奏でる場を周るってなんでしょうか?

かなで設立の原点はここにあります。

 

1999年11月28日に東名高速道路で飲酒運転トラックに追突されて亡くなった子(かなこ)さん=当時3歳=と、子(ちかこ)さん=当時1歳=の姉妹が、存命なら今頃は社会人となり活躍していることでしょう。

 

どんなお仕事をしているでしょう? お休みの日は、もしかしたら、こんなボランティア活動をしているかも知れません。そんな空想から浮かんできたのが、奏でる場を周るというアクションでした。

 

━━━  ━━━  ━━━

(参考) 

2016年10月1日、群馬県前橋市で開催された「飲酒運転ゼロinぐんま2016」における井上保孝氏、井上郁美氏のご夫妻(事故で亡くなった奏子さん、周子さんのご両親)による基調講演とパネルディスカッションの要約をご紹介します。

 

飲酒運転ゼロ! 次代への行動指針

━━━━━━━━━
第1部  基調講演

━━━━━━━━━

≪井上保孝氏のお話≫ 
本日は私たち家族が遭遇した飲酒運転事故のことと、その後の活動についてお話しさせていただきます。そして、飲酒運転の根絶のために私たち一人一人ができること、やらなければならないことは何か、ということをご一緒に考えていただきたいと思います。

「あちゅい!」という最期の声

1999年11月27日と28日、私と妻・郁美と長女・奏子(かなこ=当時3歳7ヵ月)、次女・周子(ちかこ=当時1歳11ヵ月)は車で箱根に一泊旅行に出かけました。初日は温泉に浸かり、28日には芦ノ湖の遊覧船から紅葉を楽しみ、娘たちも大喜びでした。
 

高速道路が混んでいるという情報があったので、私たちは早めに家路に着き、千葉市の自宅をめざしました。東名高速道路を走って首都高の用賀料金所の手前にさしかかった時に、突然11トンの大型トラックに追突されました。私たちの車は轟音と共にトラックに50メートルほど押され、前の車に追突してようやく停まりました。
 

その間に私たちの車は火を噴き、停止した時には炎に包まれていました。炎が激しかった後部席にいた奏子と周子は、帰らぬ命となりました。
 

運転していた妻は奇跡的に自力で脱出できましたが、助手席にいた私はつぶれたドアに左腕を挟まれてしまい身動きできませんでした。その後何とか引っ張り出されたものの、左腕と背中に大火傷を負い、救急病院で3回の手術を受け約3ヵ月半の入院生活を強いられました。その後も入退院を繰り返し、現在でもリハビリのための通院を続けています。
 

事故によって突然に娘2人の命を奪われました。私の耳に奏子の「あちゅい!」という声が最後に聞こえ、永遠に忘れることはできません。

走る爆弾、許されない飲酒運転

加害者は高知県に住む当時55歳のトラック運転手の男性でした。事故の前夜には高知から大阪行きのフェリー内で700ミリリットルのウイスキーの6割を「寝酒」と称して飲みました。事故当日東名高速の海老名サービスエリアで昼食休憩を取った際に、フェリー内で買い込んだ缶チューハイと、飲み残しのウイスキー280ミリリットルをストレートで飲み干し,1時間仮眠を取っただけでアルコールの影響を自覚しながらも、東京へ向けて走り出しました。

トラックは東名高速を距離にして40キロも、3車線を全部使うほどジグザ走行していたそうです。同じ高速道路を走っていてそれを見た他のドライバーたちから、日本道路公団(当時)や警察に11件もの通報がありました。
 

まさに走る爆弾、凶器です。事故現場で加害者がフラフラして呂律も回らない様子がテレビカメラにも映っており、警察の検査で呼気1リットル当たり0.63ミリグラムの高い濃度のアルコールが検知されました。

納得できない懲役4年の判決

加害者は飲酒運転の常習者でした。そして無邪気に車に乗っていた2人の娘の命を一瞬にして奪いました。ところが、2000年6月の東京地裁の判決は、業務上過失致死傷罪と道路交通法違反(酒酔い運転)で懲役4年(求刑懲役5年)でした。当時の法律で業務上過失致死傷罪の最高刑は懲役5年でした。

ある司法関係者は私に、業務上過失致死傷罪で実刑4年は重い判決であり、また、求刑5年に対して4年という判決は八掛け判決と言って満額に等しいと説明をしました。
 

幼い娘たちは70年、80年と人生を送れたはずなのに、懲役4年とは余りに軽いのではないか。私たち夫婦には到底納得のいかない判決でした。検察も私たちの意思を汲み控訴してくれましたが、東京高裁は控訴を棄却し、一審通りの刑が確定することとなりました。

