2010年05月29日

生きながら穴蔵に葬られ、~ 俗界転生の記

テーマ:CO2

Jお婆さんはおととしまで町の商店街の隅で、こばと商会という小さな店を営んでいた。
こばと商会は小さな個人商店の金融業と言うとやや聞こえは良いが、
早い話が、高利の金貸し、J婆さんはいわゆる因業婆であったのだ。

  

初めは近所の主婦に日々の小銭を用立ててやる程度だったのだが、
次第に規模が大きくなり、一時は近隣の商店主や工場経営者も
相手にして、裏では情け容赦ない苛烈な取立てで有名だった。
 
返済の滞った客は、生命保険に入らされただの、家財道具一式持っていかれたの、
それこそ子供の文房具まで売り払われただの、穏やかでないウワサも耳にしたから、
結構な恨みを買っていたのではないかとも想像できる。
  
ある日、そんなJ婆さんの自宅に強盗が入った。
そこは当然J婆さんも、日ごろから用心は欠かさなかったから、

いち早く不審者の侵入を察知すると、緊急用の避難場所へ身を隠そうとしたのだった。

 

もっともJ婆さんは因業らしく大変なケチであったから、

警報機や高価な防犯セキュリティサービスなど付けているわけでなく、
台所の床下収納庫にすっぽりと身を隠して強盗をやり過ごすという
手はずを整えてあったまでのことだ。


このあたりの緊急プランはたいしたものであったのだが、

実行の段階で少々手違いがあった。
あわてたJ婆さんは、足から収納庫に降りるはずが、ころりと頭から穴倉に
落っこちてしまったのだった。

小柄なJ婆さんならぎりぎりすっぽり入る床下収納庫ではあったが、
体を回転させるほどの余裕はない。

 

そこでやってきた強盗が目にしたのは、ふたの開いた収納庫に

逆さ屈葬のような丸まった格好で転げ落ちたJ婆さんの尻だった。

まさに頭かくして尻かくさず。

 

絶体絶命のJ婆さんであったが、なんのことはない、強盗にしてみれば、縛り上げたり目隠しをしたりする手間が省けただけのことであったかもしれない。

何より、強盗が姿や顔を見られずに済んで、口封じに最悪の事態を考える必要が

なくなったのは双方に幸いなことだったろう。
 
そんな余裕が生じたせいか、強盗は金目の物を確保すると、穴から尻だけ出した婆さんに、滔々と説教を垂れていったのだった。

 

泥棒曰く、人は人倫と慈愛の心を持って助け合わねばならないのだから、

むやみな高利や取立てで困った人を追い込むようなことをしてはならない、

人には親切にせよ、人には驕るな、世の中を住み良くしていくのは、

つかの間の生を同じくする人々の務めだ、などなど。

 

それは強盗が言うことなのかとも思うが、あこぎな因業で名高い婆さんの

情けない姿に強盗も、人の無力さと物金の世のはかなさを思うところが

あったのかもしれないし、なによりどうしたわけか、

婆さんも頭に血が上った(この場合下ったか)異常な状態での説教に、

これまでの所業を悔い改めすっかり改心してしまったのだった。

   

それからというもの、J婆さんは高利貸しを廃業し、

生まれ変わって世の中の人助けになるような仕事をしたいと新たな店を開き、

今では本人曰く町の人のコミュニケーションの拠点」となるような活動をしている。

  

人間はいくつになっても、変わることが出来る。新しいことを始めることが出来る。
人のつながりと人生への手ごたえを得ることが出来る、というものなのだろう。

 

もっとも、J婆さんの新しい店と云うのは、喫茶店といえば普通のようだが、
昼はメイド喫茶のノウハウを取り入れてメイド服を着たバアさんが給仕をする趣向で、
夜はスピリチュアルブームに目を付けていわゆる霊能士・霊媒として、
あの世の知り合いを呼び出してくれる口寄せのサービスをやっているのであるけれど。

 

