今回までの3つの記事でハドソン教授らが語った話は、学会の片隅で陰謀論にかぶれた無名の学者が言ってるだけで信憑性がないと感じている方もいるかもしれない。

「Geopolitical Economy Report」におけるMMT派ハドソン教授、デサイ教授、アン・ペティフォーの鼎談の続きを抄訳する前に、このハドソンらの話は陰謀論でも何でもないことを立証したいと思った。

 

*前回記事

*この記事はシリーズ「全体主義からの脱獄」の一部となる。他の記事はこちらから。

 

 


ハドソン・ロジックの簡略図


米国とIMFの「負債の網」によるグローバルサウス支配は有名で、ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツ教授にもしつこく糾弾されている。

スティグリッツが世界銀行・元副総裁(チーフエコノミスト)の立場からIMFや世銀をディスりまくった書籍世界を不幸にしたグローバリズムの正体(2003)」から少し引用したい。
 

・・・・・・・・

https://onl.bz/ba1fY4x

 

グローバリゼーションの批判者は欧米諸国の偽善を糾弾するが、その批判は正しい。
欧米諸国は貿易障壁をなくすよう貧しい国ににせまりながら。自分の障壁は保ってきた。
発展途上国が農産物を輸出できないようにしておくことで、彼らがぜひとも必要とした輸出による収入を奪ってきたのである。
もちろん、アメリカは主犯の一人であり、私は痛切に感じた。経済諮問委員会の委員長だったとき、私は徹底的にこの偽善と戦った。
それは発展途上国を痛めつけていただけではなく、アメリカの消費者と納税者に高い代価を支払わせ、あるいは膨大な補助金を捻出するために何十億ドルという負担を強いていたのである。
しかし、私の闘争はほとんど成功しなかった。特定の商業と金融の利益が優先されるのだ。

…欧米はグローバリゼーションのお題目を唱えながら、その恩恵を自分達ばかりに行き渡らせ、発展途上国を犠牲にするようなことをしたのだ。
たとえば、織物から砂糖にいたる多くの産品に割当量を設定するなどして発展途上国の製品に対する市場開放を拒む一方で、相手には自分たち裕福な国の製品を受け入れるよう市場開放を要求しただけではない。また、先進工業国が農業に助成金を支給し続け、途上国が競争に参入するのをむずかしくする一方で、途上国には工業製品への助成金を廃止するように要求しただけでもない。

…貿易の自由化だけでなく、グローバリゼーションにおいては、善意と思われる努力さえも逆効果となることが少なくない。
農業でもインフラでも、なんらかのプロジェクトを欧米が推奨して、欧米のアドバイザーとともに計画させ、世界銀行などの機関に融資させて、最終的に失敗に終わったとする。それでも発展途上国の貧しい人々は、なんらかの債務免除がない限り、融資の返済をしなければならないのである。
(PP.24-26)

…IMFへの債務を苦労して支払っている発展途上国の農民にとって、あるいはIMFに強いられた高い付加価値税に苦しんでいるエクアドルのビジネスマンにとって、IMFの運営する現行システムは、いわば代表なくして課税されているようなものである。
IMFが主導する国際的なグローバリゼーションのシステムに幻滅が深まっているのも当然だ。
インドネシアやモロッコやパプアニューギニアの貧困層は、燃料と食糧の補助金を削減された。
タイではIMFが医療費を削減させた結果、エイズ患者が増えた
発展途上国では、いわゆる「原価回収」計画で学校教育が有料になった結果、多くの親が娘を学校に行かせないという悲しい決断をするしかなかった
別の選択肢が与えられず、危惧の念を表明することも改革を訴えることもできなくて、人々は暴動を起こす

「ワシントンコンセンサス」で定められた政策の最終的な結果は、たいていの場合、多数を犠牲にして少数に、貧乏人を犠牲にして金持ちに恩恵をほどこすことだった。
多くの場合、配慮されていたのは商業的な利益や価値であり、環境や民主主義や人権や社会正義ではなかった。

…そこにあるのは「世界政府のない世界統治」とでも言うべきシステムである。
少数の機関--世界銀行、IMF、WTO--と少数の人間--特定の商業的・金融的利害と密接に結びついた金融や通商や貿易の担当者--が全体を支配して、その決定に影響される多くの人々はほとんど発言権のないまま取り残されている。
(PP.41-43)

緊縮財政、民営化、市場の自由化は、1980年代と90年代を通じて提唱されたワシントン・コンセンサスの三本柱だった。

…不適切な環境で財政を緊縮し過ぎれば景気は後退し、金利が上がって、未成熟な事業の発展を妨げる
IMFは精力的に民営化と自由化を追求したが、そのペースとやり方は、準備のできていない国にしばしばとてつもない負担を強いた。
(pp.87-88)

民営化は雇用を破壊することはあっても、めったに新しい雇用を創り出すことはない。
生産性の低い国家事業の労働者を失業者にしたところで、国の収入は増えはしない。勿論、労働者の社会福祉も向上しない。
この教訓は明らかである。私は何度でもそれを言おう。

…おそらく民営化にともなう最も深刻な心配は、実際にあちこちで頻発している腐敗だろう。市場原理主義者は、民営化によってエコノミストの言う「レントシーキング」が減るという決まり文句を口にする。
役人が政府事業の収益をかすめ取ったり、自分の友人に契約や仕事を斡旋したりすることができなくなるというのである。
しかし、その言い分とは反対に、民営化は事態をいっそう深刻にしてきた
今日、多くの国では、民営化は「収賄化」だと揶揄されているほどである。
…驚くべきことではないが、不正に操作された民営化のプロセスは、政府の閣僚が自分の懐に入れられる分を最大限に高めるよう設計されている。
そうした民営化によって政府の金庫が豊かになることはないし、ましてや経済全体の効率が高まることもない。
…実際、民営化は衰退に結びつくことさえあった。
(pp.92-94)

