昨年末、リヒテンシュタイン侯爵家の名画をたくさん見ました。その展覧会の記事を書く前に、2012年11月4日に行った「リヒテンシュタイン侯爵家の秘宝展」について、どんな感想を持ったかを残しておきたいと思います。
■リヒテンシュタイン侯爵家について
私が最初にリヒテンシュタイン公家を知ったのは、表題の「リヒテンシュタイン華麗なる侯爵家の秘宝」展でした。このときは主にルーベンスといったバロック関係の美術品がたくさんきていた印象があります。
朝日新聞社:リヒテンシュタイン華麗なる侯爵家の秘宝(2012年)
(上記サイトの抜粋)
ハプスブルク家の寵臣として活躍したリヒテンシュタイン家は、1608年に世襲制の「侯」の位を授与され、侯爵家となります。次いで、1699年にシェレンベルク領(現在の侯国北部)を購入、1712年にファドゥーツ伯領(現在の侯国南部)を購入し、1719年にこれらを併合した領土が神聖ローマ皇帝カール6世より帝国に属する領邦国家として承認され、リヒテンシュタイン侯国が誕生しました。しかし、侯国の成立後も、リヒテンシュタイン候とその一家は主にウィーンに居を構え、1938年に侯国の首都ファドゥーツに移り住むまで、この習慣は続きました。
優れた軍人であったヨーゼフ・ヴェンツェル侯(在位1712-18/1732-45/1748-72年)は、外交においても多大な功績をあげました。1737年からパリで外交官を務めた同候は、神聖ローマ皇帝カール6世の娘マリア・テレジアを、ハプスブルク家世襲領の継承者とすることを、ヨーロッパ列国に認めさせたのです。この功に報いて、カール6世はヨーゼフ・ヴェンツェル候に金羊毛騎士団勲章を授けました。
(抜粋ここまで)
また、マリア・テレジアの時代においても大変な貢献をされたそうです。
(抜粋)
兵隊の訓練で実を上げさせるのに貢献したのは、ヴェンツェル・フォン・リヒテンシュタイン伯爵だった。彼は三百万グルデンの私財をはたいて砲兵隊の形成に一肌脱ぎ、これをヨーロッパでも第一級の部隊に鍛錬しあげた。七年戦争では、オーストリア軍の弾丸の命中率は、十年前に比して格段に高まったと、プロイセン王に舌を巻かせたほどの技術に進歩した。
出典:江村洋.マリア・テレジア(河出文庫)(Kindleの位置No.1930-1933).河出書房新社.Kindle版.
(抜粋ここまで)
マリア・テレジア (河出文庫)
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そんなことをこの美術館で知っての鑑賞でした。
■当時のチラシなど
【左】
《マリア・デ・タシスの肖像》
[1629/30年頃 油彩/カンヴァス 129×93cm]
《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》
[1616年頃 油彩/板で裏打ちしたカンヴァス 37×27cm]
【左】
ラファエッロ・サンティ
《男の肖像》
[1502/04年頃 油彩/板 48×37cm]
【右】
ペーテル・パウル・ルーベンス
《マルスとレア・シルヴィア》
[1616/17年頃 油彩/カンヴァス 208×272cm]
購入した絵葉書など
左上:ヤン・ブリューゲル 「若きトビアスのいる風景」
左下:エリザベート・ヴィジェ=ルブラン 「虹の女神イリスとしてのカロリーネ・リヒテンシュタイン侯爵夫人(旧姓 マンデルシャイト女伯」
右上:フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー「磁器の花瓶の花、燭台、銀器」
右下:フランチェスコ・アイエツ 「復讐の誓い」
また、宮殿の一室を再現したコーナーもありました。
そして、2019年、このときには他の出品に推されていた感じもあった、この絵が2019年の展覧会の目玉となります。
※2019年の展覧会では写真を撮影するのが許可されていました。
フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー
「磁器の花瓶の花、燭台、銀器」