なにせ年寄りばかりが多い町ではあるので、あの世や霊魂も身近(?)なせいか、メイド(冥土?)もイタコも結構受けているようだ。確かに「人のつながりに関る商売」ではあるのではあるのだが。
 
こんなJ婆さんの行動を、いくつになっても新しい挑戦を始める希望ととるか、
結局人はある種の型から抜けられないのだと考えるのかは、もちろん人それぞれ、
考え方次第であるのは言うまでもない。

 

 

 

 

 


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2010年05月19日

江戸の粋をそぞろ歩き___今回の本の紹介は私の敬愛する大田南畝先生の恋愛模様だ

テーマ:本読み


昔から時折、繰り返しくりかえし江戸ブームなどというものがやってきては、

江戸時代を憧れの理想世界のように、ほとんど崇拝の気色すら見せて、

拝み倒すように賞賛してやまない人や本というものを見かけることがあるが、

私はこうした態度に与しない。
 
だって、江戸時代なんてトイレは水洗じゃないし、夜は暗いし、水道もない。
アイスクリームもなけりゃ、ビールもないうえ、

社会も不衛生で、乳幼児の7歳までの生存率はわずか25%などと聞くと、

江戸の礼賛などとんでもないということになってしまう。
 
でも、それでもなお、江戸の文化にはどうしようもなく惹かれるものがある
のも確かで、江戸の文物に触れると、私も江戸時代にタイムスリップして当時の人と社会に
浸りたいという衝動に駆られることもある。

 
そう、私も江戸の文化人の宴席に招かれ交流したい、江戸の町で暮らしたい...
たとえトイレがウォッシュレットでなくっても。

たとえ冷えた生ビールが飲めなくっても。。。

 

そんな私の江戸趣味をくすぐり、心から敬愛してやまない江戸の文化人に触れた気分にしてくれる本にめぐり合った。



             酒とホラの日々。-後より恋の責めくれば

       『あとより恋の責めくれば 
         御家人南畝先生』       竹田 真砂子 / 集英社



江戸の町、光と影の際を当代一流の粋人たちが闊歩する。

 
山東京伝、恋川春町、もとの木阿弥、朱楽菅江、そして主人公の四方赤良こと大田南畝。身分も出自にも関わりなく集い、歌会を催し、宴を張り、妓楼に遊んで、お目当ての遊女に差し合いがいるとみるや、すかさず店替え、あるいは素見騒き(そけんぞめき)と洒落込む身のこなしは野暮とは無縁だ。
 
素見騒き(そけんぞめき)とは、今風に言えばウィンドーショッピングのようなことであるが、特に江戸の色里などで遊女の並ぶ見せ張りをのぞくだけの冷やかし客や、その賑わいを眺めて楽しむ粋なそぞろ歩きのことも素見騒きと称した。

 
江戸中期の吉原などは大店が軒を連ねてきらびやかさを競い合い、不夜城のごとき仮想現実世界に、つかの間の疑恋という癒しを求める人々で大いに賑わいを見せたことは知っての通り。
 
もちろん廓に落ちた遊女にとっては、そこは苦界にほかならないわけだが、遊廓の疑似恋愛というアトラクションも、時には真実の恋に転化することがあった。
思いもかけず、そんな一途の恋に落ちてしまった武士の始末を描いたのが本作であり、その主人公は四方赤良・蜀山人として狂歌で有名な、あの大田南畝である。
 
言うまでもなく、大田南畝は天明期の江戸文化、ことに狂歌を初めとして洒落本や黄表紙、随筆、漢詩など文筆活動全般に才能を発揮した江戸のサブカルチャーを代表する天才文化人である。
私の憧れの大田南畝とまぶしいほどの有名登場人物たちの、華やかな交流ぶりの生き生きとした記述は、江戸文化に興味のあるものには一読の価値がある。
 
ただ、恋愛物語としてはどうか。純愛を貫いた南畝先生の秘めたる恋愛模様がテーマとはいえ、記述が淡泊に過ぎ、どこか物足りなさは否めない。
恋の相手である吉原から身請けした三保崎などは、薄幸の女性とはいえ控えめに過ぎてまるで消え入りそうなはかなげな書きぶりだ。

