られていた殿なれど、昔から、人を見る目だけは確かにございましたから」

 

「…そうか…。 ふふふ、それもそうじゃな」

 

「されど姫様」

 

「ん?」

 

「私が思いますに、今の姫君様に必要なのは、乳母ではなく、お名前なのではございませぬか?」

 

「姫の名──」

 

「身を隠すのに必死になり、後回しにばかりして参りましたが、そろそろ名付けて差し上げねば。いつまでも “ 姫君様 ” ではお可哀想にございます故」

 

確かにその通りだと、濃姫は小さく首を前に振った。

 

 

「相分かった。ならば今宵、殿がお越しになった時にお話して…」easycorp

 

と言いかけて、濃姫は急に口をつぐんだ。

 

それがある意味危険な行為であることを、刹那的に思い出したのである。

 

あのDQNネーム大好き夫のこと、妻が死ぬ思いで産んだ御子であることも顧みず、姫にも妙な名付けをするかも知れない。

 

 

「──のう、三保野。やはり吾子の名というものは、殿に決めていただかねばならぬものなのであろうか?」

 

不安気な様子で訊ねる濃姫を見て、三保野も思わずはっとなった。

 

「そうですよね…。あの殿が名付けられるのですから、ご案じ召されるのも当然のことかと存じます」

 

三保野は濃姫の心中をるも

 

「されど、御子様方のお名は全て殿が決めて参りました故、この姫君様だけ例外という訳には…」

 

やはり現実的には無理であろうと、軽くかぶりを振った。

 

「 “ 冬姫 ” のような名前であれば良いが、殿の最愛のお方であった、お類殿が産んだ徳姫の初名は “ 五徳 ” じゃ。

 

のう三保野、もしも殿が姫に名付けられたのが、杓文字や釜などという名前であったら、如何すれば良いのであろうか?」

 

三保野は考えてみるものの、思いの良い返答を見付けられず

 

「…お受け入れになるしかないかと」

 

と面目なさそうに答えた。

 

濃姫の口から深い溜め息が出るのと同時に、姫君の口からもおくびが漏れた。

 

 

 

 

 

 

──そして同日の戌の刻。

 

昼間の三保野からの報告通り、その夜の五つ半(21時頃)に、妙覚寺の門前に信長が到着したとの知らせが入り、

 

竹林の離れで待機していた濃姫と三保野は、急いで出迎えの仕度にかかった。

 

室内の上座に厚い茵を敷き、その横に脇息、刀掛けなどを置き、前方には御酒、が乗った御膳を並べてゆく。

入口の御簾を下ろしたり、御入側のに火を入れたり、三保野が色々と用をしている間に、

 

濃姫は居間の隣室へ入り、御髪に櫛を入れ、小袖の上に艶やかな織打掛を羽織るなど、簡単に身だしなみを整えた。

 

そうしている内に、いつもの豪快な足音が外から響き、やがてその足音の主によって居間の入口の御簾がバッと持ち上げられた。

 

「今参ったぞ!お濃、おるか!?」

 

「これは殿──。 お待ち申し上げておりました。この度の公方様の一件、大変難儀なことと…」

 

濃姫が平伏の姿勢で申し上げていると、信長は上座の茵にドッとお腰を落とすなり

 

「濃、喜べ!そなたの隠遁生活も、もうすぐいになるぞ」

 

と、笑顔満面で告げた。

 

濃姫は思わず「はい?」と小首を傾げる。

 

「じゃから、かような寺の離れで、身を隠して暮らす生活も終わりになると言うておるのだ」

 

「まぁ。では、春になる前に、岐阜の城へ戻れるのでございますか?」

 

濃姫は訊ねながら、信長の御前に控え直した。

 

「いや、そなたと姫が岐阜に戻るのは、予定通り弥生か卯月の頃になりそうじゃ。以前に話した “ 例の件 ” が、まだ途中である故な」

 

「では……」