JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。
今週は、料理界のカリスマ・三國清三の自伝『三流シェフ』より、一部編集してお送りしています。
今夜は、その第4夜。
三國は20歳の時、帝国ホテルの皿洗いから突然、大使公邸の料理人に抜擢され、スイスのジュネーブに渡った。
栄典だ。
しかし、周りはフランス語。
料理長なのに、フランス料理は食べた事も作った事も無い。
三國は、目の前の難問で、頭がいっぱいだった。
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アンカレッジ回りで、30時間の空の旅を終えて、ジュネーブに着いた。
大使夫妻への挨拶も、無事に終わった。
しかし、その後が問題だった。
大使が言った。
「アメリカの大使を招いて、正式な晩餐会があります。
人数は、12名です」
恐れていた事が、現実になった。
しかも、こんなにも早く。
正式な晩餐会の料理とは、フランス料理の事だ。
12人分のフランス料理のフルコースのディナーを作るのは、もちろん僕の仕事だった。
「いつ、でしょうか?」
恐る恐る、聞いた。
大使がさらりと告げた。
「1週間後です」
大使の料理人の仕事は、大きく分ければ2つあった。
大使家族の日々の食事を作る事、大使の招く賓客の食事を作る事。
この賓客が、僕には大変な人たちだった。
小木曽大使がジュネーブに赴任したのは、核軍縮や核兵器の不拡散など、世界的な軍事上の諸問題を、各国が派遣した大使と話し合うためだ。
数々の条約の締結や、努力目標の設定を目指し、各国代表は侃侃諤諤の議論を、何年も何十年も続けている。
議論をするのは、軍縮会議の場でもそれぞれの国には、それぞれの利益も思惑も考え方もあるから、公的な会議の話し合いだけでは、なかなか物事が決まらない。
各国の代表は、水面下で非公式な話し合いをして、綱引きをしたり、取引をしたりする訳だ。
公邸の晩餐会は、その水面下の綱引きの場でもあった。
国際会議とはいえ、現場では結局人間関係だ。
人間関係を結ぶには、荒っぽく言えば、一緒に飯を食うのが一番手っ取り早い。
いつもは対立している国の代表たちも、そこだけは同じ考えだ。
公邸料理長の責任は、重大だった。
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ジュネーブの大使公邸では、スペイン人の夫妻が、使用人として働いていた。
純朴で温かい人たちで、この夫婦にはどれだけ助けられたか、分からない。
彼らは、小木曽大使の先任の大使時代から働いていたので、晩餐会の段取りも熟知していた。
僕は、真っ先に彼らと相談して、アメリカの大使が普段行っている料理店を探す事にした。
大使が贔屓にしている料理店が、すぐ見つかった。
オーベルジュ・ドゥ・リオン・ドール。
フランス料理の名店だった。
ジュネーブは大都市ではないし、外交関係者が頻繁に使うレストランは、限られていた。
そのリオン・ドールに連絡して、研修を頼み込んだ。
日本の大使の料理人と名乗ったら、驚くほど協力的だった。
外交関係者は、店の上客なのだ。
念の為に言うと、この頃の僕はフランス語が全く分からない。
店との交渉は、大使館の通訳にお願いした。
通訳が使えるのは、公邸料理人の一番のメリットかもしれない。
しばらくの間は、公邸の外で何をするにも、通訳の方の世話になった。
リオン・ドールにも、通訳がついてきてくれた。
大リーグの大谷翔平選手みたいなもんだ。
毎日通って、前菜からデザートまで、料理を完全にコピーした。
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