危険運転厳罰化に37万超の署名

悪質危険な運転に対する刑罰が軽いことに対して納得がいかず、やり場のない想いを抱いていた頃、私たちは一人の母親に出会いました。

彼女の最愛の一人息子さんは憧れの早稲田大学に合格したばかりでまだ授業にも出ないうちに飲酒・無免許運転の犠牲となりました。彼女は加害者が厳しい罰を受けると思っていたところ、警察官から「交通事故で人を死亡させた場合は業務上過失致死罪で最高で懲役5年(当時)」と聞かさせて愕然としたそうです。
 

命の重みが反映されていない法律は変えるべきではないかと考え、彼女は業務上過失致死傷罪の厳罰化を求める署名活動を始めました。私たち夫婦もそれを知り活動に加わりました。2000年9月、東京の町田駅前で生まれて初めて街頭署名に参加しました。道行く人に「私たちは東名高速で酒酔い運転のトラックに追突され…」と切り出すと「あれは酷い事故でしたね」「刑罰は軽すぎましたね」などの声をかけてくださり署名してくださる人や、近所でも署名を集めるからと用紙を持ち帰ってくれる人もいました。
 

私たちと同じような境遇や思いを持つ関係者の方たちも力を合わせ、全国で37万4339筆の賛同署名をいただいて、4回に分けて法務大臣に手渡しをしました。
 

これを受け2001年11月28日、危険運転致死傷罪を創設する刑法改正が国会で全会一致で成立しました。
 

この日は奇しくも奏子と周子の命日でした。「いつまでも私たちのことを憶えていてほしい」と娘たちが自己主張しているに違いないと、私たち夫婦は解釈しています。

法の抜け穴、逃げ得を許さない

刑法改正によって、危険運転致死罪では懲役15年、同致傷罪では懲役10年が最高刑となりました。さらに2004年には最高刑が引き上げられ、危険運転致死罪では懲役20年、同致傷罪では懲役15年となりました。厳罰化は飲酒運転の抑止力になると期待され、現に法改正前と改正13年後を比べると飲酒運転による死者数は約5分の1まで減少しました。

一方で新たな課題も浮かび上がりました。それはひき逃げが急増し高止まりしているということでした。
 

事故を起こした者が、飲酒運転であることがわかると罪が重くなることを恐れて、被害者がいても救命措置をせずに逃げてしまうのです。つまり逃げ得を狙ったものです。また、逃げた上にさらに酒を飲んで事故後に飲んだと偽ったり、大量の水を飲んでごまかそうとしたりする行為も見られるようになりました。いわば法の抜け穴が明らかになったのです。この法の抜け穴を塞ごうと、2005年7月、私たちは「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」を結成して、さらなる法改正の署名活動を展開しました。
 

全国の各方面から多くの方々にご協力をいただきました。たとえば運転代行業の皆さんが夜の仕事のあと街頭活動に合流してくださることもありました。長い年月を要し署名は60万筆を超え、歴代9人の法務大臣に提出し、ついに2013年11月、現場から逃げて飲酒をごまかそうとする行為などには、アルコール等影響発覚免脱罪(懲役12年)を新設することを含む自動車運転致死傷行為処罰法が制定されました。道交法のひき逃げ罪と併合すると最高刑は懲役18年となります。危険運転で死亡させ逃亡した場合は最高刑は懲役30年となりました。逃げ得がなくなるよう今後も法律の運用を見守りたいと思っています。
 
≪井上郁美氏のお話≫ 
私からもう少し別の視点から事故とその後のことをお話しさせていただきたいと思います。

ルールを守らない大人たちへ

私たちが遭った事故の翌日、朝日新聞に事故直後の現場の写真が掲載されましたが、よく見ると、私たちの車のヘッドライトが片方点いています。時刻は午後3時半頃であり事故の弾みでいつのまにか点灯したと思われます。

つまり、この時点で車の電気系統がまだ機能していたわけで、そのおかげでパワ―ウインドウが作動し、私は逸早く脱出することができましたし、夫も窓から救出されました。当時、私は妊娠8ヵ月で、お腹の子ともども奇跡的に助かったのです。
 

