華南お手軽旅行 1990年
4 寶蓮禅寺
香港というと大都市のイメージでしかないのだが、植民地としての領域内には山もあればビクトリア島以外の離島もある。色々調べてみると、香港最大の島である大嶼島(ランタオ島)がおもしろそうだ。
フェリーで島の玄関口、梅窩(ムイオー)に渡る。ケネディタウンあたりで海岸を走る路面電車を見て、雑多な家が建ち並ぶ坪洲島に寄港し、岬を回り込むともう梅窩のあるシルバーマイン湾だった。埠頭に降り立つと、赤と黄に塗られた派手なバスが何台も待ち構えていて、ハンドマイクを手にしたおっさんが呼び込みをしている。
自分が乗る昂坪(ンゴンピン)行きはミニバスで既に満員である。先に昼食にすることにして、すぐそばにあった羅馬餐庁に入り、スパゲティを食べる。
食べ終わってから浜辺に行き、ちょっとだけ泳いでみる。シルバーマイン湾の名のとおり、かつては銀鉱があり鉱毒でこの海も泳げなかったのだそうだ。今は砂浜に監視員も座っているくらいだから泳いでも大丈夫らしい。しかし、海中の砂がぬるぬるとして足裏が気持ち悪く、早々に引き上げる。
港に戻り、停まっていたバスに乗り込むと発車時刻でもないのにすぐ出発した。臨機応変に続行便を仕立てているらしい。それでもこの便も満席である。
梅窩を出たバスは小さな峠を越え、海岸線を走り、石壁水塘の堰堤上を通り、最後は急な坂道を登り詰めて昂坪に着いた。梅窩のバス停には所要1時間と出ていたのに、45分しかかからなかった。
昂坪は島の中央部にあり、特に集落などはないけれども寶蓮禅寺という寺がある。境内の中央には高みに大仏が鎮座し、宿坊まで備えた大きな寺である。香港には手ごろなホテルが少ないので、今日はここに泊まってみようと考えている。
バスの着いた広場から歩いてゆくと韋駄殿と名付けられた大きな門があって、それをくぐると正面に本堂である大雄寶殿が建っている。2階には三尊像があり、そのそばで老婆が銀器を磨いている。柱に触って音を立てたら、この婆さまが露骨にいやな顔をした。現代の建物だから、柱は中空の鉄管だし、鉄筋コンクリートの勾欄なども随分と雑な仕上げだ。
1階へ回ると大仏建立のビデオが回っていて、工事工程表には今月に完成だとある。たしかに、あとは階段工事を残すばかりの様に見える。高さは26.4メートルもあり、露座の青銅仏としては世界一の大きさなのだそうだ。
この大仏はバス停の広場からも見えていて、バスを降りた人々が歓声を上げていた。しかし、あんなに沢山いた人たちはどこに行ったのか、影も形も見えない。
人が少ないかわりに境内を何頭もの黒犬が歩き回っている。餌をやるのは一部の犬に限られているから、全部が寺の飼い犬ではないようだ。生類に功徳を積まなくてよいのだろうか。
後花苑なる円形の門をくぐって裏山へ登ってゆくと展望が開け、土地后土之神と書かれた石碑が建っている。眼下の境内に大学生らしき男女の集団が現れ、集合写真を撮っている。きちんとポーズをとってカメラに納まるところがダサい。
上空は啓徳空港へ着陸する航空機の通過コースになっていて、飛行機が周囲にそびえるピークの端からいきなり現れる。この島の最高所であるランタオピークの標高は1000メートル近くもある。遠くを通っても近くを通っても右旋回して降りてゆくので、1機につき爆音が2回聞こえる。
大仏に上がる階段に座って暮れゆく山なみを眺めていたら、先ほどの銀器磨き婆さんがほうきでもって階段を掃き始めた。何となく居づらいので、宿坊へ下りることにする。
宿坊の受付はビジネスライクな窓口であった。入口は男女別になっているのに、その先は一緒で、ただ宿泊階だけが別々になっている。
部屋には2段ベッドが2台置かれているだけで椅子もないから、身の置き場がない。部屋はたくさんあるから収容力はかなりなもので、信者の団体が泊まったりすることもあるにかもしれない。今日の宿泊客は、自分のほかにはアメリカ人のおばさん二人連れしかいない。
一泊の値段は素泊まりで80香港ドル(1600円)にすぎないから、香港の宿泊としては格安と言ってよい。食事は夕飯、朝食とも同じ値段で35ドル(700円)である。
夕食の時間になり、食堂へ下りる。この食堂もだだっ広い。お客の方は、宿泊の3人に加えてカップルの食事客が一組だけしかいないので何だかわびしい。料理は、しいたけ主体の野菜炒めがメインで、湯葉や冷製油揚げ巾着もある精進料理であった。





