『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、作家、椎名誠のエッセイ『この道をどこまでも行くんだ』をお送りしています。
今夜はその最終夜。
「雲と命」の章より、「ミャンマーの僧侶学校」。
東南アジアの仏教国、ミャンマーの若者たちが、朝早くから僧侶の修行や勉強に励む姿に、出会う。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
仏教国ミャンマーを歩くと、おびただしい数のお坊さんに出会う。
朝、まだ通りに誰もいない風景を写真に撮ろうと、初めて歩いた時だ。
一つの広い道の角から、3〜4列の緩やかな隊列を作った数百人のお坊さんが、托鉢用の入れ物を持って、整然と黙って歩いてくるのに出会って、びっくりした。
ミャンマーでは、ある程度の年齢(日本で言うと小学校高学年ぐらい)になると、出家して僧院で生活し、托鉢のために寺の周辺の街々を巡り歩く。
朝食のためのお布施を乞う、行列である。
オレンジ色の、片肌脱ぎの僧衣を着、揃って片腕に托鉢を受けるための容器を抱えている。
こうした僧侶の托鉢は、毎日決められた時間に行われるので、多くの家々がその行列がやってくるのを、朝のそれぞれの料理を作って待っているのだ。
僧侶らはそうしたご飯や料理を除いて、中に何が入っているのか、確かめるようなそぶりを見せてはいけない決まり、と聞いた。
さらに、托鉢を乞う僧侶及び食べ物を施す人は、決して顔を見つめてはいけない、という厳しい掟がある。
どうしてなのか?
通訳に聞くと、そうして互いに見つめ合った者同士が、それを気に男の僧侶と尼僧の重要な禁忌を破って、例えば恋愛感情などに発展していく可能性があるから、という理由だった。
それと同時に、どの家の人がどんな物を寄進したか、その関連をはっきりさせないようにする、という戒めも存在している。
さらに僧侶らは、寄進された食べ物をまじまじと見つめたり、好きなものを先に手にする、というような行為も、禁止されている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
多くの僧侶は、寺に付随した道場のような板の間で寝起きする。
寝床を上げると、全員で素早く部屋の掃除をしてから、街への托鉢に出掛けるのだ。
寺には、まだ一人前になっていない小坊主たちがいて、その後勉強する事になる。
学校のような椅子や机は一切無く、授業前のその様子を見ていたら、子供の僧侶見習いらは、大きな道場を兼ねる板の間のそこかしこに座り、先生の来る前は一心に、その日学ぶ科目の予習に集中する。
でもその日は、珍しく外部からカメラを持った外国人がいて(僕の事でありますが)、それが気になるらしく、いつまでもざわついていて落ち着かず、年長の僧侶にあちこちで叱られ、やっと思い思いの方向に向いて、自習体勢に入っていったのだった。
やがて僧侶の先生が入ってくると、みんなはその姿勢のまま、先生の方向に向いて、いよいよ本格的な勉強になるのだ。
[勉強]
見ていると、先生は寺にある古い木箱に入った、経典のようなものを出し、それを読み上げ始めた。
生徒たちは、教師の語る内容を記録していく。
そして、だんだんと教義の深いところを学んでいく体勢になっていくようだった。
ちなみに、生徒は常に僧衣を着ている。
【画像出典】