《若き日の記録・5》
私が教師になろうとはっきり意識したのは、小学校5年生のときだった。それ以来先生を、自分の将来の職業と見てきた。数多くの疑問も生まれたし、自分が教員になった今、さらにはっきりした許すことのできないこともあった。
だから子どもの立場から自分が教師としてどうあるべきかということが、自分の中に強くある。教員になって10年を越え、わかってきたことは、自分の教師としての在り方について、どんな立場から考えているのかによってずいぶんその在り方が違っているようだということである。
教師としての立場からなのか、親としての立場からなのか、公務員としての立場からなのか、大人としての立場からなのか、担任としての立場からなのか、子どもの立場からなのか、自分がどこの立場を拠り所としているかによってずいぶん教師としての在り方に違いが出てくるようである。
それはそれとして、もう一つわかってきたことがある。
私が小学生の頃からどうにも納得のできなかったことである。それは、「どうして学校という正しいことを教えるべきはずのところで、戦争を奨励したり、人殺しの練習をしたり、また、クラスから代表を戦場に送り込むというようなことがなされたのだろうか」ということである。
まずわかったことは、現在の教員のすべては教師としてその当時を経験していないということである。この事実は実に重大であると私は感じる。
何故か。
それは国が悪いということで簡単に決着を付けてしまっているからである。
そして、あれはあの当時の教師がいけないのであって私は再び子どもを戦場に送ったりはしないぞ、と単純に決意しているのである。
しかし、私はこれは非常に表層的な物事の見方としか思えない。
というのは、いまどきの世の中であの戦前、戦時中のような状況にはなりえないだろうという、非常に短絡的なものごとのとらえ方のうえに、「再び子どもを戦場には送らないぞ」と掛け声だけをかけているからである。
先日の6年生の授業で戦争中のことを語ってくださったおじいさんの話を聞いて、私は涙がとまらなかった。担任が戦場に行く指名をしたというではないか。そうして再び帰らなかった子どももどれだけいたことか。
その後でおじいさんは語っていたそうである。「私には、あの頃も今もそんなに変わっていないような気がする。ときどき恐ろしさを感じることがあるのです」と。
私はこのおじいさんの感性を、いいかげんに聞き流すことができない。
戦前、戦時中というのは、極度に国家によってマインドコントロールされた社会であった。
では今はどうか。
これは「いじめに関する考察・4」のなかでも述べたように、溢れるほどの情報は我々に言論の自由を保障しているように見せ掛けて、実はかんじんな情報は我々にはまったく届いていないんだということなのである。その中で現実に今こうしている間も我々はマインドコントロールされてしまっているのである。もちろん選択する、しないは自由である。だから言論の自由は保障されているのである。しかし、私たちは与えられた情報の中からしか選択することはできず、さらに与えられる情報は、すべての情報ではないのである。
守られていたはずの自由の国に、実は閉じ込められていたというこの現実。
相対的に違わないけれど、絶対的に違っている。
そう見たとき、過ちを繰り返さないということはそれほど単純で簡単なことではないはずである。
※AIが、地球上何十億人の情報を分析し、その人間が最も望む情報を送りつけるという現実に気づかなければ、人類史上最も自然にマインドコントロールされてしまうのが今だということである。
まず大切なことは、自分を取り巻く社会の何が正しく何がまちがっているのかということを自分で検討、判断することができなければならないといえる。
そうでなければ、全体の流れの中で自分の動向を決めるしかなくなってしまうだろう。つまり、戦時中のあの状況のなかでは仕方なかったんだという自己弁護である。文部省(今の文科省)から通達がくればそれに従うしかない、教育委員会から通達されたことは守るしかないという現状では、簡単に引っ繰り返ってしまうだろうことを想像するのはそれほど難しいことではない。
したがって、納得できないことに対して建設的に話し合える制度を確立する必要性もある。が、これは私たちには手の届かない部分である。しかし、こうした現実のなかで我々は生き、教育を進めていかなければならないと、自覚しているのとそうではないのとでは非常に大きな違いだと思う。
自覚していない人は、戦時中の状況について、あれはたまたま運が悪く、し方のないことだったんだと結論付けることだろう。しかし、自覚している人は、戦争というものは偶然に起きたものではなく、回避することも可能であったはずだと考えるに違いない。だから二度と行く先をあやまたぬよう、現実をしっかり見つめていこうと考えるはずである。
公教育である故に、再び子どもを戦場に送り込む可能性は皆無ではない。
だからこそ、なぜ戦時中のようなことになってしまったのかということについてはしっかりと考察し総括していかなければならないと思う。
ただ私が思うには、バブルの崩壊というのは、経済の敗戦だということである。我々は間違いなく経済戦争のなかに子どもたちを送り込んできた。
そのなかで、ある子は生き残り、ある子はさまよい、ある子は命を絶った。
再び戦場へは送らないぞと決意しながら、新たな戦場に送ってきたことが認識されるためには、もう少し年月を過ごさなければならないと思うが、やがて福祉に全世界が目を向けていく中で、この二つ目の過ちを認めなくてはならないだろう。
もし、歴史から学ぶのならば、経済がある程度発展したところで、軌道修正をするべきであったといえる。それを教育に当てはめて考えるならば、かなりの水準の教育がなされるようになった今日、教育の大きな軌道修正が必要であるとは言えないだろうか。現状の教育は、経済戦争の兵隊を育てる教育がそのまま続いているように思えてならない。
(1997年2月)
※は、この原稿を挙げるに当たって追記しました。