本来、子供への性教育は、男女の性行動により子供が出来、社会的に未発達の男女に社会的責任が発生してしまうからその意味を理解させるために、ある程度の発達過程を経た子供に教育する事が大前提。
出産が低年齢化して行けば、それが社会問題化することは明白だからだ。
人は本来、社会を形成する上で、人同士の信頼の上にその社会を形成する。
そう意味に於いて相手を知るということは必須な行動。
同性の性行動は其の延長線上にあり、立場や、状況により其の内容は変化するし人それぞれ。
それを、心身未発達、未だ、男女の性が精神的に確立していない子供に教える事は、男女という本来の生理上の性別の区別がつかなくなり男女の性をもつ人間、その他の動物への考え方や見方も変えてしまう。
それは全く未発達な子供を精神的に不安定にさせることで、成長段階の心身に重大な生理的矛盾を突きつける事に成るのは明白であるため、それを法律など社会的規制で決める事は非常に危険。
憲法上の内心の自由にも完全に抵触する憲法上も重大問題。
本来あるべき自然の理に理に反した解釈をし、一時の利得や利権を得るために表面的理解で物事を処理する行為は、自然の物事の形を人の力という解釈で無理やり捻じ曲げることであり、明らかに無理で、逆らい続けられない人の愚かな行動であることは明白。
自然の理に抵抗すれば其の代償を払い続け、トンデモナイしっぺ返しをされるのは、歴史から学ぶべき。