被災 | 見上げた空に、独り言。

見上げた空に、独り言。

普段は誰にも話さないような『自分の想い』を自由気ままに書いちゃってます!!

3月11日(金)午後2時46分。


私がこれまでに経験したことのない揺れを感じました。


施設に来た来客者の対応を終え、デイのフロアに戻ろうとした次の瞬間に…


ぐらっと揺れを感じました。
「これはいつもの揺れじゃない…」と感じ、急いでフロアの出入口の扉を開放した瞬間、横に大きく揺さ振られるような揺れが来ました。


幸いデイの利用者さんは、フロアの中央に集まりレクリェーションをしていたところだったので、そのまま動かないようにスタッフが指示をし、座位が不安定な利用者さんをスタッフが押さえていました。


私はベッドにいる利用者さんの所に行き、ベッドを必死で押さえていました。

かなり重量でロックもかかっているベッドでしたが、左右に激しく揺さ振られました。

フロア内に轟く、悲鳴や物が割れる音。

「落ち着いて!!」


「動かないで下さい!!」

と、呼び掛けますが…


一向に揺れはおさまらず、激しく揺さ振られる揺れが3分以上続きました。


利用者さんの安否確認と、パニック状態になっている利用者さんを落ち着かせ、施設の状況確認をしようとすると、再び激しい揺れがきました。

年に数回、避難訓練をしていますが移動するにも出来ない状況です。

施設は耐震性もあり、内部や外部の破損や火災も無かったので施設内待機の状態をとりました。


余震が立て続けに起き、動けない状態が続きました。そして、地震直後に停電になってしまいました。

電話も不通となり、家族との連絡も全く取れない状況になりました。


帰れる利用者さんはとにかく帰宅させ、日没までに早急な対応が必要となりました。
暗くなってしまうと、道路状況も分からなくなりかなり、危険になってしまいます。


市全体が停電状態で、信号機も動いていません。

国道と国道の交差点にも警察官はおらず、何車線もの交わる交差点を譲りながら走行します。

道路にはあちこちで倒れた塀が横たわっています。

いつもなら5分で行ける距離が、40分かかりました。
携帯電話も不通で、スタッフ同士の連絡手段もありません。

日本で何が起きてるのか?そんな事を考える余地もなく、ただ利用者さんの安全だけを考えました。


大混乱の中、独居の利用者さん以外は無事に帰宅することが出来ました。

夕方には大渋滞が起き、車は全く動かない状態になったので、間一髪でした。

施設に戻ると、真っ暗な状態でした。
非常時の自家発電機は二時間だけ作動しましたが、地震の衝撃で作動不能になり、車のヘッドライトと懐中電灯の灯りだけで施設内を照らしました。


自家発電機が不能になる前に、特養の入居者さんは全員二階から一階に移動しました。


施設のライフラインが全てストップした状態で食事や排泄などの介助を行いました。


大混乱の中、各部署のリーダーが今後の対応を話し合い、今の現状を乗り切るために動きました。


私も、まだ帰宅出来ない利用者さんの家族との連絡や今後の対応に追われていました。


震度4以上の余震が何度となく続きました。
利用者さんも不安になり、泣き出してしまう方や、認知症の利用者さんは、極度の不穏状態になりました。
「何で部屋に帰れないの?」

「この婆さんと同じ部屋にいたくない」

「いつもの食事と違うじゃないか!!こんなパン食えるか」


環境が変化した事で、様々な不安感に包まれていたのだと思います。

その都度、職員が優しく説明し、利用者さんを落ち着かせていました。

余震の度にあがる悲鳴と、混乱して部屋を歩き回る利用者さん。

万が一、利用者さんが施設外に出てしまった場合、外出ブザーが作動しないので全く分からない状態になってしまいます。

真っ暗な状態の中で、利用者さんの人数を確認しながら100人近くの入居者さんの対応をしました。


日付が変わった頃、何が起きているのかを実感し始めると同時に、「この先、どうなってしまうのだろう…」という大きな不安感を初めて感じました。