やっぱり時刻表のない旅 フィリピン 1990年
1 ペーニャ・フランシア急行
フィリピンの鉄道は斜陽である。ここ数年で私鉄のパナイ鉄道は姿を消し、マニラから北へ伸びる路線も運休してしまった。遠からず、フィリピンも鉄道のない国の仲間入りをしてしまうかもしれない。そこで、雪の降る成田空港からマニラ行きのフィリピン航空機に乗り込んだ。
座ったシートは背もたれがリクライニングしたまま戻らないし、傷だらけの窓からは外がよく見えない。鉄道車両では珍しくない事だが、飛行機でこれほどひどいのは珍しい。しかも気流が悪くて揺れっぱなしである。頭上の荷物入れが落ちてこなかったのが不思議なくらいだ。一応、墜落もせず接地したのは良いが、後席の婆さんの吐瀉物がながれてきて座席下に押し込んでおいたショルダーバッグが汚れた。
出口に向かうとスチュワーデスが「どうも~」と言って見送る。「そんな言葉遣いするんじゃないよ」と叱っている親爺がいる。
マニラではまっすぐに中央駅であるツツバン駅に向かう。不思議な建築様式の駅舎を眺めながら中に入る。工場のような鉄骨に支えられた屋根の下にホームが伸びている。
手前のコンコースには中央にテレビと合成樹脂製のベンチを備えた待合スペースがあり、周囲を売店、カフェテリアやトイレが取り囲んでいる。メディカルセンターと書かれた部屋まである。何よりたくさんの乗客がベンチに座っている。荷物の様子からして、長距離客であるように思える。伝統あるマヨン特急も運休してしまった今、フィリピンで長距離列車と言えるのは、マニラと南部のナガとを結ぶ昼行、夜行各一往復の列車だけなのだ。
そのナガ行き夜行列車の発車は20時ちょうど。ペーニャ・フランシア急行という立派な愛称までついている。但し、所要時間はトーマスクック時刻表の記載よりもさらに2時間遅くなって11時間、ナガ到着は翌朝7時である。
構内には、乗客だけではなくポーターもいる。鮮やかなグリーンのハッピを着ているからすぐにわかる。もっとも、彼らに荷物を託すような乗客はおらず、暇そうである。ハッピもよく見るとかなり色あせている。
待合スペースに接して切符売場がある。開放的なカウンターで女子職員が4人詰めている。治安が良いとは思えないこの国では意外だ。ナガまで、エコノミーが100ペソ(700円)でデラックスでも140ペソ(980円)と安い。もっともバスはさらに安くて同じ区間が90ペソ(630円)ということだ。
切符にはスナック・クーポンが付属している。これはエコノミーにもデラックスにもついている。
売店で缶ジュースを買う。わざわざビニール袋に中味を移し替えてくれる。車内へ持ち込むにはこの方が便利かもしれない。果物も買いたいと思ったが、パイナップルやスイカのような平凡なものしかない。トイレにも行っておく。中国式にブース仕切りの高さが1メートルくらいしかない。
19時前、改札が始まる。改札口の脇に小さな黒板があって「ダグパン行は運休」とある。ここまで来て知らされてもどうしようもないと思う。
我がペーニャ・フランシア急行は、一番左手の3番トラックから発車する。まず何両かのエコノミー車両がある。3人掛けと2人掛けの向かい合わせシートであるが、わりかしゆったりとしている。そのあとに1両の寝台車がある。3段寝台で、インドやソ連のように通路側にも長手方向の寝台がある。こちらは狭軌だからかなり窮屈そうだ。さらにその先に乗るべきデラックス車両が現れた。こちらは前方を向いたシートが通路の左右に2つずつ並んでいる。足載せまであるけれども、足が届かないほどシート間隔は広い。天井の蛍光灯はひとつおきにしか点灯していないし、床には大きなゴキブリが這いまわってはいるものの、クーラーが効いているから、途上国としては上等の部類であると思われる。窓や荷物棚の造りからして日本製の客車かもしれない。
窓に引かれたうす緑色のカーテンを開けてみると恐ろしく汚れたガラスの外側に細かい金網が張られている。これなら夜中に投石があっても大丈夫だろう。
20時ぴったりに鋭い笛の音が2回したあと、頼りなげな汽笛の音がして列車は動き始めた。乗車率は半分くらいである。
車窓からはマニラの人々の生活が垣間見える。小さな部屋に家族がひしめきあってテレビを見ている。大きな通りには自動車しか見えず、むしろ小さな通りに人がたくさん歩いている。近郊列車用の駅がいくつかあり、ホームの人々を蛍光灯が照らし出している。列車の速度は遅く、次のパコ駅まで30分近くかかった。
パコでは若干の物売りが乗り込んでくる。「シガリョ、シガリョ」と聞こえるのはタバコ売り、「ナイト、ナイト」と言っているのは夕刊の売り子だ。
21時過ぎに検札がある。車掌の他にスチュワーデスも一緒で、スナック・クーポンをもぎり取る。スナックとはビスケットとアルミパックに入ったドリンクのセットで、配られたのは検札から1時間20分も経ってからだった。







