小学校の頃、

演劇というものがよく分からず。


どうも子役としてやってる芝居と

私が感動したあの芝居って違うみたいだ。


どういうことなんだろう…。


小学校の本棚の片隅にあったのは

スタニスラフスキーの俳優修業


ぺらっと読んではみたものの

なんだか訳が分からず。

小学生でわかるわけもなく。

やめてしまいました。


それからも読んではやめ

読んではやめを繰り返し…。


芝居するってこういうことなんじゃないか

かけらを拾い集めて

近づこうとして

諦めて

一度は全部捨ててみたりして

それでもやっぱり拾い集めて

拾い集めたものが急にガラクタに

見えたりして


ここまできてしまいました


今回のモスクワ芸術座さんの

36年ぶりの来日公演


チェーホフの「決闘」


私が生まれる前にきたから

もう生きてる内には日本では見れないのかもしれない。


そう思い

行ってきました。


今まで見てきて感動した芝居。

こういう風にやりたいと思った形。

尊敬する役者さんの芝居の

その全てが詰まってました。


あぁ、やっぱりこういうことなんだな。

これが芝居なんだな。


感動と共に、ほっとしたような

安堵のような気持ちで舞台を見つめていました。


いろんな形があります。

その形は千差万別で、

どれがいいか悪いとか

決めるのは自分自身だから。


演劇にもあらゆる方法があって、

それぞれが素晴らしいと思います。


きっと最初にモスクワ芸術座を見て

それを目指した先人の方々の

DNAが少しずつ継承されていって

私はそれを見て感動して

お芝居を始めたんだなぁ


そんなことをふと思いました。


スペイン語の芝居をやってみて

思ったことですが

表現は言葉を超える。


事前に原作を読んだのと

栗原小巻さんの

ボイスガイド付きでの観劇でしたが、

言葉が通じなくても

心でわかる。


普遍的な人間のテーマは

国は変われど

同じことなんだと感じました。


いつもチェーホフの作品の根底に感じる


やっぱりね

それでも生きていかなくちゃね。

ただもう働かなくちゃ、働かなくっちゃね。


若い頃は読んでもその意味が

分からなかったのですが

少し歳を重ねて

沁みるものがありました。


最後のシーンはまるで

一つの絵画を見ているように厳かで

美しかったです。


幸せでした。