今まで公にしなかった事ー3 | NPOニホンオオカミを探す会『井戸端会議』

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218日、6週間ぶりのカメラメンテナンスに行って来ました。
朝早いと云う事を除けば、寒くも暑くも無い絶好の登山日和で、私の体調を心配して2人の若い会員さんサポートの中でした。
厚・薄の靴下を履き違えたり、準備に手間取った点は有りましたが、「昔取った杵柄」で、体調不良でも何とかなるものだと実感した次第です。

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ハンターに誤射されないよう派手な格好です

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現在通行止めの中津川林道開通時
 
近況は別にして、ここからが前回の続きです。
 
翌年私は、マスコミを通して今泉博士の書簡と共に写真の動物を提示したのだが、蜂の巣を突付く騒ぎ!とはまさにこの事で、予想をはるかに超えた反響が私の周辺を襲った。
生存に繋がる新しい情報は兎も角、多くのマスコミ取材依頼と共に、首を傾げたくなる様な電話も頻繁に架かって来たのだ。
私が撮影した十九枚全ての写真を提示した第三者は今泉博士ただ一人であり、世間に公表した写真はその四分の一に過ぎない。
部分部分を捉えてアレヤコレヤと異議を唱える・・・一般人なら兎も角、名を出せば吃驚するような著名人も、マスコミの求めに応じてしたり顔で語っていたのだ。
知らない事を“知らない”と言えないで、自分の中のイメージでニホンオオカミを語る・・・初期の研究者が犯した過ちを70年後にも再び繰り返していた。
 
“耳のプロフィールがすっきりしてないから犬である!”
“スミレ腺は猫にも有る!” ・・・等等。 
耳のプロフィールがすっきりしてないから犬であると言うなら大陸オオカミの群れの中にどれだけの犬が混じっているのだろうか?
タイプ標本に存在するスミレ腺が秩父野犬にも有ると述べているのであって、ニホンオオカミ個有の特徴であるとは言っていないのである。
様々な批判中傷が飛び交う中で呆れるだけで笑うしかない私がいるのを感じていた。

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両耳の赤丸部分がすっきりしない・・・とイヌ?

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尾のスミレ線
 
今泉著「分類から進化論へ」に依ると心配なタイプ判定システムの崩壊として、以下のように述べている。
『どうしても許せないと思うのはリンネ式の類型分類、つまりタイプシステムを逸脱した偽りの統合分類がはびこりだした事である。
と云うのは、タイプシステムのおかげだと思うが、統合分類の中には、タイプシステムの原則を無視したものが少なからず見られるからである。
そして、タイプシステムを厳守するには、タイプ標本を保管する施設がどうしても必要である。

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今泉著「分類から進化論へ」
 
ところが分類学が普及するにつれ、タイプ標本の保管場所が、北米、南米、インド、ニホン等とヨーロッパ以外の国にも分散するようになり、いちいちタイプ標本を調べに出向く事が困難になってきた。
このためタイプ標本を見ないで、現記載だけで同定する安易な分類が横行するようになった。
これが偽りの統合分類をもたらしていると思う。』
タイプ標本との比較の重要性を訴えつつ、写真での同定が不可能である事を、「相違点が見つからない」と云う表現にしているように、私には思えてならなかった。

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今泉先生の追悼抄
 
ところで秩父野犬遭遇のきっかけとなった、ニッポン放送の収録は11月初めに荒川の支流安谷川の上流部で行われた。
当初、日本音響研究所で創作したニホンオオカミの咆哮を山中に流し、それに応えてくれるであろう生体の咆哮を収録するのが番組のテーマだったが、私の撮影した『秩父野犬』に関してがその日の最大の話題になってしまっていた。
呼びかけに応じて10数名の仲間が集まったのだが、今泉博士からの書簡はその時点で私の手許に与えられておらず、それぞれが自分のイメージでニホンオオカミを語るだけで、本来するべきはずのタイプ標本からの擦り合わせは、全くと言ってよいほど行われなかった。
多くの者がオオカミ好きであっても、ニホンオオカミ研究者足り得ず、そのジレンマは最近まで背負わざるをえなかったのである。

