2011年01月29日

何となく毎日を過ごすこと

テーマ:生き延びる
$酒とホラの日々。-時行

日々楽しみを追う者には時間は早く
日々憂える者にとっては時間は遅い
憂いも楽しみもない者はただ
生涯を成り行きに任せ流されていくだけ
 
白楽天の詩の一節にたしかこんな記述があった。

いわゆる閑適詩といわれるもののひとつで
無事と無為のひと時・一場面を詠じたものである。
 
閑適詩とは白楽天によれば、たとえば忙職を離れたのち、
あるいは病で床にあるときなど、一人静かに足るを知り
心の調和を保って、自由に遊ばせたこころを詠吟する
ようなもののことであるらしい。
 
閑はヒマなこと、適とは自由なことであるから、
社会的な義務制約や条件付けに縛られない
純粋な一個人としての活動における情感を
詩に詠んだものとでも言えようか。
 
凡俗の身にはしばしば楽もあれば憂いもあって
人生は早くなったり遅くなったりはするが、
結局のところやはりどうしようもなく
時代と成り行きに流されていくのである。
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2011年01月22日

冬林行

テーマ:冬景色
$酒とホラの日々。-冬林


薄雲から弱日のもれる冬空の下、裸枝も寒々とした林の中を歩いた。
身をすくめるようにして立つ木々の枝の間から
冷たい空気がじわりと降りてくる。
肩をすぼめて歩く私も木も、いまはただ春待つ日々。

かすれ日に 風しみ透る 冬木立




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2011年01月15日

冬晴れの日々

テーマ:冬景色


酒とホラの日々。-冬晴れ

冬晴れの空の下、葉の落ちきった木立を歩けば
乾いた風が木々の間を野放図に吹きぬける。
梢の間からはぽっかりと明るい空だけがつき抜けて、
体を包み込むのは、枝を鳴らす木枯らしの音だけだ。


このとき光は冬に似つかわしくないほどにまぶしく、
絶え間ない冬風の音は静寂にも似る。


人のいない木々の間を縫って移動する冬の散歩で、
明るさと冷たさと奇妙な静けさのコントラストを体中で感じながら
私はいつも一時の快楽を得ようとしている。


それは無人の木立で出会う光と静謐さが、
絶えずまとわりついてはなれない社会生活のノイズをいっとき遮断して
次の行動のエネルギーを充填する間ときっかけを与えてくれる
ような気がするからかもしれない。


何故私たちはいつも多くの決め事や社会的義務、あふれる情報などに
追い回されては忙しく、努力と我慢と疲れとに縛られてまで
始終疾走していなければならないのだろうか?


冬枯れの草木も外への繁茂を止めて内からのエネルギーを
春の活動に備えているように
人もまた立ち止まり、一切の社会的義務と条件を放下して
素のままの自分という存在だけに立ち返ってみることが必要だろう。


それは春に芽吹く草木には冬が必要なようなものなのだ。



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2011年01月06日

小寒、仕事始めから三日

テーマ:冬景色

正月三が日の明けて3日目の今日は寒の入り。寒さも通勤の混雑も一段と本格化してきた。
年末年始を挟んで、なんとなく電車を待つ駅のホームの眺めが変わったように感じると、いつも見かけたあの娘やあの年寄がいない。

通勤客の多くは習慣的に、おおよそ決まった時刻、決まった電車の決まったホーム位置にやってくることが多いので、私たちは知らぬ間に互いが見慣れた朝の風景を構成する要素となっているのである。

行き交う人間は多いのだが、中でも独特の雰囲気や存在感、眺める側の興味と関心によって、特定の幾人かは印象的な風景の一部となることがある。それはほんのちょっとした仕草の端正さや、清潔感、ほのかにたたえた笑みなどによって得られることも多い。

もし私たちがそれぞれ日常の一場面に少しでも好感の持てる空気を放つことができれば、きっと世の中の雑踏や他人の多い街中で感じる、殺伐とした緊張感も和らぐことだろう。

できることなら、私も良い意味で印象的な風景要素でありたいものだ。着飾るわけでなく、自然な佇まいと雰囲気で。そんな空気を放つ私でありたい。





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2011年01月04日

仕事始め

テーマ:ブログ

この三が日はとことん寝正月で、食う寝る以外の人間活動は休止していたため、仕事始めの今日が実質的に年の初めの日である。

古来日本では、年の初めには穏やかに新年をお迎えするために、あまり好ましくない言葉を用いるのを避けて、正月用の特殊な言い回しをすることがあった。これを忌み言葉といい、たとえば降雪や降雨のことを「御降(おさがり)」と言ったり、家に現れるネズミのことを「嫁が君」と言ったりしたのである。
 
実に奥ゆかしい風習だと言えよう。
私もこうした年の初めの習わしにあやかり、穏やかに一年を始めたいと思っていたものである。が、いかんせん、大日本下品党のサガゆえか、仕事始めの今日からブリブリ怒ってアドレナリンを大量分泌するわ、食い過ぎて弱っていた胃に変調を来すわ、同僚にはドン引きされるわで、まあ私のいつも通りの年初となった次第である。
 
頭に血が上り、肩を怒らせ、眉間の筋トレをしながら通りに出ると、相変わらず東京の路上は埃っぽく空気がよどみ、道行く男も女も不機嫌そうな顔をして歩いているのを見て、私もまたしばらくは気分が安定しないままあることが予想された。ところがふと、そこで若いカップルとすれ違ったのだが、彼らがまるで何の屈託も不満も知らないかのように生き生きとにこやかな笑みを浮かべているのを見ると、瞬時に私の憤りも面倒な気分もどうでもいいことのように思われてきた。
 
生き生きとした明るい表情というのはいいものだ。これは若い恋人たちの特権という訳ではないはずだ。誰にだってできるはずなのに、なんと世の中の多くの人は年中不景気な辛気くさい顔をして歩いていることか。

今年の行動目標の一つには、ぜひ生気に満ちた明るい表情を心がけることをお勧めしたい。理由なんてない。実行には面倒くさがりや怠惰を振り払う小さな努力もいるかもしれない。だが実行できればきっと、ご利益はあるに違いないと思うのだが、どうだろう。
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