まぁ癒やしというものは、どこかで必要なものでしょう。

 

だけど、どっかで癒やし中毒みたいなことになっていると、まったくもって癒やしの意味ってものがない気がしています。

 

 

 

そもそも論で、厳しさも、優しさも、癒やしなんかも

 

過酷な現実をまっすぐ見つめるための手段なんだと思っています。

 

結局、現実を真っ当に見つめない限り、成長はないから。

 

だからこそ、時には癒やしみたいなものも必要でしょう。

 

だけど、癒やし中毒みたいなことになって、腐臭のするような現実を甘美なものかのように仕立て

 

現実から逃避し続けることもあります。

 

現実を見つめるための手段であったはずの癒やしが、いつしか、結果的に体のいい現実逃避の手段に変わっているわけです。

 

結局、端から現実を見つめる気のない、逃避したい人にとっては、

癒やしなるものが、都合よく、気持ちよく現実逃避する格好の手段にすり替わるのです。

 

なんかそんなことを考えていたら、ギャラリーフェイクの「貴婦人のセル」という回がフト思いだされました。

 

 

登場人物のコメントが秀逸です。

 

「癒しとは醜悪なる現実の肯定とそこからの逃避にすぎない!!
現代の女性に必要なのは、正気を取り戻し、これに真っ向から立ち向かう誇りと勇気を呼び戻すセル!!」

 

まぁね、それでも現実ってのは飲み下すには、苦すぎることがおおいわけで。
その人が飲み込みやすいように咀嚼するのが、癒やしの本分なんだと思うわけです。

端から立ち向かう気のない人には、癒やしは「嫌す!」でしかない。

それでも立ち向かう勇気が欲しい人はどうぞ。

ツーンと鼻にくるわさびのような癒やしをお見舞いしてくれよう!