横浜駅西口の前では、たまに拡声器で何か叫んでる勇ましい感じの黒いおっさんがいます。
朝鮮民族は帰れとか、在日特権が何だとか、
そういうことをまき散らしていらっしゃいます。

以前、◯×◯現党の看板立てた大学生くらいの若い女の子が
「このままでは、日本は中国に侵略されてしまいます!」
と必死の形相で叫んでいたのも横浜駅西口です。
あれを見たときは正直「日本すごいなー!」と思いました。
そうかー。侵略されるかー。
政権も国民も経済界も文化も、外交に失敗しているんだね。

私のだんなくんは在日中国人であるため、
駅前を通ってこういう言葉のシャワーを浴びる度に、
毛が逆立っているような雰囲気を醸しています。
ですが最近は悟りを開いたらしく、爽やかな笑顔でこう言いました。

「こう考えることにしたんだ!
 あの人たちはね、
 労働の合間の貴重な土日をつぶして、大衆の目にさらされながら、
 日本には言論の自由があることを、身を以て証明しているんだよ。
 献身的な人たちなんだ。
 中国であんなことしたら、取っ捕まるからね!」



……うむ、良いのではないでしょうか!
日本はすごい国なのです。



話は変わり、私は本日「マガ9学校」なるものに参加してまいりました。
私のボスである伊勢崎先生とそのゼミ生達に誘われて行ったのですが、
先生と、池田香代子さんの対談で面白い問題提起がされていました。


池田さん:「ドイツでヘイト・スピーチすると、反ナチス法で逮捕されるんですよ。
  言論の自由が一部制限されているんです」

先生:「その制限は、日本に導入できる?
  平和共存のために言論の自由に足かせをすることは、どう考えたらいいんでしょうか」



ヘイト・スピーチ。
つまり、◯◯人は劣っているとか、出て行けとか、死ねとか、
ドイツの場合はナチスの主張に戻れとか、
そういったことを口に出す事です。
社会の中の、特定の構成員を嫌いである、憎いという感情を、露に表現することです。


新大久保でたまに起こる右翼のデモなんかでも、
たまに「朝鮮人は死ね」とかいう過激な言葉が出るようです。
その言葉が周りをドン引きさせることに本人達が気付いているかどうかは分かりませんが、
そういったデモも、特に制限されていないのが日本の現状です。
ドイツは欧州で生き延びるためとはいえ、思い切ったことをしたものです。


過激な言葉の翼に乗った感情は、
相手側の感情も煽り、火をつけます。
時に、自分たちのコミュニティにいる人たちの気持ちも煽ります。
人の気持ちが煽られれば、世論に支えられる政府も、
衝突を避ける外交を展開しにくくなります。


平和、共存、ということを重視するならば、
確かにヘイト・スピーチは無い方がいいのです。
一方、強制的に無くす、法律で禁止する、ということは、
言論の自由を制限することでもあります。

でも、国家権力に「言論の自由の制限権」を与えるということは、
他のスピーチに関しても未来のどこかで制限させてしまうかもしれない、ということです。



自分の言葉に翼が生え、人として同じように生きるどこかの誰かを傷つけていること、
巡り巡って自分の大切な人たちを傷つけるかもしれないことを想像できないような
無責任な人は、是非とも減ってほしいと思いますが、


言論の自由に足かせをはめることも、私は嫌です。
未来の政府を信用していません。
次から次へと、制限をかけてくるかもしれない。
権力とは、そういうものです。




難しい問い。
平和共存のために言論の自由に足かせをすること。
平和・共存は、個人の権利を制限するに値する価値をもつだろうか。
ちょっとドイツの例を勉強してみたいと思った、春の一日でした。