 
当然、現実の恋愛とはただ好きだ惚れたの一色でできているわけではないが、この物語の恋愛ははプラトニックなまでに淡泊に単色の記述が時折現れるだけで、主人公に感情移入して共感を得るような読後感にはとても至らないのは残念だ。
 
一般には向学心と好奇心のかたまりで、エネルギッシュな天才文人の印象のある南畝先生を、本作では仕事と家庭の切り盛りに汲々とするしがない下級武士として描き、その秘めた恋の顛末に目をつけたというのは、作者独自の大変面白い視点ではある。ただし恋愛自体の記述が、恋に対する少女願望のようになってしまっているのは、あるいはひょっとして作者の願望と弱さなのだろうか。
 


ともあれ、江戸の文化人たちの粋な振る舞いと交流模様には目を見張るものがあるし、天才文化人南畝先生を、悩み多い一人の弱い純朴な人間としてとらえた本作品は、現代のサラリーマンの悲哀にも通じるリアルな日常の手触りがある。


そんな感慨をもたらしてくれるこの作品は、まるで自分もまたタイムスリップして南畝先生やその取り巻きと江戸の町を素見騒きするような楽しさを与えてくれる。





(注:本のレビュー部分は他サイトより転用であるが、

  レビューの著作者承諾済、、って私のことだけど)










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2010年05月15日

般若湯心経

テーマ:ブログ

会えば必ず不平を言う友達がいる
  職業不適性 病気もち 怠惰 通院
  裏切り 孤独 金欠
  手に負えない悩みの数々

 

仕方がないので私は言った
 それでもおまえは死ぬまでは生きて行かねばならないだろう
 死ぬまでは必死に生きていかねばならない

 
 そもそも、
 おまえはただ今の仕事に手ごたえを見出せないだけ
 おまえはただ病気なだけ
 お前はただ通院しているだけ
 お前はただ寂しいだけ
 お前はただあれこれ悩んでいるだけ
 ただそれだけ。たったそれだけ。
 
昔も今も人生は単純なもので
確実なのは生まれたらいつか死ぬだけ
その間多少のイベントに出会うだけ
あれもこれも人生のイベントなだけ。
 
性格が悪くても生きる
弱っちくても生きる 
腹が出ていても生きる
あばらが透けていても生きる
友達が少なくても生きる
慢性便秘でも生きる
足が臭くても生きる 
勉強が下手でも生きる
怠け者でも生きる
こんな自分をみんな生きる。
 
実はみんな生きているのはこの程度の自分。
この程度でもまた毎日は続いていく。

 

自分はちょっと性格は悪いが生きている。
自分はちょっと尻がたれているが生きている。
自分はだいぶ勉強は下手だが生きている。
自分は病気持ちではあるが生きている。
自分はウンコの出は悪いが生きている。
自分は会社では一人だが生きている。
自分はヘタレではあるが生きている。
自分は上司と折り合いは悪いが生きている。
自分は口は臭いが生きている。

 
こんな自分を生きることができるのは自分だけだ。
だからそれだけでおまえは完璧に人生を生きている。

 

不細工な自分
意志の弱い自分
いつも不安な自分
への臭い自分
足の太い自分
腹の出た自分
金のない自分
他人にろくに評価されない自分

なんて厄介な自分

 
こんなたくさんの厄介を引き取っている自分は
なんて厄介であることか

 
自分を受け入れて生きている人は皆「完璧だ」。
厄介なみんなよ、ありがとう。
厄介なことのおかげで自分は自分を生きている。
おかげで私は完璧だ。

 

それ以上何を求めるのか?
私は完璧な人生を生きている、私は完璧な人生を生きていく
厄介なみんなよ、ありがとう。

 
強い私になりました。完璧な私になりました。

  

 

え、実はまだもっとヘタレたことがあった?
いいじゃない、人生は誰だって初めてなんだよ。
 

 

