建築と空間 イタリア 1994年

29 タラントとナポリ 

 

 

 マルティナ・フランカで乗り換えたディーゼルカーから水面の向こうにタラントの街が見えてきた。タラントは、ラグーナと外海とを隔てる砂州の上に発達した街である。左手の少し高いビル群は新市街、右手の低い建物が並んでいるところが旧市街だろう。

 

 

 列車は旧市街のはずれにある駅に滑り込んだ。乗車駅では窓口が開いていず、車内では車掌も回ってこなかったからキロメートリコにこの区間の記載がないままである。まあ、キロメートリコを限度いっぱいまで使うわけではないから、タダ乗りにはならないだろう。

 

 

 

 駅前通りを数百メートル歩いて旧市街に足を踏み入れる。古代ローマ以前からの歴史あるタラントのはずであるが、この旧市街地区は何とも汚い。街じゅうが廃屋とゴミだらけなのである。子どもがあちこちで爆竹を鳴らし、若者たちがバイクを乗り回している。若者どころか小学生くらいの悪ガキまで仲間に加わっている。こんな街では人の心も荒んでいるのか、老人が道を掃除して集めたゴミの上を、二人連れの青年が平気で踏んづけていく。

 恐怖心と嫌悪感で、さっさか駅に戻ってしまう。駅に降り立ってから30分ほどしかたっていなかった。タラントには「世界一汚い街」の称号を奉りたい。

 

 

 

 タラント15時5分発のE948列車でナポリへ向かう。はじめは海沿いの松林のなかを走り、やがて山中に分け入って丘上都市をいくつも望む。列車は地形に関わらず高速でぶっ飛ばしてゆくから車に負けることはない。それでもナポリまでは4時間余りかかる。

 

 

 ナポリでは駅近くの安ホテルに泊まった。1泊45000リラ(3000円)と安いのはいいのだが、暖房が入らないので寒い。化粧室はバスとトイレが1室になった所謂スリーインワンなのだが、便器が無くて代わりにビデが鎮座している。

ここでも爆竹の音を聞きながらゴミだらけの道を歩き、セルフサービスの食堂に入る。米に芯の残るリゾット、酢をかけすぎのカリフラワーサラダ、上手くもなんともない魚の煮込みを食べる。

 

*   *   *

 

 翌朝、せめて高台からナポリの街を眺めようと思い、ピアッツァ・ガリバルディ駅から地下を走る国鉄線に乗る。ガリバルディ広場とは中央駅の駅前広場だから、ピアッツァ・ガリバルディ駅も中央駅の地下部分と言ってよい。一応、地下鉄網であるM路線に組み込まれてはいるものの、地下線を通る長距離列車もあるので事が複雑になる。駅名が別だから同じローマ行きでも地上駅を発着する列車とは別々に案内されるわけで、分かりにくいこと著しい。しかもホームは他の地下駅と比べても薄暗く、とても特急や急行を待つ雰囲気とは言えないのだ。

 

 

 ともかくも、2駅電車に乗ってモンテサント駅で降りる。ケーブルカー駅に回ってみれば大型の車両を2両連ねた「列車」が階段状のホームに停車している。運行間隔も10分おきと、都市の交通機関としては申し分ない。丘の上に上がれば、ヴォメロという駅からは別なM路線が出ているのだ。ただし、乗客は朝帰りの男女ばかりが目立っている。

 

 

 

 上の駅で降り、丘の縁に沿って歩いてみる。通りの海側には見晴らしのよさそうなマンションが並んでいる。逆に言えば、通りから海が見通せるところは少ないのだ。

 

 

 

 別なケーブルカーで丘を降りて、アメデオ駅に出る。ホテルに帰り、今回の旅行で集まった入場券の類を改めて眺める。この後、ローマに戻ればイタリア半島を一周したことになる。北西部やアドリア海岸の中部、シチリア島など行けなかったところは数多いけれども、この旅行も終わりである。

 

 

 旅行が終わったら、転職するのかどうか、自分の進む道を決めなければならない。その答えはまだ出ていない。

 

[建築と空間 イタリア 終わり]

<建築と空間 イタリア 目次に戻る>

<うさ鉄ブログ トップページ へ戻る>