しかし、後部席には瞬時に火が回り、どうしようもありませんでした。後に、燃え残りの中から後部席のチャイルドシートのベルトのバックルが見つかりました。バックルにはしっかりベルトがはめられ、娘たちがきちんとベルトをしていたことを証明していました。幼い子がちゃんとルールを守っていたのに対して、三十余年もプロとして運転してきた加害者は法を犯して飲酒運転を繰り返していたのです。
 

どうして大人がルールを守らないのかと、娘たちの声が聞こえてくるようでした。シートベルトをしてすやすや眠っていた娘たちが、なぜ理不尽にも突然に命を絶たれなければならなかったのか、言葉で表せない無念さです。

分別が失われるアルコールの影響

悲惨な飲酒運転事故は、なぜ無くならないのでしょうか。飲酒運転は悪いとわかっていても、「お金がかかる」とか「頼むのが面倒」とか理由をつけて、運転代行やタクシーを使うことをせずに運転をしてしまう人がいます。「飲んだら乗るな」という標語がありますが、お酒を飲んで分別がつかなくなっている人は、乗らないという判断ができなくなってしまうという怖さがあります。

私たちを襲った事故の加害者は、寝酒を習慣化し、昼間でも飲酒する生活をしていました。短時間でよく眠れるようにという動機だったかも知れませんが、寝酒をすると眠りは浅くなり、酒量が増えるという悪循環に陥ります。
 

加害者は事故の数ヵ月前に肝臓を傷めて入院し、医者から飲酒を止められていました。退院後1週間は我慢したものの、弱い酒なら良いだろうとまた飲むようになりました。その挙句に飲酒運転によって事故を起こしたのです。

やり直せる加害者、帰らない命

刑期を終えて出所した加害者は夫人と親戚に伴われて我が家を訪れ、奏子と周子の遺影に手を合わせました。そして、「たいへん申し訳ないことをしました」「二度と酒は飲みません」「二度とハンドルは握りません」と私たちに約束しました。

その後、彼は高知県の住まいに戻り、断酒会やAA(アルコホーリクス・アノニマス)に参加して周囲の人たちも立ち直りを応援したと言います。しかしながら、ある日の断酒会の例会で「皆さんは会に来た時だけ断酒を装っているが、ふだんは飲んでいるんでしょう?」という言葉を残して、二度と姿を見せなくなったそうです。
 

2016年1月から仕事の関係で私たち家族はオーストラリアに赴任することになりました。日本を離れる前に、私たちのほうから高知県の彼の家を訪ねることにしました。すると、彼は健康そうな様子で夫人と共に私たちを出迎えました。アルコール依存症患者は男性なら平均寿命は60歳以下とされますが、彼は71歳になっていましたから、彼はとうに終わっていたかもしれない寿命を延ばすことができたのかも知れません。

私はつくづく思いました。飲酒運転死亡事故を起こした加害者でも、命さえあればこうして家族と共に暮らしていくことができます。しかし、奏子と周子は帰らぬ人となり、二度とこの世で家族と暮らすことはできないのです。

≪井上保孝氏のお話≫ 
結びとして私から一言申し上げます。
 

飲酒運転の事故に巻き込まれて私たち家族は二度と元の暮らしはできなくなりました。目の前で娘2人が焼死した喪失感は筆舌に尽くせないものです。親として心の傷は癒えることはなく、一生抱えて生きていかなければならないと覚悟を決めています。
 

今日こうして講演をさせていただいた私たちの願いは、二度と私たちのように心の傷を負う人が出ないこと、飲酒運転がゼロの世の中になってほしいということです。大切な命を守るため「飲酒運転ゼロの社会」をつくる道を皆さんもご一緒にお考えいただければ幸いです。

※第1部 基調講演より要約(文責:運転代行振興機構)


(奏子ちゃん、周子ちゃんのスライド映像と共に講演される井上ご夫妻)

━━━━━━━━━━━━━━
第2部  パネルディスカッション

━━━━━━━━━━━━━━

*パネリスト

井上保孝氏

井上郁美氏
石川大哉氏  群馬県警察本部交通企画課
坂本則夫氏  公益財団法人運転代行振興機構代表理事
兵田光司氏   損害保険ジャパン日本興亜㈱前橋中央支社長
鶴見譲司氏   群馬県内運転代行事業者
進行:公益財団法人運転代行振興機構  山城朗美事務局長
   ≪文中敬称略≫

 