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2010年05月11日

男のゴールデンタイム

テーマ:CO2

昨日、某市の警察病院にE君の身柄の引き取りに行ってきた。

私にしたって、こんなのはそうそうある事ではない。
 
断っておくが、引き取ったのは身柄であって遺体の引き取りではない。本人は警察の厄介になったとはいえ全治3日の軽症でぴんぴんしている。

 
本来ならこの後、E君は留置所に移送されてしかるべきところ、収容後の調べで犯罪の恐れの薄いことと、身元が確かで逃亡の恐れの無いことから、しかるべき人による身柄引き取りを条件に、とりあえずの放免となったのである。
 
E君はれっきとした堅気の勤め人であり、別居中とはいえ家族もいる。
しかしながら、ことがことだけに身柄引取りを勤め先や家族に頼むわけには行かず、このたびの私の登場となったのだ。


このE君逮捕の事情には少々の説明が必要だ。


・・・ことの起こりはこのゴールデンウィーク、E君はけんか中の奥さんとよりを戻すために話し合いの場をもったのだが、まだ事態はそれほどよじれていない(と思っていた)から、リラックスした温泉のある首都近郊のホテルをセッティングして、奥さんの到着を待っていた。

 

奥さんを待つ間、E君はせっかくだから温泉に入っていようと思ったのだが、ホテルには内風呂と少しはなれたところに露天の外風呂とがあり、E君はホテルの前の商店街を抜け、坂の小道を下った先にある外風呂にはいったのだった。

 

ところが、温泉から上がると、さっき脱いだはずの衣服がなかった。

 
事故か、いたずらか、あるいはサルが引いていったのか、どうしたわけか脱衣かごごとすべての衣服は消えていたのだ。

 

ホテルは坂の上の商店街の向こうだし、奥さんのやってくる時間は迫ってくる。
あわてたE君は風呂と脱衣小屋をくまなく探し回ったのだが、下着一枚すら無いものは無い。そうこうしているうちにどうしたはずみか、女風呂の脱衣所に入り込んでしまい、せめて何か布キレ一枚でも拝借しようかと思った矢先に女性客に見咎められて、背中に悲鳴を浴びながらその場を逃げ出すこととなった。
 
いかん!、これでは変質者として通報されてしまう、とE君は全力ダッシュで商店街に続く坂道を駆け上ったのだが、商店街の手前でふと気がつくと、右手には逃げ出すはずみに思わず握り締めていたらしい、女物のストッキングがあった。

たしかに布キレ一枚だがストッキング一枚では男はつらい。

  
だが、商店街を抜けないとホテルにはたどり着かないし、とても下の風呂にはもう戻れない。そこで
E君は意を決して、ストッキングを身にまとってまた駆け出したのだが、布をまとったのは顔であった。E君としては、なけなしの布キレ一枚(盗品だが)で出来うる限りの最善の策を考えたのだ。

 
この結果、パンストを頭からかぶった全裸男が突如街中に出現したのである。
 
ここで次の誤算は、頭に血の上ったE君がホテルにまっすぐたどり着くことが出来ずに商店街を右往左往して駆け回ってしまったことである。
商店街はパニックとなって、あちこちで悲鳴と怒声が起き、なにかとんでもない犯罪者とみなされたE君には、石を投げるものや犬をけしかける者まで現れた。

 

ちょうどそこへ奥さんが到着したのだが、奥さんがはじめに目にしたのはホテルの駐車場に追い詰められた犯人が、全裸でパンストをかぶり、どこかで拾ったらしいボロ傘を持って犬と戦う姿であった。

 

奥さんも石を投げて犬のほうに加勢したらしいが、この状況ではしかたあるまい。
  
直後、E君は駆けつけた警官に連行されて救われ、この日奥さんと会うことはなかった。いや、私に身元の引きうけを頼むくらいだから、それからも会ってはおるまい。
  

 
・・・いずれにせよ、男には必死で頑張らねばならない時というものがある。

E君だって、より戻しのために、文字通り裸一貫で必死に頑張ったのだから、
奥さんもこの努力を認めてあげてほしいものだ。






                          (匿名を条件にブログ公開、E君許諾済み)