IMFは多くの国で事態を悪化させてきた
IMFの緊縮プログラムにはたいてい金利の引き上げが含まれている--20%以上、50%以上、100%以上のことさえある--が、それではアメリカのような恵まれた経済環境においてさえ、雇用も事業も創出されようがない。
成長に必要なコストが高すぎるのである。
(p.96)

ワシントンコンセンサスによれば、経済成長は自由化を通じて、すなわち市場を「開いた状態にする」ことによって実現される。
まず民営化、自由化、マクロ安定は、投資を惹きつける環境を作るとされる。
…とはいえ、…外国企業が参入してくると、地元の競合企業はたいていつぶれ、地場産業を発展させようとしていた小さい事業化の抱負は砕かれる。例はいくらでもある。
(pp.106-107)

外国からの直接投資は、民主的なプロセスを損なうという代価を支払わなければ入ってこない。
これがとくに顕著なのが、採掘である。石油でも他の天然資源でも、外国企業は明らかに採掘権を低価格で獲得しようと狙っている。
しかも、こうした投資は別の逆効果を生む。そして、たいていは成長につながらない。
(p.112)

財務省は、その政策を他国に押しつけた。…IMFと世界銀行はアメリカ財務省の縄張りの一部であり、そこではほとんど例外なく、財務省が自分の見解を押し通せるのだ。ちょうど他の省庁が、それぞれ自分の縄張りで自分の意見を押し通せるように。
(p.124)

重要なのは、IMFの優先事項に何が入っているかだけでなく、何が外されているかを見ることだ。
経済の安定は予定表に入っている。雇用の創出は入っていない
増税はその逆効果も含め入っている。農地改革は入っていない
銀行救済のための資金はあるが、教育や保健のサービスを向上させるための資金はない。
もちろん、IMFのマクロ経済管理の誤りで仕事を失った労働者を救済するための資金もない。
つまりワシントン・コンセンサスは、成長と平等を大いにうながすであろう多くの項目が外されているのである。
(p.125)

東アジアの最も困難な問題の一つである、危機のさなかに金利を引き上げるかどうかという問題にIMFがどう取り組んでいたいたかを考えてみよう。
金利を引き上げれば、当然のことながら何千という企業が倒産に追い込まれただろう。しかし実際のIMFの主張は、金利を引き上げなければ為替レートの暴落が起こり、為替レートの暴落はさらなる倒産を引き起こすというものだった。
(p.288)

もっと根本的な問題がある。IMFの本来の目標は、世界の安定性を高め、景気後退の脅威に直面する各国が景気浮揚策をとる資金を確保することだったが、IMFはこれらの目標を追求するだけでなく、金融界の利益をもはかっているのだ。
つまり、IMFが掲げる目標はたがいに矛盾していることがしばしばあるのだ。

…IMFの行動は以外なものではない。IMFは金融界の視点やイデオロギーをもとに問題に取り組んだのであり、金融界の視点やイデオロギーは当然のことながら金融界の利害と密接に結びついていた。
すでに指摘したようにIMFの幹部の多くは金融界出身であり、そしてその多くはその利益のために十分に働いたあと、金融界で給料の良い仕事に就いたのである。
この本で取り上げたエピソードで大きな役割を果たしている副専務理事のスタンリー・フィッシャーは、IMFを辞めるとすぐにシティバンクを傘下に持つ巨大金融会社シティ・グループの副会長になった。
シティ・グループの経営執行委員会の会長はロバート・ルービンだった。財務長官として、IMFの政策で中心的な役割を果たした人物である。
フィッシャーは言われたことを忠実に実行して、十分にその報酬を得たというわけだろうか。

…IMFの政策をこのように見ると、国内企業が営業を続けられるようにすることよりも、外国の債権者が返済してもらえるようにすることを、IMFが重視するのもうなずける。
「G7の集金人」になったとは言わないまでも、G7の貸し手が返済を受けられるように、IMFが尽力しているのは明らかだ。
(pp.294-296)

問題の一端は、国際的な経済機関、すなわちIMF、世界銀行、WTOにある。
これらの機関は、ゲームのルールを決めるのに手を貸すにあたって、たいていの場合、発展途上国の利益よりも先進諸国の利益--それも、その一部の利益--を考慮してきた。
(p.306)

このところ債務免除が注目を集めているが、それにはもっともな理由がある。債務免除を受けなければ途上国の多くはまったく成長できないからだ。
途上国では現在、輸出額のかなりの部分がそのまま先進国に債務を返済するために使われている。
「ジュビリー2000」の活動は、先進諸国の教会から後援され、債務免除に対して大きな国際的支持を集めた。教会にとっては、それは道徳的要請、つまり経済的正義の反映だと思われたのだ。
この債務救済はさらに推進する必要がある
(pp.341-342)
・・・・・・・・


どうだろうか。マイケル・ハドソン教授やラディカ・デサイ教授、アン・ペティフォーの語る話そのまんまではないだろうか。

「いやいや、どうせ古い話でしょ?今はIMFがちゃんと公正にやってる」とおっしゃる方もいるかもしれない。
スティグリッツの告発により犯行がバレたためか、数は控えているが、残念ながらIMFのグローバルサウス支配は今でも続いている。

そのあたりを確認するために、次回記事では2003年以降のスティグリッツの著作から上記書籍と似たような記述を引用していく。

 

 

cargo