小堤城(陸奥国・宮城県亘理郡) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

今回は、前回と同様に現在の宮城県亘理郡亘理町にあった城、小堤城です。



小堤城跡は現在、大雄(だいおう)寺の境内となっていて、亘理駅から徒歩で25分ほどのところにあります。


亘理駅。
説明については前回と同様ですので省略します。


曹洞宗 萬松山 大雄寺。
こちらの山門は文政年間(1818~1830年)に建てられたとされていて、亘理町指定文化財に指定されています。


小堤城跡の標柱。
山門の隣にあります。

小堤城の築城年代は定かではありませんが、千葉常胤の3男・武石胤盛の子孫によって築かれたとされています。


本堂。
1604年(慶長9年)に伊達成実が伊達氏の菩提寺である雄山寺を鎌倉から小堤城跡に移し、後に大雄寺と改めたのだそうです。
↓↓を参照ください。
http://burawatari.jp/ja/spot/detail/110023
大雄寺の本堂は、1897年(明治30年)に建てられたものだそうです。

1339年(暦応2年)、武石広胤の代に亘理氏と名乗るようになり、以後代々亘理氏が居城とします。
その後、天正年間(1573~1591年)に伊達氏より養子となった亘理元宗が亘理城を築いて居城を移したため、廃城となりました。


亘理伊達家歴代墓所。
こちらには初代の伊達成実から13代の邦実までの歴代領主および夫人や子女らの霊廟・墓碑が並んでいます。


亘理伊達氏霊廟歴代御墓案内図。
さすがに全てを撮影するわけにはいかないですので、案内図を。


伊達成実霊廟。
代表して亘理伊達氏初代・伊達成実の霊廟を掲載しますね。

遺構らしい遺構はよく分かりませんでしたが、亘理の歴史上重要な場所であるということはよく認識できました。
では、短めですがこの辺で。


御城学。