円覚寺では年2回、舎利殿が公開されます。5月5日開館と同時に拝観してきました。
総門
瑞鹿山(ずいろくさん)(めでたい鹿のおやま)
山門
円覚寺のサイトによると、「円覚興聖禅寺」の扁額は、北条貞時の時代に伏見上皇(1265〜1317)より賜ったそうです。
仏殿
「大光明寶殿」の扁額は、後光厳上皇から賜ったものだそうです。
新緑が美しい妙香池
※通常はこのように閉鎖されています。
撮影日:2022年10月23日
が、
開門されています~。
拝観料を払って入場します。
弓の形をした連子(弓欄間)が連なって、中央には宝珠が飾られます。
窓をかたどっているのは「花頭枠」。すっと直線なのは中世建築の特徴だそうです。また、柱が接ぎ木になっているのですが、関東大震災で舎利殿が崩れた際、宮大工の手法を使って木を継いだのだそうです。
裳階(もこし)
垂木の間隔を広げた様は扇の骨組みのようになっているそうですが、この垂木の並べ方を、扇垂木(おうぎだるき)と呼ぶのだそうです。特に鎌倉時代以降、中国の禅宗の影響を受けて、ぴんと屋根がそりたっているのだそうです。
もっとたくさん説明があったのですが、覚えているのは、身舎(もや=仏様がいるところ。上の写真でみえる内部の二本の柱の内側を指すそうです)と裳階(もこし=身舎以外)くらい(年々記憶力が…)。でも、面白いお話だったので、ネットを調べたら、資料がありましたので、以下にリンクを載せておきます。
おそらく当日流れていた動画
参考
「鎌倉殿13人」の御朱印帳に御朱印をいただきました。
右:「舎利謄禮」特別ご朱印(5月4日~6日)
左:「北条時宗廟」特別ご朱印(5月4日~6日)
「舎利謄禮」は「仏舎利を仰ぎ礼拝する」という意味だそうです。また、開基廟にていただいた特別御朱印ですが、通常、黒い墨のところ、金色の墨で書いていただいております。
開基廟
贈従一位…。「鎌倉殿13人」で政子が従三位に叙せられて喜ぶシーンがあったのを思い出して、気になりました。なんと明治34年(1904年)に、時宗公は、従一位(上から2番目)に叙せられたそうです。左側の碑に記されています。
そういえば、鎌倉に残っているこのような石碑は明治から大正時代に作られたものが多いように思われます。どういう運動があって作られたものなんでしょうか。できる限り正しく伝承することは大事だと思うこの頃です。実家の近所にもありますが、古すぎてすり減ってしまって読めないんです(涙)。
新緑が美しい臥龍梅
瑞鹿山(ずいろくさん)の由来になる場所です。仏殿開堂落慶の折、開山・無学祖元禅師の法話を聞こうとして白鹿が集まったという逸話があります。実はこの洞から、白鹿が飛び出してきたのだそうです。
ところで、仏殿の天井の「白龍図」は、先日行った「洞窟の頼朝」が重要文化財になった前田青邨(まえだ せいそん)画伯(1885~1977)の監修のもと、守屋多々志(もりや ただし)画伯(1912~2003)によって描かれたものだそうです。
なお、このような天井絵が描かれるようになったのは近世以降だそうで、舎利殿の天井は何も描かれてはおらず、「鏡天井」と呼ぶのだそうです。
参考:開館40周年記念 前田青邨展 究極の白、天上の碧-近代日本画の到達点 | 岐阜県美術館 (gifu.lg.jp)
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で、この後は横須賀のヴェルニー公園に向かいました。
その後、横浜の端午の節句の飾り付けをめぐりました。