JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。
今週は、俳優・片桐はいりのエッセイ『グアテマラの弟』を、一部編集してお送りします。
中央アメリカの国、グアテマラの古都アンティグアで、スペイン語学校(アタバル)を営んでいる、片桐の弟とその家族。
このエッセイは、片桐はいりが十数年ぶりに彼らを訪ねる旅を、描いている。
その中から、今回は「飴と鞭」の第1夜。
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アタバルの生徒さんたちにそそのかされて、火山に登る事になってしまった。
サルサの無料レッスンがあると言えば、飛んで踊りに行き、古来の怪しい腸内洗浄術があると教えれば、すぐに試しに行かずにおかない私を面白がって、彼らはどんどん新しい課題を、ふっかけてきた。
「お姉さん。
パカヤ、パカヤ。
パカヤに登ってみてくださいよ。
溶岩流れるの、生で見たくないすか?
なぁに、初心者向けの登山コースですよ」
そんな口車にあっさり乗せられて、私は生まれて初めての山登りツアーに、一人で参加する事になってしまった。
登り始めて10分ほどで、騙された事に気がついた。
何が初心者向けだ。
恐ろしい強行軍だった。
まるで、山伏の修行である。
アンティグアから同じツアーに参加した、2組の西洋人カップルは、まるで海辺のリゾートに行くように軽装で、しかも女子は男子に荷物を持たせて、平然と急坂を駆け登っていく。
そしてたった一人、遅れを取った東洋の中年女性を、遥か彼方の休憩ポイントから、腰に手を当てて見下ろしている。
くそー、肉食人種め。
私は、荷物も水も、一人で運ぶのだ。
タンパク質が足りないのか、こちらは半分も登らないうちに、あちらこちらの筋肉がつり始めている。
私は半ば泣きながら、登っても登っても到達しない頂上を、目指した。
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何が見たくて登るのやら。
あまりのしんどさに、その目的すら忘れた頃、ようやく草木が途切れて、その異様な景観が現れた。
柵一つ無い崖の下には、目指す生マグマが地響きを立てて流れ、周りの木々をメラメラと燃やしていた。
[マグマ]
河口からドクドク、赤黒い溶岩が血のように溢れてくる。
地球の内臓を、目の当たりにしたような光景だ。
間近に眺めるだけでも、かなり得難い経験である。
だのにツアーは、どんどんその燃える川に、近づいていく。
砂地が、突如ゴツゴツの岩場に変わって、足元から熱風が吹き上がった。
まだ冷え切らない溶岩が、私の下で湯気を立てていた。
岩の裂け目からはマグマがチロチロと、オレンジ色の舌を覗かせていて、ティッシュを落とすと、一瞬のうちにフワーっと、灰になる。
10メートルほど先は、まだ溶鉱炉の中のような状態だ。
火の上を歩くなんて、それこそ山伏の修行を極めた者にしかできない、離れ業だと思っていたのに。
でも、私は今、燃えるマグマの上を歩いている。
初めてのマグマ体験に興奮する私の足元では、ガイドの犬が足を放り出して、昼寝をしていた。
「オウ、ホットドッグ!」
カップルたちが、緩い冗談で笑い合う。
その呑気な笑い声を聞きながら、私はこの絶景が、アンティグアや首都から半日ほどで往復できるツアーで、かくも簡単に手に入れられている事を、思い出した。
それにしても、今も噴火を続ける火山で、よく物見遊山を許されたものだと思う。
あの、立て看板も柵も一切無い放り出し方には、あっぱれと言うしかない。
【画像出典】