以下
facebook 上で
すいめい先生の記事をシェアさせて頂いたモノ wo 覚書きとして... 

   長い文章ですし...
    少し難しく感じるカモですが
  とてもシンプルで極々普通のこと。

     「対話」 について。

 

【オープンダイアローグ】

当たり前の普通の「対話」

普通の普通の愛ある「対話」

...

   (T^T) 

感動的な学び wo
" ショック " と 表現なさる感覚...
お察しします。 
         (ノ_・。) 

  愛♡ですね...
         愛♡♡♡

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フィンランド5日目...オープンダイアローグに触れる(序)
この地域の精神疾患の発病率が減っているという統計結果

あまりにも充実し、ノートを取りまくったため、1回では書ききれそうにありません。
分割します。...
※私が聞いたことであるという限定条件下で読んでいただけたらと思います。

私は、
こんなにショックを受けるとは、、
こんなに当たり前の考え方だとは、思っていませんでした。
それでいてとても論理的で、よく研究をされていて、フィードバックもよく受けていて、実践にて証明されていました。
この方法は、日本でも、とてもとても援助に優秀なよく勉強した人が、自然とやれていることでもあると感じました。
ただ、そういう特別な援助力の高さを、
論理的に経験値を蓄えながらシステムとして存在している実践であると感じました。
そして、日本のいくつかの地域で、少し似た、成果のある実践があることも知りました。
ただし、地域の特性や歴史が、それぞれの形を作っているのは確かで、似てはいても同じにはなりえないこともよくわかりました。

「薬を使わない」
「対話だけで治る」
というような、外からの誤解批判の多さと、実際の場面のかい離を感じました。

隔離室もあるし、薬が必要なひとは使う
ただ、違うことは、
本人とその家族と、開かれた対話をするということ。
対話は、何かのゴールを目指したものではなく。
対話中にヒエラルギーはなく。
ただ、対話を通して、何かに気づいていくということを大事にしていく。
意図されたゴールはない。
ただ、対話をする。
対話に、特別なメソッドもほとんどない。

自分の考えをことばにすること。自分の考えを聞いてもらっていると思えること。その繰り返しの中にあるということ。
言語で行われる対話だけれども、その実はおそらくは、言葉にはない。
その人を心配し、その人を思い、お互いを尊敬し、お互いの考えを伝えあい、説得も誘導も存在しない、
治療の決定は本人不在の中では行わないという原則を守る
からだの動きや、態度、空気感を、互いに感じながら、信頼をしあっていく。
そして、何かに気づいていく。

しかもそれは、よく洗練されていました
30年の実践の中で、多くの経験の積み重ねの中で、洗練されていったものでした
思い付きや感覚で終わるものではなく、
フィードバックを何度も何度も繰り返されたものでした。
スタッフは、ものすごく勉強を続けていました。
勉強できるのは、勤務中に行えるからというのもあるかもしれません。
日本では、医療者が勉強する多くの場合は、自腹で休みを使って勉強に行きます。
勉強への敷居は自ずと高くなり、勉強をやめてしまった医療者も確かにいますし、それをどうして責められるのかと思わされます。
しかし、医療は社会の変化に伴いながら変化を続けるので、私たち医療者は絶対に勉強をやめることをしてはいけいないのではあります。
しかし、それはとても難しい。

このトルニオの病院のスタッフの、ひとりひとりの経験値の高さ、スタディに基づいた経験値の高さに驚きました。
日本で最近流行っているのか、よく聞くのは、
「治療者が誰であっても同じ質の治療ができること」
ということなのですが、
ひとのこころ、精神疾患にかかわるにおいて、スタッフの経験値の質が大事であることを、
トルニオのスタッフは繰り返し話していました。何を経験したのか、何を勉強したのかが大事なのだと。
(フィンランドの別の精神科ケアの場面でも、ひとりひとりの経験値が大事だという話が出ているとも聞きました)
ゆえに、ひとりひとりは、とにかく勉強し続けているとわかりました。
ゆえに、勉強量や経験値の少ないスタッフへは必ずフォローがある。

この結果、入院は、他の地域に比べてずっと少ないし短い
薬の量もずっと少ない。
薬を飲まなくても大丈夫な人はとても多い
専門職や地域で支える人たちの力もものすごくついている
しっかりとしたネットワークが作られ、存在する。
誰がどこにどうつながるとよいのかをよく知っている人がたくさんいて、その人たちが困難な状態にあるひとを適切に責任をもってつないでいる。
そして、多くの精神疾患を患ったひとが、地域で普通に暮らしている。普通に仕事をしている。

そして、もっとも驚いたのは、
精神疾患の発症率が減っているという統計結果でした。

精神疾患は、発病する手前に何かがある。それを少しでも早くキャッチすることができたならば発症しない。
問題は、いつ発症するかであると。
発症は、ひととの関係によって発症する、ということ。
そのときに表に出ると症状となるということ。
それをいち早くキャッチするひとたちが、この地域では多く育ったということ。

この取り組みは、
「必要に応じた治療をする(アラネ教授)」
とのことばから始まったそうです。

※写真は隔離室の身体拘束ベッド
日本では何十時間もの身体拘束がありますが、ここでは、身体拘束は2,3時間が平均。数も少ないですが、どうしても拘束するときは、看護師さんがずっと同じ部屋で付き添います。
科学的に考えたならば、拘束時間が短い理由も、看護師さんがずっと付き添う理由もとてもよくわかります。医療者の勉強量の差と感じざるをえませんでした。数十時間身体拘束になったひともいたとのことでしたが、そのひとは、アルコール離脱せん妄だったからと。