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写真中央が音響研究所の鈴木松美氏

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ニッポン放送収録の翌日記念写真を

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フジテレビの松尾氏と談笑
 
秩父野犬との遭遇を遡る事1年前の1995年11月始め、秩父の最深部大滝村三峰神社で、ニホンオオカミに興味を持つ人達が集まり、様々な意見交換をした事があった。
関東地方では初めての二ホンオオカミフォーラムと云う事も有り、十指に余るマスコミに取り上げられると今までの活動が多くの人達に知られる事となり、私がコツコツと収集した情報など比較にならない程のオオカミ体験事例が入って来た。
全てが正しい情報とは思えなかったが、連絡先等がはっきりしている事柄に関しては一つ一つ足を運んで、聞き取りの再確認を行なった。
足を運んだ範囲は日本全国と言える位の広範囲で、そのことに費やしたエネルギーも大変だったのだが、努力に応えてくれるだけの喜びも多かった。

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フォーラム参加者と記念撮影
 
その中の一つが飯能市在住の茂木章氏をはじめとする4名の遭遇体験で、彼等は埼玉県警の現職警察官だった。
それも、時の本部長直々の発想で創られた山岳救助隊一期生。
19906月最初の日曜日の事で、場所も昔から二ホンオオカミの体験事例が多い山での遭遇だった。
 
三峰神社正面に立ちはだかる和名倉山(2036メートル)頂上から、東側に派生するナシ尾根上部まで、深い藪に悩まされながらも登っている時の事で、先頭を歩いていた茂木氏と内山氏がその動物に気付いたとき、その動物は4人の動作を注意深く観察している最中だった。
絶滅を信じていなかった茂木氏は、驚きはしたものの、不思議な気持ちにはならなかったと言う。

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退官後の茂木章氏と私

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ナシ尾根上部の赤丸周辺が遭遇現場
 
5メートルの距離をおいて2人の人間と動物は長い時間見つめあっていたが、人間の観察に飽きたのか動物は踵を返して間もなく見えなくなった。
もしかして後続の二人の存在が気になったからかもしれない。
その時の様子を茂木氏はこう表現している。
 
『お互いに、敵意が無いことを確認したあと、ずーっとながい事(30秒位)、良い雰囲気で、見詰め合っていた。
躍動的で肉付きが良く、しっかりとした顔立ちで、牙が大きいのが印象的だった。
耳は立っていて、尾はフサフサして尾端はスパッと切れたようになっていた』。
 
そして二人はその時、たった一言『いまのは、オオカミだったよね!』と会話を交わしていた。
茂木氏等が二ホンオオカミの絶滅を信じていなかったのは、懇意にしていた甲武信小屋の主人千嶋兼一氏から、「小屋の前の真沢方面から二ホンオオカミの咆哮が時々聴こえて来る」と、教えられていたからだった。
 
10年近く私と共にオオカミ探しをしていた京都の岡田直氏も、友人が甲武信小屋に勤めていた際、「小屋の前の沢でオオカミがよく啼いている」と聞かされていた為、半年間も山に篭っていられたのだ。

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現在の甲武信小屋
 
埼玉県警の現職警官が、フォーラムでオオカミ体験者として発言したなら、生存説への影響力は限りなく大きくと感じた私は執拗に参加を願ったのだが、茂木・内山氏のどちらも、「世間を惑わす様な発言は、公務員として、現職警察官として出来る事では無い!」と、頑なに断り続けたのだった。 
たら、れば、の世界になってしまうが、1995年のフォーラム時茂木氏等が体験談を発表していたなら、今泉博士の論文発表と合わせて、違った反響になっていたと私には思えるのだ。