画像:Wikipedia より


嫁が茶道の復習している中で
陰陽五行思想の話になった、
内容はさておき、
動作には意味や
意味づけがあるからこそ面白く、

知識や経験にタグ付けされることで、
やがてそれが実力となっていく
ということを改めて感じた。

昨晩の面倒なメッセージは
ヴェネンシアドール受験者からだった。
迷いもあるんだろうが、

とにかく受かりたいの一点張りで、
向き合う姿勢が表層的で、
全くなっておらず
会話にもなっていなかった。

面識のある人間とも話せない人間が
人に何が説明/説得できるのか?
そう思った。

先日、船乗りさんと色々話をした。
船を操縦するには船舶免許が要るが、
それだけでは船は運行できない。
操縦だけ出来ても船は安全に進まないのだ。

狭い空間の中で
各自が自ら何をすべきかを考えて
各々が行動して
初めて安全な航海が可能となる。

それには海のことも船のことも
乗組員のことも
知っていなければならない。

免許があるからといって、
それはスタート時点でしかなく、
何のプロでもなければ、
人を教える資格にもならない。

もちろん、既に別のスキルがあって、
そこにその新たな資格が
行動の補完なる場合は別だ。

僕も現地の師匠も認めない
派手なヴェネンシアールをする子がいるのだが
その子は別のスキルが高く、
僕が何度か突っぱねても、全くめげない。
これには感心した。

なので、その子が求める情報に関しては
可能な範囲で応えるようにしている。
個人的に好きでなくても
目的が明確で意思と意志が高い人に対しては
先輩は応えなくてはならないとも
思っているからだ。

逆に先輩であっても、
社会的地位があっても、
自分のプロの理念として
承服/尊敬出来ない場合には、
相手も出来ないし、助言する時間もない。

自らが認められない場合には
先輩/先人の義務もないと考えている。
もちろん最初は助言はするし、
話も聞くし、結論を急ぐつもりもない。

が、35歳も過ぎたら人の意見で
人は変わらないし変われない。
話せば分かるなんてのは
大方ファンタジーだ。

なので資格目指すのはいいが、
ゴールなどと思わないことだ。

そんな浅い自信は
社会経験のあるお客様は
いとも簡単に見抜くから。

もちろんそういう経験も
大いに必要なのだけれど。。。

2106/8/7