前回まで、長々と続けてしまったお隣の国の近現代史がようやくひと区切り。

 

今回は、本編に盛り込めなかった小ネタを中心とする番外編です。

尚、説明の性質上 ネタバレあり となる事を、あらかじめご承知おきください。

 
 

その7. で記事にした、

 

1980年の「光州事件 ( 5・18 民主化運動)」を描く、映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」( 2017 )に登場するタクシー、起亜「ブリサ」。

 

起亜「ブリサ」は、マツダ「ファミリア ( 3代目 FA3 )」をノックダウン/ライセンス生産したモデルで、1974年販売開始。


映画では走行 60万 km のくたびれたタクシーと言われますが、1970年代の小型車の 60万 km は実はあり得ない…

 

何故なら、当時の機械式オドメータの距離表示は 5 桁/補助 100m 付。

この画面から 60万 km または 67万 km と勘違いされるようですが、いわゆる「メータひと回り」以降の 10万 km 単位は記録出来ないしくみなのでした。

「ブリサ」タクシー紹介動画 (韓国語)から

 

実はこの起亜「ブリサ」タクシーが、 その9. から詳述した映画「1987、ある闘いの真実 (原題; 1987 )」( 2017 )にカメオ出演しています。

時代考証的には古過ぎるため、おそらく意図的な演出です。

 

例 1 . 明洞の街角に停車している「ブリサ」タクシー。

 

例 2 . ソウル市庁舎前広場に停車する「ブリサ」タクシー。

 

確認出来たあと 1か所の「ブリサ」タクシーは、全体は写りませんが重要な役割を担います。

興味のある方は(殆どいらっしゃらないでしょうけれど)、映画の中に探してください。

 

「ブリサ」は、1981年に販売停止に追い込まれてしまいます。

その理由が、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権による「自動車産業合理化措置」。

生産各社を整理統合し、乗用車生産、商用車生産など車種毎に特化させるという、1960年代初頭の日本の「特振法案」(いわゆるホンダ排除)みたいな方針。

 

強権的政策により販売停止に追い込まれた起亜「ブリサ」が、全斗煥にひとこと言いたくなるのは当然かも。

 

ちなみにこの場面は、「ブリサ」ではありません。

 

降車場面のタクシーは、ハム・セウン神父(イ・ファリョン)が乗るのと同じ、韓国初にして現代(ひゅんだい)初の固有(独自)生産モデル、1975年登場の「ポニー」 *1

*1 ; 「固有(独自)生産モデル」「ポニー」

 

「ポニー」を韓国初の国産乗用車とする事がありますが、厳密には三菱「ランサー (初代 A71 )」のプラットフォームとパワートレインを流用した、韓国初の独自モデル。

 

原型モデルの三菱ランサー

 

設計段階からの独自開発は 1994年発売の現代「アクセント」、1995年発売の現代「アバンテ/エラントラ ( 2 代目 J2 )」。

 

歴代視聴率 5 位、62.7 % を叩き出した伝説のドラマ「若者のひなた」( 1995 KBS2 )に登場する、「アバンテ/エラントラ ( J2 )」。

三菱「ミラージュ ( 4 代目 CA/CB )」そっくりとか言ってはいけません(^^ゞ

 

映画「 1987 」の登場人物は、殆どが実在の人物をモデルとします。

 

ただし異なる設定もあり、永登浦(よどんぽ)刑務所のハン・ビョンヨン刑務官(ユ・ヘジン)は、実在のハン・ジェドンとチョン・ビョンヨンのふたりを合わせています。

 

(左)「格好良い先輩」(カン・ドンウォン)も実在の人物がモデルですが、(右)ハン・ビョンヨンの姪、延世大新入生のヨニ(キム・テリ)は架空の人物。

 

こうした点から、ヨニの行動が史実を曲げない配慮をしています。

 

例えば、ヨニが遭遇する明洞のデモ。

その9. に記した朴鐘哲(パク・ジョンチョル)拷問致死に抗議する、「 3月 3日、朴鐘哲追悼四十九日、平和大行進」とテロップが出ます。

 

奥の建物が明洞の「美都波 (みどぱ)百貨店」と分かる程、屋外セットを正確に再現。

現在の「ロッテヤングプラザ 明洞店」付近。

(カカオマップから画像を借用)

 

ここで神出鬼没デモ-通称「かくれんぼデモ」と、ヘルメット+マスク姿の戦闘警察逮捕担当部隊「白骨団」の強制鎮圧を再現します。

 

実際の「 3月 3日、朴鐘哲追悼四十九日、平和大行進」は、清渓川(ちょんげちょん)沿いの広範な地域で同時多発。

「民主化運動記念事業会」Open Archves (韓国語)から借用

 

明洞での大規模行動は 2月 7日、「朴鐘哲連合追悼集会」を開催する明洞聖堂を戦闘警察が封鎖した事に抗議するもので、状況がやや異なります。

 

