2025/3/6 三流シェフ④ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。


今週は、料理界のカリスマ・三國清三の自伝『三流シェフ』より、一部編集してお送りしています。


今夜は、その第4夜。


三國は20歳の時、帝国ホテルの皿洗いから突然、大使公邸の料理人に抜擢され、スイスのジュネーブに渡った。


栄典だ。


しかし、周りはフランス語。


料理長なのに、フランス料理は食べた事も作った事も無い。


三國は、目の前の難問で、頭がいっぱいだった。


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アンカレッジ回りで、30時間の空の旅を終えて、ジュネーブに着いた。


大使夫妻への挨拶も、無事に終わった。


しかし、その後が問題だった。


大使が言った。


「アメリカの大使を招いて、正式な晩餐会があります。


人数は、12名です」


恐れていた事が、現実になった。


しかも、こんなにも早く。


正式な晩餐会の料理とは、フランス料理の事だ。


12人分のフランス料理のフルコースのディナーを作るのは、もちろん僕の仕事だった。


「いつ、でしょうか?」


恐る恐る、聞いた。


大使がさらりと告げた。


「1週間後です」


大使の料理人の仕事は、大きく分ければ2つあった。


大使家族の日々の食事を作る事、大使の招く賓客の食事を作る事。


この賓客が、僕には大変な人たちだった。


小木曽大使がジュネーブに赴任したのは、核軍縮や核兵器の不拡散など、世界的な軍事上の諸問題を、各国が派遣した大使と話し合うためだ。


数々の条約の締結や、努力目標の設定を目指し、各国代表は侃侃諤諤の議論を、何年も何十年も続けている。


議論をするのは、軍縮会議の場でもそれぞれの国には、それぞれの利益も思惑も考え方もあるから、公的な会議の話し合いだけでは、なかなか物事が決まらない。


各国の代表は、水面下で非公式な話し合いをして、綱引きをしたり、取引をしたりする訳だ。


公邸の晩餐会は、その水面下の綱引きの場でもあった。


国際会議とはいえ、現場では結局人間関係だ。


人間関係を結ぶには、荒っぽく言えば、一緒に飯を食うのが一番手っ取り早い。


いつもは対立している国の代表たちも、そこだけは同じ考えだ。


公邸料理長の責任は、重大だった。


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ジュネーブの大使公邸では、スペイン人の夫妻が、使用人として働いていた。


純朴で温かい人たちで、この夫婦にはどれだけ助けられたか、分からない。


彼らは、小木曽大使の先任の大使時代から働いていたので、晩餐会の段取りも熟知していた。


僕は、真っ先に彼らと相談して、アメリカの大使が普段行っている料理店を探す事にした。


大使が贔屓にしている料理店が、すぐ見つかった。


オーベルジュ・ドゥ・リオン・ドール。


フランス料理の名店だった。



オーベルジュ・ドゥ・リオン・ドール]


ジュネーブは大都市ではないし、外交関係者が頻繁に使うレストランは、限られていた。


そのリオン・ドールに連絡して、研修を頼み込んだ。


日本の大使の料理人と名乗ったら、驚くほど協力的だった。


外交関係者は、店の上客なのだ。


念の為に言うと、この頃の僕はフランス語が全く分からない。


店との交渉は、大使館の通訳にお願いした。


通訳が使えるのは、公邸料理人の一番のメリットかもしれない。


しばらくの間は、公邸の外で何をするにも、通訳の方の世話になった。


リオン・ドールにも、通訳がついてきてくれた。


大リーグの大谷翔平選手みたいなもんだ。


毎日通って、前菜からデザートまで、料理を完全にコピーした。


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