「飲酒運転させない」 ために今できること

【山城】 飲酒運転ゼロ社会を実現するために、どんな行動が必要か、何ができるかを考えて参りましょう。
 

【坂本】 飲酒運転は悪いことだという認識は人々の意識に広がっていると思いますが、「飲酒運転しない」という個々の意識に加えて、社会全体で「飲酒運転させない」ための環境づくりが求められていると考えます。たとえば、飲食店などでお酒を飲むお客様には、帰りに飲酒運転をしないようチェックすることが日常的になるようなことが大事だと思います。
 

【兵田】 同感です。飲食店では、車で来られて飲酒するお客様からは車のカギを預かるなどして、帰りの交通手段を確認するようなことが当たり前になると良いと考えます。今はどんな企業でもコンプライアンス(法令遵守)が厳しく言われますが、自分も同僚も絶対に飲酒運転の加害者にも被害者にもしてはいけないという観点から企業内の意識づくりも重要です。
 

【石川】 警察の立場からは飲酒検問や夜間パトロール等を強化することで取り締まるほか、それが抑止効果となって未然防止を図ります。また、交通安全教育の場で飲酒体験ゴーグルを用いて、飲酒した時の視界の悪さを実感してもらうなど身をもって危険を実感してもらう機会を増やしています。
 

【鶴見】 運転代行業を営む立場からも警察の街頭での検問や指導には期待しています。ドライバーが飲酒運転しても捕まらなければいいだろうという意識があると、飲酒運転はなかなかなくならないだろうと思います。

【山城】 井上ご夫妻はただいまのご発言を含めてどうお考えになりますか?
 

【井上保孝】 社会の環境づくりという点で、私も、たとえば会合などで「車で来ていますのでお酒は飲めません」とか「お酒をつがないでください」などの表示をしたワッペンを服に付けて、誰が車で来ているか、誰がお酒を飲んではいけないかが見分けられるようにするのも一つの方法だと思います。そうした取り組みが広がっていくといいですね。
 

【井上郁美】 私たち夫婦もお酒は嫌いではなく、美味しく楽しく飲むことは悪いことではないと思っています。その一方で、アルコールについて正しい知識をもっと知っていただくことも大事だと考えます。たとえば、日本人の1割は体質的にお酒が飲めません。また3割は多くの量を飲めない人たちです。学生の一気飲みが問題になったりしますが、節度のある飲み方や、飲めない体質の人にも配慮するということを、若いうちから教育したり社会啓発したりすることも大切だと思います。

【山城】 「飲酒運転させない」社会をつくるために何ができるでしょうか。
 

【兵田】 井上夫妻のお話を聴いて改めて飲酒運転の怖さを痛感しました。会社でも今まで以上に皆で話し合ったりして役立てていきたいと思います。また、運転代行業には待ち時間の短縮や会員割引制度とか一層利用しやすくなるよう期待しています。
 

【石川】 飲酒運転は悪質な故意の犯罪行為です。その影響は本人だけでなく周囲の多くの人たちに及ぶことを機会あるごとに伝えていきたいと思います。
 

【鶴見】 運転代行業はお客様の大切な命を預かる重い仕事です。安全・安心のサービスを提供し利用してもらうことで飲酒運転ゼロにつなげられるよう努めます。
 

【坂本】 運転代行業は飲酒運転根絶の受け皿として社会に不可欠です。業界として、利用者の声をさらに取り入れて改善を図り、事業者どうしも連携して社会から飲酒運転がなくなるよう努力して参ります。
 

【井上保孝】 運転代行業は飲酒運転根絶の“最後の砦”だと思います。一層利用しやすく普及することを期待します。また、最近でも若い人の飲酒や暴走事故が起きており、学校や家庭における交通安全教育の充実が重要だと感じています。
 

【井上郁美】 近いからとか、お金が惜しいとか、少ししか飲んでいないとか、そんな理由で運転代行やタクシーを使わずに飲酒運転してしまう人が少なくありません。誰かが飲酒してハンドルを握ろうとしていたら、その人が「大丈夫だ」と言い張っても一歩踏み込んで止める力が求められています。そういう社会をつくるためにこれからも一人一人のお力添えをお願いいたします。
 

※第2部 パネルディスカッションより要約(文責:運転代行振興機構)

(上毛新聞 2016年10月2日)

━━━━━━━━━━━━━━
主催 公益財団法人運転代行振興機構
共催 群馬県警察、一般社団法人運転代行振興機構群馬
後援 国土交通省群馬運輸支局、群馬県、全国運転代行共済協同組合、上毛新聞社、群馬テレビ、まえばしCITYエフエム

━━━━━━━━━━━━━━