのスークと言ってよい。こちらは服飾マーケットなのでお客は女性ばかりだ。

 

 

 

 スーク・ハミディヤを抜けたところにはローマ時代の列柱の遺跡があり、その下にかき氷の屋台が出ている。氷を銀色のかんなでシャリシャリと削り、キイチゴのシロップをかける。シロップが多すぎて半分ジュースのようになってしまうけど、のどが渇いているからちょうどいい。

 

 

 

 正面のウマイヤド・モスクに入る。オアシスの風景を描いたと思しきモザイク画が見事である。広間ではじゅうたん敷きの床に子どもが突っ伏して寝ている。

 

 

 続いて隣接するアゼム宮殿にも入る。各部屋には昔の風俗が人形を使って再現されている。コーヒーハウスには手回しの蝋管蓄音機が置いてあった。風呂には髪をそられている胸毛のおっさんが座っていて、子どもたちが笑って見ている。足場に上がって壁を塗り直しているのは、チャドルやスカーフを被った母娘と見える二人であった。

 

 

 

 

 宮殿を出たあとは、旧市街の路地を歩き回った。建物は全体に灰色っぽく、造りが雑な感じがする。せり出した2階や出窓を支えているのは木材である。レバノン杉は有名だけれども、これらの材木はどこから来ているのだろう。

 

 

 建物の下を潜り抜ける通路があり、人が出てくるので入ってみる。しかしこの路地は100メートル以上も進んだところで行き止まりだった。

 そうこうしているうちに旧市街を貫く「まっすぐな道」に出た。2000年前からあるという由緒正しい道とのことではあるのだが、その名に反してあまり真っすぐではない。その上、車の通行量が多くてほこりっぽいこと。早々に退散して路地にもぐりこんだ。

 

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