《教育への情熱》~若き日の記録~

 

 あと少しで50代になるときでした。その時に思ったことは、「随分歳を取ったものだ。けれど今はまだ人生の半分も生きていない。」でした。

 

 伊能忠敬は、50代半ばで日本地図を作り始めました。ハインリヒ・シュリーマンは40代後半から文明発掘の仕事に取りかかりました。そういう意味では、歳をとったからもうダメではなく、いよいよこれからが本番なんだととらえていきたいと思ったのです。

 

 シュリーマンの自伝に「古代への情熱」という書があります。

 シュリーマンの人生を決めたのは8歳の時のことでした。

 「当時もう八歳になろうとしていた少年の私は、父からゲオルク・ルートヴィヒ・イェラー著の『子どものための世界史』をプレゼントにもらい、その本の挿絵で、炎上するトロイアの都、その巨大な城壁、スカイアイ門、また父アンキーセースを背負い、幼な子アスカニオスの手を引いた英雄アイネイアースの疾駆するさまを見たときには、私はすっかりうれしくなって叫んだ。『お父さんの話は間違っているよ!イェラーはトロイアをきっと見たんだ。でなくちゃ、こんなふうに描けるはずがないもの』『ねえ、おまえ』と父は答えた。『これは想像で描いた絵にすぎないんだよ』しかし、昔のトロイアに、あの絵にあるような堅固な城壁がほんとうにあったのかと私が尋ねると、父はそうだと答えた。そこで私は言ったものだ。『お父さん、そんな壁が本当にあったのなら、それがすっかりなくなってしまうはずはないよ。何百年もの塵やがらくたの下に埋もれているんだ。』父はそうではないと主張したものの、私もどうしても自説をまげず、結局2人は、私がいつかはトロイアを発掘することになるんだということで合意に達したのである。(「古代への情熱」シュリーマン著)」

 

 ずいぶん長い引用になりましたがもう少しおつきあい下さい。そして、いよいよシュリーマンはトロイアの遺跡を発見しました。その期間は、この時から30年以上もたっていました。そしてシュリーマンは言います。

 

 「いかに多くの旅人が、アキレウスとヘクトールの戦った場所を見ようとしてこの地方を歩いたことか!しかし、彼らの探索は、この地方を単に見物するだけだったから、いわば地表にとどまっていたのである。私はホメーロスを信じていたので、深く底まで掘れば、ホメーロスの描いた世界の遺跡が眼前に現れるに違いないと確信した。」と。

 

 私はここを読んだとき、なんだか教育現場と重なるような気がしました。

 

 「子どもはどんな子も必ず輝くすばらしいところがある」ということを耳にしたことがあると思います。耳にしたことがなくとも、この言葉に対して異論を唱える人はいないでしょう。まさか「子どもの中には、どうしようもない、いい所など何もないダメな子どももいる」などとは絶対に思わないでしょう。

 

 しかし、だからといって、本気になって、その子どもの輝くところを見つけて来たかというと、どうも違っていたような気がするのは私だけでしょうか。必ず子どもにはいいところがあるといいながらも、本気で探していなかった自分。心からそれを信じ切れてはいなかった自分。それが、トロイアの遺跡の地を見物に来た旅人と重なるのです。本気で地中深くまで掘り進める勇気と信念がなければいけないのです。

 

 問題行動の目立つ子ども、自分に対して反抗的な子ども、周りに迷惑のかかるようなことばかりする子ども、そんな子どもたちに出会ったときに、それでも私は、その子どもの輝きを探そうとしていたでしょうか。

 

 父親にどれだけ否定されても、自分を信じ続けたシュリーマン。どれだけ自分を困らせようともその子どもの輝きを見つけようとする教師。私には、はっきり重なります。

 

 自分の都合のいい子どもだけと上手くやっていくのであれば、それは人が見つけた遺跡を見学に来ている旅人と変わりません。しかし、遺跡はそう簡単には見つけられません。そして、さまざまな問題を抱えた子どもの輝きを見つけることも、それほど容易なことではありません。だからこそ、情熱を持って、子どもの輝きの発掘をしていきたいと思うのです。

 

 シュリーマンは「古代へ」情熱を傾けました。私は「教育へ」情熱を傾けたいと思います。そして、このブログを書くたびに「子どもの輝きを本当に信じているか」と自分自身に問いかけていきたいと思うのです。

 

 「教育への情熱」よろしくお願いします。