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2010年05月08日

己が死を考え始める二時五分

テーマ:CO2

人というものはたいてい、いつも死を他人事のように考え、
まるで永遠に生きるかのように野放図に毎日を過ごし、
しかも明日死んでしまうかのように重要なことを放り出しては振り返らない。
 
そのくせ自分だけが不平不満を背負って、世界を憂慮しているかのように
愚痴と悪態だけはいっぱしのものだ。

それは単なる人生に対して怠惰であるだけなのだが。
  
誰しも青年の部もBともなると、親しい親しくないは別にしても
きっと幾たびかは知り合いの死というものを見聞きすることがあったはずだ。
 
私にしたって、青年の部Aまでだけでもこんなことがあった。

 
お調子者のA太郎はバンジージャンプの紐を装着し忘れて飛び降りて死んだ。

 
M彦もまたスリリングなことが好きで、線路のレールの間に仰向けに寝て電車をやり過ごすゲームに興奮していたが、ある日通りかかった電車は思ったより車体の下の構造物が多く、興奮して起っていたM彦のモノを切り取り、M彦は出血とショックで死んだ。

 
ナンパに血道をあげていたD介は、スキーに行って、女の子と人目を忍んで夜のゲレンデで会う約束をしていたのだが、すっぽかされた挙句吹雪の中で迷子になって死んだ。

 
悪質キャッチセールのS悟は通行人を追いかけて口説いていたら、やってきたシャブ中のヤクザに、女の情夫と間違えられて刺されて死んだ。

 
F也はギャンブルの借金がかさんで闇金に追われ、フィリピンに内臓売りに行ったところ、契約外の目玉や睾丸、皮膚や骨髄、血液まで搾り取られたあげくに死んだ。

 
もてなかったH昌は、バイアグラを買って某国の売春窟に行ったところ、相撲取りのような巨漢の母親似の女に相手をされ、ショックと腹部圧迫で血圧が急上昇し脳溢血と心不全を同時にやらかして死んだ。


・・・彼らはみな死んだ。みな言い訳するまもなく退場していった。


人生の基本構造というものは誰だって同じで、
あるとき生を受け、多くの不満と悲嘆と多少の納得と満足を盛り付けては

遠からず死ぬだけだ。

 
誰しも基本構造は同じなのだから、私たちは盛り付けを懸命に工夫するしかないのだが、盛り付けを途中で断念しなければならなかった人の無念はどれほどのものだろう。

生き生きと生きなければ、人生半ばで斃れた彼らにそれこそ申し訳ない。 

・・・誰ですか、上の私の知り合いたちには、あんまり申し訳ない気がしないなんて言ってるのは?

 

 

 

 

 

 

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2010年05月04日

上海万博パビリオン「日本館」

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酒とホラの日々。-なまこかん

今日もナマコの三杯酢和えを食った。

連休も終盤、もうすぐまた日常が始まる。

 


 


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2010年05月03日

春に不覚

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酒とホラの日々。-遅い桜

ここ数日都心の喧噪と塵芥を離れて北方へ移動してきた。都内では散ってしまった桜が再び満開の場面に会えるのは、まるで飛び去った時間を追いかけて来たような錯覚がある。

 

そればかりか、今年はいつまでも寒かったせいか、北では本格的な春の訪れが例年より遅く、春の到来と春本番が一緒にやってきてしまったようで、芽吹いたばかりの木々の淡い緑が山をおおい始めている中に、満開の桜の下と水仙と山吹が同時に咲き、間から鈴蘭までも顔をのぞかせるという豪華ぶりである。

 

これを今日私がランチに寄った寿司屋のお品書きにたとえるなら、都会の春が松にぎりの1050円であるところ、北の春は舟盛り海鮮ちらし特上6300円というほどの違いがある。 (もっとも、当然ながら私は1050円の松にぎりを頼んだのであるけれど。)

  

見渡す限りの野山には、パステル調の若い緑と花の間を春の光が自在に踊り、草木は天真な子供の笑顔のように、見る者の心を穏やかに和らげて飽きさせない。

 

