家で遊んだ

アイちゃんの友だちを家に招いて、遊んだ。


いろいろ話して、子供達はドタバタ遊んで、とても有意義な時間でした。


私はもともと友だちと呼べる人がほんとに少なくて、例えば旅行へ行くとき、だいたいが家族、姉とかだった。
卒業旅行などのイベント的な旅行はあったけど、そういうものなしに、日常的に旅行へ行くとなると、思い当たる記憶がない。まあ、だいたいが家族か、彼氏だった。20歳ごろから常に誰かと付き合って来たというのも理由かもしれない。旅行へ行くなら彼氏、という流れ。あとはスポーツ系のお出掛け、バイクのツーリングやスキーや登山は友だちと行ったけど、彼氏が一緒だったり、男の子が混ざっていたり、とにかく女子だけ、ってのはほんとに少ない。


男の子と遊ぶ方が多かった気がする。


幼稚園が始まって、もともとママ友なんていなかった私は、なんとなく「ママ友を作らなければ」という強迫観念みたいなものに縛られていたような気がする。ママ友が出来なければ人として欠陥しているような気がしていた。
懇談会や、ママの集まりのときにも、やっきになって話していた。
でもだからと言って、積極的にメールや電話番号交換を言い出すわけでもない。拒否られたときのことをおもうと恐怖で言い出せないのだ。
相手に受け入れられないのではないか、相手から必要とされていないのではないか、とか、余計なことを考えて一歩踏み出せない。
そんなことを考えているので余計に疲れてもうどうでもいいや、って気になってた。

集まりから帰った後も、自分が言った一言で相手が嫌な気持ちになってないかとか延々と悶々している自分がほんといやになった。
こんなんならママ友なんていなくてもいいかなあ、とか思っていたら、あるとき連絡がきました。

それからなんとなく友だちと呼べる人ができたように思う。そういう存在の人、幼稚園のママ友、という存在ができたことによって、私は普通の人間になれた、という錯覚に陥った。

結局は誰かそういう存在の人がいる自分、というものになりたかっただけなのかもしれない。



ある日、その友だちと、クラスの子のあるママの話になった。
その人はかなり若くて、かわいくて、でもあんまり誰か特定の人とつるむ、ということのない人だった。なぜ彼女の話になったのか覚えてないけど、その人のことをママ友は「彼女は群れないよね」と言っていた。私はその言葉に衝撃を受けた。

わたしは誰かと群れたかったのかなあ。と。



4月から保育園が始まる。
保育園はママ友なんて確実に出来ないと思う。
みんな仕事を持っていたり、多分忙しくてそんな余裕はないとおもう。
そんなことを思ってほっとしている自分もいたりして。


まあ、私自身一人でお昼ご飯食べたりできるくらい図太い人間なので、まあ一人でも平気だけど。

じゃあなんでそこまでママ友作りたかったのかなー。
やっぱり無い物ねだりなのかな。
支援センターとかに行くと必ずママ友グループみたいなのに出くわす。
そういうグループからの疎外感がやっぱり私を追い詰めていたのかな。
まあ、でもこの1年のおかげで、いまはそんなのどうでもよくなったけど。



この一年はいろんな出会いがあった。
今後も続く人もいれば、アイちゃんに「また遊ぼうね」と社交辞令を言った人もいる。



私が大事に思わないひとからは絶対に大事にはされない、ということはなんとなくわかった。


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