皆様、いつもありがとうございます。


どうも、秋なんですかねえ。穴倉に入ったまんま、なかなか出てくることが

できません。

庭の穴を掘りすぎて、自分が突っ込む頭の大きさ以上に巨大化してしまいました。


頭だけ突っ込んで、世間のわずらわしさから逃げている気になっていても

首から下、体全体は外にあるまんま(苦笑)。

自分だけ隠れたつもりになっている、まぬけな日々・・・。


何かを書こうと思っても、次々とそれを否定する言葉が浮かび、

どうにも進まんなー(うつか?)。

まー、そんなときもあるわさ。

体が動くだけ、ヨシとするべ。


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さて。

ぼんやりと、ここ痛みの数年を振り返っていて

ふと、思ったこと。


上昇気流に乗り始めてから、

あれほど、次々と手を出していた代替治療を

ほとんどやめてしまっていることに気づきました。


以前は、「○○でよくなった」「楽になった」と

聞けばすぐに、手を出していたのですが。

「よくなった」と書いている人は患者、施術者、医者、医療関係者いろいろです。


ちなみに、さまざまな代替療法のなかには、少しでも疼痛に効果があるものは

あると思っています。


しかし、病気になってから

ほんとうにやたらめったら試してきて、もう心理的に経済的に限界にきた、

というべきかもしれません。


一時的に楽になったとしても、帰ってきたらもとにもどってしまう、

ひどいときには会計をするときにはもう元に戻っていた、ということが

常日頃。数日間、楽な状態が続く、というのはありませんでした。


それでも、数分でも楽になっていれば、効果がある、いつかこの作用時間が長くなる、

そう思っていました。

(注:代替療法を否定しているわけではありませんよ~念のため^-^)


なので、最近は、「○○で楽になった」というのを見つけても

その情報をうのみにせず、

取捨選択できるようになりました(以前は、本当にすぐにトライしていた、)。


もちろん、やってみたいと思う治療はあります。

なので、体調をみながら、またトライする可能性はあります。


疼痛がひどくてうずくまっているしかないときは、

冷静な思考ができなくなっていました。


情報をまるごとうのみにせず、自分には何がマッチしているかを

判断できるようになってきたところのが、

思考を含めて少し、上向きになっている証でもあるような気がします。