先日、神戸市の北、三木市と小野市の境目くらいを車で走っていると「山田錦」の文字が書かれた旗が立っていて、おっ!今年も晩生(おくて)の「山田錦/やまだにしき」の田植えが終わったのね…と思いました。
同じところを昨日通ったら、稲の背もだいぶ高くなっていました。。

神戸は、六甲山系のおかげで水がおいしいのですが、神戸市民の多くはその恩恵に浴しておりませんーー;
淀川からの水道水でございます…しょんぼり
が、いい水「宮水/みやみず」と、いい酒米/さかまい(現在は「山田錦や日本晴」)のおかげで、昔から酒造りが盛んに行われております。

灘の生一本(なだのきいっぽん)…灘五郷(なだごごう…神戸市灘区・東灘区と、隣接する西宮市あたり)で昔から多くの日本酒が造られてきました。
しかし最近は日本酒の若者離れでかつての消費量から半減しているそうです。
巻き返しのために「灘の生一本」として酒蔵が共同でブランド化するという記事を、前に読みました。

一方、アメリカやフランスなど海外では、日本酒の人気も、和食と共に出てきているようで、イギリスでも、「sake」部門が、国際ワインコンテストで、創設されたりしているので、頑張ってほしいなぁと思います。

江戸時代、江戸に幕府が移り、大消費地が江戸にもできたわけですが、鮮度が命だったお酒、当時の輸送技術だと港から遠いと、味がどんどん落ちるので、海岸部の灘五郷が有利になったようです。
「下り酒」と呼ばれる灘五郷のお酒は、江戸っ子に大人気だったそうです。

で、前置きが長くなりましたが、酒米「山田錦」の産地は兵庫県では、三木市周辺です。
量だけでなく、加東市と共に、「特A」の最高ランクの地域が、何箇所かあります。
六甲山の北側、神戸の北側に、三木市はあるのですが、伊勢参り(いせまいり)に出かけた先「伊勢山田」の地で、立派な米を見つけて種籾(たねもみ)を持ち帰り育て始めたのが300年前。当然品種改良しているわけですが、現在は、酒造メーカーとの契約米として、毎年「山田錦」の旗が立っているんです。

この「村米制度」と呼ばれる酒造メーカーと村単位の契約で、良質のお酒が、安定して供給されるようになったのが、明治20年代半ばと言われています。
酒米は、普通のコシヒカリなどより大粒なのですが背も高くなるので、風水害に弱く手間のかかるお米だそうです。

昔は年に5度も、酒造りをしていたそうですが、現在は、冬に1度だけですね。
これが、農閑期のお百姓さんが雪深い兵庫県北部から杜氏としてやってくるきっかけになるのですね。

お酒づくりは、とてもお金がかかるのですが、その分、儲けも大きかったようで、多くの酒蔵がある灘五郷周辺は文化の発展の地でもあったようです。

阪神大震災で多くの酒蔵が倒壊し、やめてしまった小さな酒造会社もありますが、また復活しつつあるのは、うれしいことです。

織田信長の頃やってきた異人さんたちは、自分たちのお酒は冷やして飲むのに、日本人は暖めても飲んでいると、母国に書き送ったそうです。最近では日本酒もロックで飲むなど新しい飲み方も出てきて、多様性をさらに広げていますね。

米が不作になる度に、禁酒令が出されてきましたが、決して酒米作りも酒作りも、なくなりませんでした。
お酒は、人々の楽しみであると同時に、神々への大切なお供え物であったからかもしれませんね。
今度通る時は、どのくらい大きくなっているかな~?




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