武将ジャパンの戦国未来さんの松下常慶の記事によると、引馬城と家康の間の繋ぎは、松下常慶とされているものの、別の人の業績ではないか、とのことです。
確かに没年が正しければ、この当時10歳。


戦国未来さんはさらに、「松下與右衛門」の業績が常慶と混同されている旨を示唆しています。しかし、松下保綱 作の家系図には該当する人は見当たりません。

そこで、静岡県中央図書館 諸家系譜を、あまりに多い枚数にめげそうになりながらあたったところ、実に12494枚目に発見!!

これによると、松下清景・清綱・元綱・常慶兄弟の父親である、松下連昌の子が、松下与右衛門(與右衛門)貞綱です。清景の兄とすれば、戦国未来さんの記事とぴったり一致します。さすが!!

一方この家系図には、清景も清綱も元綱も現れておらず、さらに常慶も「安綱」ではなく、「貞綱」になっています。(12504枚目)  貞綱の子には見慣れない名が並ぶ一方、常慶の子は戻利で正しいので、貞綱は別人でしょう。


きっとこの貞綱は秀吉方に行った之綱について行ったためにここに出ているのかもしれません。この家系図を作ったと思われる松下重長さん(名前が出ている)に聞いてみたいものです。