草の上を渡ってきた風に吹かれ、阿呆のようにただ突っ立っていた私はいつの間にか口を開けて意味もなく笑っていた。いつも忙しくせわしなく情報を追いかけ、隙間という隙間に本やパソコンや携帯や音楽プレーヤで何事かを詰め込んでいる私が、人工ブツの何もないここでは確かに満ち足りていたのである。

 

確かにいつもの社会的な営みの継続には必要な、人工的な営為による芸術や癒しがここでは不要なのだ。
 
全身を揺する風、葉擦れの音、花の香、鳥のさえずり、まぶしい日の光。
もちろん人は自然だけでは暮らせないが、私らは社会生活を営む上で必要な知覚・感覚ばかりにとらわれ、素朴な人間という生活と人生を組み立てるために必要な感覚を忘れがちなのかもしれない。これは小手先の体験ではなく、時に全身全霊で感じてみるしかないのだろう。

 

赤ん坊のうぶ毛のような淡い緑と花が風に揺られるのを眺めていたら、なんだか出会った誰にでも優しくできるような気がしてきた。
 

え?、よしてくれ、私は会社では徹底した合理主義者の実務家で、極めて厳しい人間で通ってるんだ、ほ、ほんとだってば。。




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2010年05月02日

山吹の野を吹き渡る風

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酒とホラの日々。-ヤマブキ

山吹が咲き始めた。
山吹を眺めるとどうしてもあの有名な歌が頭に浮かび、戸惑いを感じてしまうことがある。歌とは太田道灌の逸話に出てくる誰でも知っているあのつまらない歌である。


  七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき

 

道灌が外出途中で雨に降られて、立ち寄った民家に雨具はないかと請うたところ、女が山吹の枝を差し出して、結局雨具は借りれず立ち去ったのだが、後日道灌は家来から、この歌(兼明親王、後拾遺集)は実のひとつ=蓑ひとつもない、というだじゃれの謎かけの解を教えられ、道灌は自分の歌道に暗いことを恥じた、という逸話である。
 
出来の悪い作り話だ。せいぜい日本文化としてのオヤジギャグの系譜を理解するくらいの意味しかない。感心しない話である。
 
それでも日本人はけっこうこの歌が好きらしく、時折人口に上っては私を辟易させる。
むろん私は紳士的に振るまい、適当に相づちを打ちお愛想を振りまいてごまかすのだが、こんなモノが文化だの教養のうちに入らない事を私は望んでいるのである。

 
むしろ私は、この出来の悪いギャグ歌によって気分が明るくなるとしたら、四方赤良のパロディーに思い至るためだ。

 

  七へ八へ 屁をこきいでの 山吹の 実のひとつだに 出ぬぞよろしき

 

本歌よりもウンと良い出来ではないか。

 
生理現象は仕方ないものだし、出るモノは出した方がよいに決まっている。時と場所によってはすかしたり、放出にも気を遣わねばならないこともあるのだが、山吹色のブツまでが友連れに出てきたりしないように安心を心得たいものだ。
 


  

 

 

 

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2010年05月01日

愚者のGW

テーマ:ブログ


酒とホラの日々。-夕暮れ空

長閑にたなびく春の雲を、傾いた日が暮れ色に染め、空には宵の群青と夜の暗灰が混じりだした。


いつもむせかえるほどの情報塵と脅迫的な多忙が、人の生存すらおびやかす現代においては、何もしないで一人満ち足りてぼうっと過ごすというのは、社会的背徳の混じった優越を覚えるまでに贅沢なことかもしれない。 
何もないことに心だけを自由に遊ばせるのは、社会的人間としてのくびきから逃れた最高の境地だろう。


落ち着いた春の中にどこか夏の空気が混じり出す五月の空は、日の暮れるのもゆっくりで、始終忙しい私は時々ずっと夕暮れ空を眺めていたいと思うことがある。


なのにやれやれ、明日は遠出しなければならない。

この遅い日暮れの時に、明日もまた晴れるといいとだけ思った。

 

 

 

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