という訳でヨニが遭遇する「 1987 」の街頭デモは、「 2月 7日 明洞」「 3月 3日 平和大行進」を合わせ、「格好良い先輩」(本当にそう表示)との出逢い-フィクションパートにつなぎます。

 

ヨニが「白骨団」隊員に逆襲する場面に、ちょっとだけほっとしてしまうのは何故だろう。

 

 

ここから展開するスニーカーを巡る象徴的なやり取りはフィクションですが…

 

前回詳述した 延世大の学生、李韓烈(イ・ハニョル)の片方だけ遺されたスニーカーから物語を展開します。

李韓烈記念事業会HP (韓国語)

 

製造会社が廃業したため、「 1987 」ではこのスニーカーを手作りで忠実に再現。

 

(左)催涙弾の直撃を受け倒れる李韓烈

(右)「 1987 」、違いはスニーカーの有無

 

催涙弾の直撃を受けた 20歳の李韓烈は、意識不明のまま 7月 5日に夭逝。

 

民主化運動に懐疑的なヨニに対し、「格好良い先輩」が「忘れたいけど出来ないんだ、あまりにも胸が痛んで… 」と心情を吐露します。

 

「格好良い先輩」(李韓烈)は 1966年、光州市郊外の生まれ。

その7. 中学生の時遭遇した「光州事件」を忘れる事が出来ないのでした。

ヨニが民主化運動に懐疑的なのは、 父親が労働運動で裏切られたあげく亡くなったため。

 

また、「 1987 」制作時には不明だったため偶然ですが、「格好良い先輩」やヨニは、その7.で詳述した「タクシー運転手」のモデル、1932年生まれのキム・サボクのまさしく子ども世代。

「タクシー運転手」でソン・ガンホが演じた「キム・サボク」は、もう少し年下の設定でした。

 

 

スニーカーつながりでもひとつ。

ヨニが駆け抜ける光景が「 6月民主抗争」を象徴。

 

そして最後に、ヨニがバスの屋根から見る光景。

7月 9日、100万人が集結したといわれる、「李韓烈民主国民葬」を象徴します。

 
実際の 1987年 7月 9日の光景。
 

これで何とかまとまると良いのですが、ふうぅ。

 

 

一連の時代を総括するのに欠かせない、1本の映画があります。

ひとが全く出てこない予告編、映像の微妙な不自然さが分かるでしょうか。

 

映画「ペパーミント・キャンディー(薄荷飴)」( 2000 )

主役のキム・ヨンホ(左 ソル・ギョング)と、ユン・スニム(右 ムン・ソリ)。

ネタバレせずには説明出来ない不思議な映画です。

予告編は、列車後部から撮影した映像を逆再生したもの。

1999年の現在から 1979年に至る 20年を遡る事を暗示しています。

 

1997年末のアジア通貨危機( IMF 危機)で全てを失ったヨンホが列車の前に立ちはだかり、「俺は再び戻りたいんだ!」と絶叫する終局が物語の発端。

 

1994年、暮らし向きは良いヨンホだが、生活は荒れ虚ろな日々を過ごす。

1987年、「民主化抗争」の中、刑事のヨンホは捕えた学生を平然と責め立て、無理な供述を得る。

1980年 5月、兵役中のヨンホに下った出動命令は「光州」…

 

1979年、「ソウルの春」と呼ばれたひと時、スニムに貰ったハッカ飴が「世界で一番美味しい」と思えた瞬間が、時代と社会に翻弄され続けたヨンホの発端にして終局。(上記画像)

図らずも社会のダークサイドを歩んでしまった男にも、夢や未来を語れた頃があったのでした。

「ペパーミント・キャンディ」キム・ヨンホを演じたソル・ギョングは、映画「 1987 」で「南営洞」に執拗に追われる民主運動家、キム・ジョンナム役で強い印象を残します。

 

その5.に記した映画「シルミド (実尾島)」( 2003 )のカン兵長(三等軍曹)もソル・ギョング。

 

 

そういえば「シルミド」でも、散らばるキャンディーが象徴的な役割を担います。

 

更に その7.の映画「つぼみ (花びら)」 ( 1996 )にも、脇役ですがソル・ギョングが出演しています(左端)。

 

拷問致死させられた朴鐘哲は 1964年生まれ(戸籍上は 1965年)。

催涙弾を直撃された李韓烈は 1966年生まれ。

そして、ソル・キョングは 1967年生まれ、「タクシー運転手」ソン・ガンホも同い年。

皆 1980年代を語るのに欠かせない存在なのでした。

 

少し年長の自分には、直接の後輩や弟妹に当たる彼ら、「格好良い先輩」の「忘れたいけど、出来ないんだ。あまりにも胸が痛んで… 」というセリフが沁みるのでした。

 

これにて一応のまとめとしたいと思います、ふうぅ~